第三十五話 調査
若夫婦が恐怖で顔をひきつらせ、必死に命乞いをするさまは時代劇のワンシーンのようだ。場所がレンガ造りで石畳でなければ、馬をかっ飛ばしながら、あるいはお供を引き連れたおじい様が今にも駆けつけて来そうだ。
ティーガ騎士団の面々は緊張を張りつめた顔で二人を見ている。歴戦の猛者が危機感を覚えるほど恐ろしいものが彼らの背後から感じるのだ。
ヴォルフラムは気配を察知したわけではないが、騎士たちの異様な反応にただ事ではないと察知し、ブリュンヒルデを守ることを考えて彼女を背後に庇っている。
だが、当のブリュンヒルデは全く別のことを考えていた。
(この人たちの様子から、魔獣が孵化、あるいは羽化した様子はないわね。でなけりゃあ、恐怖はギュンターたちの強面の比じゃないもの。ということは、まだ卵の状態であるのかしら)
ブリュンヒルデは一生懸命考えた。
そしてヴォルフラムの背後からひょっこりと顔を出し、できるだけ怖がらせないように笑顔を向ける。
「驚かせてしまってごめんなさい。少し、伺いたいことがあるのです」
にっこり笑顔の超絶美女に話しかけられ、若夫婦は少しだけ落ち着きを取り戻した。
「な、なんでございましょう……」
膝をついたまま、顔を上げて夫ヨアヒムが答えた。
「唐突で申し訳ないけれど、あなたたちがお持ちの農作物を調べさせて欲しいの、入っても構わないかしら?」
ブリュンヒルデの言葉に妻マヤは部屋の中が綺麗に片付いていないことを思い出し、恥ずかしそうに言った。
「あ、あの。本当に汚くて……貴族のお嬢様にお見せできるような家ではありません。農作物は持ってまいりますので、それでよろしいでしょうか」
申し訳なさそうに言うマヤにブリュンヒルデは首肯した。
綺麗好きな素敵な方々はさておき、前世のブリュンヒルデのようなズボラな人間は、毎日こまめに掃除しない。人が来るときはしっかりやるが、そうじゃないときは割と適当である。それゆえ、ガス点検や消防点検の日程を忘れた日には、超高速で大掃除をする羽目になる。
(奥さんには悪いことしたなあ……)
ブリュンヒルデはマヤが家の中に引っ込んでいく姿をしみじみと見つめた。
しかし、思いのほかヨアヒムの顔色が悪い。
(奥さんに見られたらマズイものでもあるのかしら? まあ、ドンマイ!)
ブリュンヒルデがひそかにエールを送っていると、彼は石畳に頭を擦り付けた。
「も、申し訳ございませんっ!! 本来、焼却処分とされる……ケルシャの農作物を一部、持ち帰ってしまいました……!! 本当に申し訳ありません!!」
彼は横領の罪を告白した。
ギュンターたちは思わぬ彼の言葉に目を丸くした。てっきり凶悪犯でも匿っているかと構えていたため、驚きはひとしおである。
逆に彼の言葉で顔色を亡くしたのはヴォルフラムだった。ケルシャ産の押収はヴォルフラムの肝いりで各自治体に命令した居たものだ。それもブリュンヒルデのいう『魔獣』の犠牲者を出さないようにするためだ。ヴォルフラムは魔獣を見たことがないが、今のブリュンヒルデが村を焼かなければいけなかったほどの脅威だと認識している。
「ブリュンヒルデ! どうすればいい?」
焦るヴォルフラムに反してブリュンヒルデは落ち着いていた。
「ひとまず、農作物を押収しましょう。もし、くっついていたのが卵か蛹か知りませんが、孵化ないし羽化していたのなら、お二人が我々を怖がることはなく、むしろ助けを呼んでいるでしょうし」
持ち帰ったと言うくらいだから大した量ではないだろう。幸いここは石畳、風の向きに注意しておけば、ここで焼くことも可能だ。むしろ釜戸にくべてもいい。
淡々と答えるブリュンヒルデにヴォルフラムはそういうものかと頷いた。
魔獣を見たことがないヴォルフラムはブリュンヒルデの言葉に従うのが最良だと判断した。昔のブリュンヒルデなら疑ってかかっていたところだが、監獄での出来事以来、ヴォルフラムはブリュンヒルデを新たなる視点で見ていた。
しかし、少々気になることがあるヴォルフラムは男に尋ねた。
「お前、持っていったものを誰かに売ったということはないな?」
「け、けしてそんなことはございません!! 本当に申し訳ありません!!」
男は体をブルブルさせて平伏する。
ヴォルフラムはやれやれと肩を諫めた。本気で反省している人間をこれ以上叱っても無意味だ。罪は罪なのでそこは役所で何とかしてもらうとして、ヴォルフラムは煉瓦造りの家に目を向けた。
こじんまりとした建物は、夫婦二人で暮らすには十分だ。中でガタゴトと家探しする音が聞こえる。
「奥さん、遅いですね」
「……入るか」
ブリュンヒルデの言葉にヴォルフラムは反応した。一歩踏み出すヴォルフラムにつられてブリュンヒルデも動く。しかしそこで待ったをかけられた。
「お待ちください。我々が先に入ります」
ヴォルフラムの護衛騎士たちが行く手を阻む。ギュンターたちが異変を感じたように彼らもまた思うところがあったのだろう。険しい顔をしている。
「わかった」
ヴォルフラムはそう言って護衛騎士たちを先に中へ入らせた。
騎士の一人がが家の扉を開けると、箒を片手に持ったマヤが目を丸くしてこちらをみた。そして慌てて姿勢を正す。
「ご、ごめんなさい。も、もしかして家にお入りになるかもしれないと思って、少し整頓をしていたんです」
彼女の言葉にヴォルフラムはため息を落とす。持ってくるだけでいいのに、余計なことをする心情が分からなかった。有能な部下に囲まれているヴォルフラムは無駄な時間を取らせて……と少しばかりいら立ちが募る。
しかし、ブリュンヒルデはなんとなく気持ちがわかる。
(緊張するとついつい気を回しちゃうんだよね~~。そして怒られるのよくあるやつだわ!)
軽く昔のやらかしを思い出しながらブリュンヒルデは微笑みかけた。
「急に押しかけてごめんなさい。ご主人が持って帰って来たものを頂くだけで大丈夫なんです」
ブリュンヒルデの言葉にマヤはほっと顔をほころばせる。
「あ、はい。こちらです。この箱に入っているもので全部です」
妻は台所に置かれていた木箱をさした。
「わかった。これをすべて押収する。いいな」
ヴォルフラムの言葉に妻は再び縮こまる。
「殿下、あまり一般人を怯えさせるものではありませんわ。ただでさえ、殿下は怖そうにみえるのですから」
だが、そこがいい。とは口に出さない。ここがゲームの世界じゃないと理解した今、ブリュンヒルデは溢れる腐女子魂を押し込めていた。
一方、ブリュンヒルデから『怖そう』と言われたヴォルフラムは少なからずショックを受けた。ブリュンヒルデも自分を怖がっているのだろうかと、尋ねたくなったヴォルフラムだが今はそんなことを考えている時間はないと頭を振った。護衛騎士に指示をして木箱を抱えさせる。
ブリュンヒルデはマヤに笑顔を見せた。
「ご協力ありがとうございます。本当に、ごめんなさいね」
「い、いえ……。夫はよくないことをしてしまったのですよね? どうか、酷い目に合わないよう、お助け下さい」
マヤの言葉にブリュンヒルデは曖昧に笑うしかなかった。
(立場上、あたしらから御咎めなしってことにはできないのよね。まあ、区長が上手くやってくれるでしょう)
ブリュンヒルデは丸メガネの優しそうなおじさんに丸投げすることにした。




