第三十七話 魔獣の名
今にも降りそうな雨雲を仰ぎ、ブリュンヒルデは前世の記憶を思い出していた。プロデューサーの癖のある言葉でもなく、編集の心のこもった攻略本でもなく、それはとある腐女子が呟いた一言だ。
『ストーリーに全然出てこないけど、この水中系魔獣って新刊のネタに使えそうじゃね? 毒性あるし、受けが痺れて身動きできないのを攻めが助けに行くの胸アツ』
投稿者の言う水中系魔獣は、魔獣図鑑にのみ掲載され、本編では出てこない。なぜなら、開発チームの中で『女性向けで展開しているゲームにグロテスクな水中生物はドン引きされる可能性がある』と議論された結果、作中から存在を消されてしまったのだ。
ブリュンヒルデも存在は知っていたが、その腐女子の一言で「あなたが神か!」と思った口だ。水中生物特有のウネウネはいかに強い受けでも容易に捕獲が可能、受けを助ける攻めがみたいという腐女子の願いをいともたやすく叶えてくれる存在なのだ。
(思い出した―!! 卵から孵化してもすぐに襲わず、体が大きくなるまでじっと待つ、あの腐女子御用達の魔獣! グリアセル!!)
ブリュンヒルデはようやく真実にたどり着いた。モチーフは海中生物グリセル、またの名をブラッドワームと呼ぶ肉食生物だ。
ブリュンヒルデはプロデューサーのうんちくを思い出す。
『この生物の特色は、なんといっても金属製の牙を持つことです。たんぱく質から金属を作るんですよ。生物が金属を作るなんて神秘的で素敵だと思いませんか? さらに毒性も持っているんです。大きさと皮膚の耐久度の問題さえなければ、世界最強になれると僕は思いますね』
世界を君臨はできなかったが、奴は二次創作で一躍スターになった。おかげで一通りの知識がブリュンヒルデの中にある。
「殿下、魔獣に心当たりがありましたわ。グリアセルという、軟体生物のような魔獣です。八本の触手を持ち、その先端に金属の牙を持って対象物に噛みつきます。牙には毒が仕込まれ、対象物の動きを封じます」
ブリュンヒルデの言葉をヴォルフラムは驚きとともに聞いた。
「金属……それは、鋼鉄製の甲冑すらも砕くのか?」
「はい」
公式設定でそこはしっかりと書かれている。ブリュンヒルデは力強く答えた。
「ですが、代わりに皮膚が凄く弱いのです。ですので槍や剣でも魔獣を倒すことが可能です。ただ、水気が厳禁です。水を吸収したとたん、グリアセルは恐ろしい魔獣になるのです!!」
ブリュンヒルデの言葉にヴォルフラムやギュンター達の顔色が変わる。空には雨雲が裾を広げている。いつ振り出してもいない状況で水気が厳禁となると、かなり厳しい戦いになる。
「雨が降り出す前に魔獣を仕留めよう。ブリュンヒルデ、奴をおびき寄せる手段はあるか?」
ヴォルフラムの言葉にブリュンヒルデは頷く。
「おびき寄せることはできませんが、いぶり出すことは可能です」
「……燃やすことはできるのか?」
「火の手が回るより先に飛び出しますね。それなら煙でいぶり出す方がいいです」
この際、放火は嫌だとか言っていられないが、実際問題グリアセルに関して悪手だ。
ブリュンヒルデの言葉にヴォルフラムがこくんと頷く。そして護衛騎士に火種と薪を用意させた。家の入口付近で薪を燃やし、煙を大量に発生させる。ブリュンヒルデはハンカチを口元にあて、煙を吸い込まないようにする。他の人たちも心得ているようで、煙を吸わないよう各自工夫をしていた。
もくもくと立ち上る煙が家に充満し、煙突や窓から煙が噴き出していく。
「見つけた!! あれです!! あれがグリアセル!!」
ブリュンヒルデは声を上げる。苦しそうにもがく数本の細長い生物が煙突から飛び出ていた。