第三十一話 異変
花屋の娘、クララはヘルモルトと行動を共にしていた。
事件直後、事情聴取に連れていかれた彼女は、役人から「ホルンベルガー嬢に酷い目に合わされたなあ」と大層同情された。クララはそれに反抗して魔獣の存在を力説した。誘拐についても頑張って否定したが、「恐怖で錯乱しているんだ」と誤解され、ケルシャの隣、ゲンドル区内の立派なホテルを用意され『落ち着くまでここにいていいから』と上級役人の自腹でおごってもらっていた。
豪華な部屋でクララは世間を賑わすニュースに心を痛めた。ミレッカー卿が犯人とされたこともそうだが、「ホルンベルガー嬢が身代わりを立てた」と噂になるのが悲しかった。
「ヘルモルト卿! ミレッカー卿はブリュンヒルデ様を守るために自ら身代わりになったと思うんです」
ヘルモルトは黙って頷く。クララは送り届けてくれた彼を引き留め、向かい合わせに座って力説した。
「ブリュンヒルデ様と長く過ごしたわけじゃあありませんが、自分が助かるために人を犠牲にする方じゃあありません!」
ヘルモルトは再び頷く。
「なんとかして、ブリュンヒルデ様の汚名を返上し、ミレッカー卿を助けたいです!」
クララの言葉にようやくヘルモルトが口を開いた。
「平民の君がどうやって?」
酷い言葉だった。だが事実だった。
ヘルモルトは上辺のだけの優しい言葉はかけられない。事実しか言えない。しかし、その中には彼なりの優しさが込められていた。
押し黙るクララに鳶色の優しいまなざしが注がれる。
「……君はここにいるべきだ。ゆっくりと休め」
ヘルモルトの言葉にクララは泣きそうになりながら頷いた。何もできない自分が悔しかった。
(ブリュンヒルデ様は私に何か力があると信じて下さった。だから何かできるはず……できるはずなのに……)
クララはぎりりと歯ぎしりをする。
ヘルモルトは無言で立ち上がり、扉に向かった。
クララはその後姿を見て思わず走った。
「ヘルモルト卿。私も行きます。私は何かができるんです。ブリュンヒルデ様はそう信じてらっしゃいました。だから、私もブリュンヒルデ様を信じます」
彼女に燃えるような目を向けられてヘルモルトは何も言えなくなった。彼は無言だったが、クララは肯定だと理解した。急いで外套を羽織り、鞄を持って一緒に階段を下りた。
街はそこそこの人出だった。しかし、ヘルモルトは迷いなく進む。
「ヘルモルト卿、行く当てはあるんですか?」
「役場にまず行こうと思う。何か情報があるかもしれない」
そう言ってヘルモルトが歩き出す。クララは小走りで彼の後を追った。途中、甘くてかぐわしい香りを嗅いだ。
「あ、薔薇!」
クララは思わず叫んだ。向かいの女性が一輪の薔薇を大事そうに抱えていた。ほとんど蕾だったが、クララはその匂いをしっかりと嗅ぐことができた。
「よくわかったな」
「とてもいい匂いですもん。私、花の中で薔薇が一番好きなんですよ」
クララは久しぶりに笑顔になった。ヘルモルトはその表情を見て少しだけ表情を柔らかくする。
ご機嫌なクララは足取りが軽くなった。大通りを通り過ぎ、ひときわ大きな建物に入る。役人は忙しそうに働いていたが、思いのほか対応が丁寧だった。
「ああ、君のことは知っているよ。本当にひどい目にあったなあ」
クララを目にした瞬間、役人はタブロイド紙の写真に写った少女を思い出した。クララはここでもブリュンヒルデが誤解されていることにムっと顔を曇らせたが、善意に塗れた役人の顔を見ると反論する気もなくなった。
「……ええっと、ケルシャ産の作物の流通ってどうなってます?」
「ん? それはなあ、皇太子殿下がいきなり取引中止を命じられて、ホラ、そこの倉庫に積み上げているよ。あとで焼くんだけどな」
「なるほど、少し調べたいのだが、構わないか?」
ヘルモルトの言葉に役人は鷹揚に傾いた。
「構わんさ。どうせ焼くんだからな。けど、持ち出したりはしないでくれよ!」
役人の言葉に頷きつつ、二人は倉庫へと向かった。
レンガ造りの大きな倉庫はずっしりと重い扉があったが、搬入のため開けられていた。見張りも誰もいない場所は不用心でクララは面食らった。
「泥棒が入りたい放題じゃないですか……。せめて扉は閉めましょうよ」
「防犯意識の低い町なんだろう。逆に言えば平和と言う事だな」
小規模の町は皆が皆顔見知りであるため施錠する概念がない。だが、部外者は早々にマークされるため、犯罪者を早期に発見できるのだ。
「平和はいいことですけどねえ……」
クララも田舎出身だが、商店が多かったためか空き巣対策は常に頭にある。腑に落ちないままクララは農地の匂いが立ち込める倉庫に足を踏み入れた。
そのとたん、クララはドクンと心臓が大きく跳ねた。クララは胸を押さえてその場でうずくまる。
「クララ嬢?! どうした!」
ヘルモルトが慌てて駆け寄った。だが、クララは真っ青な顔でガタガタと震え、脂汗を流す。
かすかに彼女の唇が震えた。
「……さま、ブリ……デさま」
ヘルモルトは彼女がブリュンヒルデを呼んでいると気づいた。彼は震える彼女をすぐに抱きかかえ、役所へと戻った。
先ほどの役人は真っ青なクララを心配した。
「嬢ちゃん、どうしたんだい!? 職員の仮眠室があるからそっちで休むといい。すぐにあったかいミルクでも持って行ってやるからな」
「すまん。ありがとう。しばらく彼女を頼む」
ヘルモルトはそう言って役人に彼女を託し、すぐに役所を出た。応援要請を持たせた伝書バトを放った。
彼が仲間に送った文書の内容は二点、一つは武装してこの街に来ること、もう一つはブリュンヒルデにクララの異常を伝えることだった。




