第三十六話 魔獣の在処
ヨアヒムが持って帰った農作物は、木箱の半分くらいの量だった。買い物袋、一つ分と言ったところで、本当に出来心だったんだなあとブリュンヒルデは思う。
ぶるぶる震えているヨアヒム、子猫のような目でブリュンヒルデを見つめるマヤの視線に居心地の悪さを感じながら、ブリュンヒルデは農作物の見分を始めた。
(うーむ。シャキシャキしててどれも美味しそう。確かにこれを焼却処分となると勿体ない精神が動いちゃうのもわかるわあ)
現代社会の中で、食事のありがたみを感じる機会はそうない。くしももブリュンヒルデは己のポカミスのせいで食べ物がどれほど偉大で大事かを実感している。
同情しつつ、ブリュンヒルデはさっそく農作物に近寄った。
「少し、調べさせてくださいね」
しかし、それをギュンターが止める。
「お嬢様、あなたが何をなさろうとしているのか、おおむねのところは理解できたような気がします。それを踏まえて申し上げれば、この木箱からおかしな気配は致しません。むしろ、その家から依然として獣の凶悪な気配が致します」
険しい顔のギュンターの言葉にブリュンヒルデは血の気が引く。彼の言葉が本当なら、すでに魔獣はあの家に潜んでいることになる。
「ブリュンヒルデ、農作物からどんな魔獣か調べられないか? そうすれば対応策もえられるのではないか?」
ヴォルフラムの言葉にブリュンヒルデは首を振るしかない。
「卵から魔獣を推定することはできません……。申し訳ありません」
「そうか。なら、今の状況で考えられる魔獣はいないか? 孵化してもすぐに人を襲わない、家主が気が付かない、そんな魔獣に心当たりは?」
ヴォルフラムは別の切り口からブリュンヒルデに尋ねる。
しかし、そんなことを言われてもブリュンヒルデが知るのは攻略本の魔獣図鑑でイラストと簡単な説明のみだ。推しカプと対峙した魔獣なら、二次創作のネタにするため、すべて頭に叩き込んでいるが、その他は頭からほとんどすっぽ抜けている。
「申し訳ありません。姿かたちが分かればどんな魔獣かわかりますが、限られた情報から推定はできないのです」
もし、魔獣に特化型ファンなら今頃数体くらいに絞れていただろうが、ブリュンヒルデはカプ妄想型オタク。こんな時にクソの役にも立たない。
(ああ、せめて魔獣の情報をすべて頭に叩き込んでおけば……!!)
いまさら嘆いても仕方がないが、ブリュンヒルデは前世を恨む。
青白くなるブリュンヒルデにヴォルフラムは心なしか柔らかい声をかける。
「気負うことはない。最悪の事態は免れたからな。お前たち、この家を封鎖し、近隣住民を教会に避難させろ」
ヴォルフラムは護衛騎士たちに声をかける。一人が協力を仰ぐためか、役所に向かって走り出し、残りは近隣の家屋に入って住民の説得に当たった。
「ブリュンヒルデ、顔色が悪い。お前はもう宿で休め。部隊の一つを呼び寄せたから、あとは俺たちでなんとかできる」
ヴォルフラムの表情は気遣いに溢れている。冷たい印象を与える顔だが、彼の心は熱いもので一杯だ。ブリュンヒルデは彼のそういうところが大好きだった。
(やっぱりかっこいい……。ああ、でも萌えたらダメ。リアルに萌えるのは私のポリシーに反する……)
そういう状況ではないのに、ブリュンヒルデはヴォルフラムの優しさと物憂げな表情に胸をときめかせてしまう。
「あ、ありがとうございます。ですが、魔獣を一目見てから退きますわ。目で見れば対応策もわかりますし」
「いや、危険だ。それにそろそろ雨が降りそうだし、体を冷やすといけない。ギュンターと言ったな。ブリュンヒルデを頼むぞ」
ヴォルフラムはギュンターに視線を送る。彼は頷いてブリュンヒルデに手を差し出した。
二人の一連の動きにブリュンヒルデは記憶の何かが反応した。




