第三十四話 怯える民
倉庫を空にした後、ブリュンヒルデは護衛に囲まれて街を歩いた。クララの事は気がかりだったが、自分がいると彼女はゆっくりと休めないため、時間つぶしと見回りを兼ねてブリュンヒルデは外にいたのだ。
(ああ、人様の視線が痛い……)
先ほどの煙が人目に付かないはずもなく、ゲンドルの街は『ホルンベルガーの令嬢がまた火を放った』と恐怖におののいていた。
子供たちは母親に抱えられて建物の中に引っ込み、商店は急いで店じまいを始めた。
「ははは、噂が回るのは早いですなあ。おかげで往来に人っ子一人おらず、歩きやすくて助かります」
ギュンターは豪快に笑う。悲壮感のない、真夏の太陽のような明るさにブリュンヒルデは落ち込んでいた心が上を向く。そして頭を切り替えた。
(今、私ができることに集中しよう。といっても、操作画面がない以上、人力でなんとかするしかないわけだけど……)
「ねえ、ギュンター。ティーガ騎士団は歴戦の猛者と聞いているけれど、凶悪な獣の気配とか感じ取れたりする?」
「ほう、我々に興味を持っていただくとは光栄ですな。仰る通り、強い獣ほど、特有の気を放ちます。人間もそうですな。ただ、強い奴ほど隠すのが上手くなるので……そこは己の力量との兼ね合いになります」
「ギュンターはどれくらい強いの? ライオンとかトラを倒せる?」
ブリュンヒルデは大真面目に聞いた。現代でさえ、中学生くらいの男の子が一人でライオンと戦う地域があるくらいだ。歴戦の猛者はそれくらいできて欲しい。でないと魔獣に対抗できない。
ブリュンヒルデの問いにギュンターは目を丸くしたが、きちんと答えてくれた。
「そうですな。素手とは行きませんが、槍があれば可能です。私だけでなく、ティーガ騎士団はそれくらい軽くやってのけますよ」
ギュンターは言葉を切った。そして鳶色の目でブリュンヒルデを覗き込む。
「お嬢様が何を恐れているのか存じませんが、命に変えてもお守りします。どうぞ、ご安心を」
巨木のような強さと優しさを感じさせながら、ギュンターは言った。
「ありがとう。頼みにしているわ」
ブリュンヒルデは微笑む。
そして心の中では安堵のため息を吐いていた。
(よ、よーし。虎とライオンが倒せるなら、中級までならいけるかもしれない)
ブリュンヒルデはプロデューサーの言葉を思い出す。
『魔獣は自然界の強い動物をモチーフにしているんです。そっちのほうがより身近に感じられるでしょ? トラとかライオンとかだと人間が倒せちゃうけど、見た目がかっこいいから中級モンスターのモデルなんだよね。見た目が強そうなのは大事だよ』
鼻にかかったプロデューサーの言葉を思い出しながらブリュンヒルデは少しだけ心が軽くなる。
(よっしゃよっしゃ。ギュンター達がいれば、ある程度の魔獣は倒せそうよ。それなら再び街を焼かずに済むわ。あーほんと良かった……。というか、今更だけどプロデューサー語録でも作って整理した方がいいわね。はぁ……今頃思いつくなんて私の大馬鹿!!!)
ブリュンヒルデは激しく後悔した。
知っていることをまとめ上げていれば、ヴォルフラムとも共有ができた。屋敷で無為に悲しんでいるヒマがあれば書き上げておけばよかったのだ。
再び落ち込むブリュンヒルデにギュンターは、女心は難しいと思いながら肩を諫めた。
「ブリュンヒルデ!!」
大きな声で名前を呼ばれてブリュンヒルデは顔を上げる。
見ると前方に騎馬した少年の姿があった。日の光に輝く銀髪は遠目でもそれが誰かを示している。
「ヴォルフラム!?……さまっ」
敬称を慌ててつけてブリュンヒルデは名前を呼ぶ。
ヴォルフラムの馬はさらに加速してブリュンヒルデがいる場所まで駆けてきた。
「ブリュンヒルデ、君から報せを受けてきたが、往来を歩くなんて危ないだろう! 俺たちが何とかするからお前は早く屋敷に戻れ!」
馬から降りるなり、ヴォルフラムは険しい顔で怒鳴った。その勢いにブリュンヒルデは目を丸くする。
ヴォルフラムはきょとんとしたブリュンヒルデの緑の目を見て、少し言い過ぎたと反省した。
「……怒鳴って悪かった。だが、君は安全な所にいるべきだ」
落ち着いたトーンでヴォルフラムは言う。
「お気遣い感謝しますわ。ですが、魔獣に詳しいのは私ですもの。屋敷で待つ間にも、できることはないかと考えてしまいますの」
そう言いながら、一番肝心なプロデューサー語録を作ることはやっていない。それさえやっておけば情報共有ができただろう。矛盾をはらんだ言葉にブリュンヒルデはグサグサと心にぶっといトゲが刺さる。
(もっともらしいこと言ってるけど一番やるべき事やってないんだよチキショー!! 今からでも書き出して……そうだ、ヴォルフラムに渡せばいい。頭のいい彼なら私のとりとめのない話を上手にまとめ上げてくれるはず!)
ブリュンヒルデはそう考え、にっこりとヴォルフラムに微笑みかけた。柔らかい表情にヴォルフラムは思わず顔が赤くなる。
「な、なんだ」
「殿下、私が知り得た知識をまとめたく思います。どうか、手伝って頂けませんか?」
「も、もちろん構わん。情報の共有は大事だからな!」
「ええ、本当に。初めにこれを思いついて置けば時間を無駄にしなかったのに、浅慮がお恥ずかしいですわ」
ブリュンヒルデは自己嫌悪でそう言った。しかし、ヴォルフラムは自分と過ごす時間を『時間の無駄』と解釈してしまった。なんとなく辛い気持になって俯くヴォルフラムにギュンターの言葉が耳に飛び込んだ。
「お嬢様、殿下と過ごすのが無駄とお考えで? いくら婚約者と言えども酷い話ですなあ」
彼の言葉にブリュンヒルデはブンブンと首を振った。
「ち、違うわ。時間の無駄なのは、屋敷でボーっとしていた時間の事よ。あのとき、まとめあげていたらもっと調査や捜索も楽になったわ」
ブリュンヒルデの言葉にヴォルフラムは胸の黒い靄が晴れる。
ブリュンヒルデは弁解に必死になっているが、対するギュンターは鷹揚に構えていた。おそらく、ヴォルフラムの感情を詠んで誤解がないようにあえて道化を引き受けたのだろう。
大人の男の度量を垣間見てヴォルフラムは憧れと、少しばかりの嫉妬心を抱いてしまう。そんな雑念をヴォルフラムは振り払い、ギュンターに声をかけた。
「お前はティーガ騎士団のものだな。素晴らしい騎士がいるから民は安心して生活ができる。皇太子として礼を言うぞ」
ヴォルフラムが言うとギュンターは「光栄です」と頭を下げた。
「さて、皇太子殿下、お嬢様。近くに宿を手配しております。魔獣?とやらの相談はそちらで致しましょう。なにしろどこもかしこも真夜中のように閉め切っておりますから、食事すら怪しいですよ」
彼の言葉にそれもそうだとヴォルフラムは頷き、宿へと進んだ。ヴォルフラムとブリュンヒルデは並び立ち、それをティーガ騎士団が囲み、皇太子の護衛がさらに囲むという不思議な構造になった。ロキは迷子の子供のようにオロオロしたまま、同じくはみ出し者になったノイラートの後に続く。
「殿下! お嬢さま! お下がり下さい!!」
ふいにギュンターの声が大きく響いた。
ギュンターが槍を構え、民家に狙いを定める。ヴォルフラムはブリュンヒルデの腕を掴むと自分の後ろに隠れさせ、腰から剣を抜いた。
「な、何? どうしたの?」
「この中から……獣の気配がします。お嬢様の言葉を借りれば、トラやライオンのような凶悪な……」
険しい顔のギュンターにブリュンヒルデは生唾を飲み込む。
(こ、この中に魔獣が? でも誰も出てこない……まさか)
「中に、中を見ることはできませんか? 人がいるかもしれません!」
ブリュンヒルデが声を上げる。
ギュンターは難しい顔をしていたが、もう一度民家を見た。
「この家の者!! 急ぎ表に出られよ!!」
大きなギュンターの声はまるで獣の咆哮だった。びりびりと素肌まで痺れる声にブリュンヒルデは少しだけ震えた。
しばらくして閉じた扉が恐る恐る開いた。
完全に怯え切った若夫婦が、真っ青な顔で出てくると、石畳に平伏した。
「ひ、ひぇ……どうか、どうかお許しを」
「命だけは何卒……!!」
ガタガタと震え上がる二人に、ブリュンヒルデは自分が悪玉のように思えて仕方がない。
(民をいじめる権力者の図だわ……。私が発端だけになんとか、怯えさせないようにしたいのだけど……)
ブリュンヒルデはどうしたものかと思う。
ブリュンヒルデの考えをよそにギュンターは二人を尋問する。彼にとって二人は凶悪獣を保持する危険人物でもあった。熟練の騎士である彼は、この民家から発せられる恐るべき気配を感じ取っていた。他のティーガ騎士も同じで険しい顔で彼らを睨みつけ、二人は怯えた子ネズミのごとく縮み上がっていた。




