第三十話 綻び
ヴォルフラムの兵たちは実に真面目に動いた。エルンストの隊以外、『魔獣』という言葉は伏せられていたが、先々で奇妙な繭や卵、剣も矢も効かない獣を目にすれば嫌でもその正体を察してしまう。生け捕りの命令が出ていたが、手強い獣を捕獲することは難しく、火で焼き滅ぼすのがせいぜいだった。
一人の武官が指揮を執るエミリオに聞いた。
「ハルティング卿、ホルンベルガー嬢が錯乱して村を焼き討ちしたと耳にしましたが、魔獣を滅ぼすために焼いたんですね」
質問の形を取っていたが、彼はほとんど確信していた。エミリオは笑顔で肯定した。すると隊の雰囲気がさらに和やかになる。
「獣を目にするまでは、護衛騎士に罪を擦り付けた酷い方と誤解しておりましたが、むしろ体を張って国のために動いておられたとは……」
「噂でホルンベルガー嬢が変わられたと耳にします。ペラグラ症の解決案、この補給食と飲料も発案はその方だとか……我々の任務が成功すれば、令嬢の名誉も回復できますね」
明るい声にエミリオの心は弾む。
「ああ、そうだな」
緑の目の、美しい人を自分が助けることができるんだと思うと、がぜんと力がみなぎって来た。
しかし、いくら気力があってもエミリオたちにできることは限られる。そのため、また伝書バトを各地に飛ばして各役所に協力を仰いだ。天才科学者D・Gが開発したその網は皇族と上級貴族にのみ解放されていた。
皇太子ヴォルフラムの威光、そしてエミリオの人望の甲斐あって協力はすぐに得られた。
ケルシャ産に限らず、植物はすべて確認し、異物があればすべて焼却処分しろと命じた。購入証明書があれば一定の補助金を出すことを条件に商人たちの協力も求めた。その甲斐もあって成果は上々だった。
皇宮図書館で魔獣の調査に当たっていたエルンストは、魔獣に関する書物を探させ、片っ端から読ませた。そしてほとんどに共通する事柄を洗い出させた。書物は基本的に書き手の信条や考えに色濃く影響される。また誇張して書かれることや思い違いも多いため、同じ事象でも複数の視点から見ることが重要なのだ。
「ふうん。諸説あるが、共通するのは薔薇の乙女と、その騎士が魔獣を倒して国を救うということか。薔薇の乙女の伝説はさておき、やはり魔獣の存在は厄介だね。大地を割ったり雷を呼んだり、河を反乱させたり……天災規模の脅威じゃないか」
エルンストは部下たちの調査報告をため息交じりに読む。
「ホルンベルガー嬢が処罰を覚悟で森を焼いたのも頷けるよ。まさしく救国の女性だ」
感嘆を含んだエルンストの言葉に補佐官は目を丸くする。皮肉屋で世の中を斜に構える上官が、誰かを忌憚なく褒めるのは珍しい。さらに、詩人のような顔をするものだから、補佐官はぽかんと口を開けてしまった。エルンストは補佐官の醜態に呆れたように冷めた目線をやる。
「おい、君。口を開けっ放しにして埃でも食べる気かい? それよりもさっさと手を動かして魔獣対策を考えなよ」
エルンストの言葉に補佐官は大慌てで謝り、止めていた手を再び動かした。厳しいエルンストの監視の下、彼らは猛スピードで調査報告をまとめあげた。それを携えてエルンストはヴォルフラムに報告に行った。
「殿下、要点だけを申し上げると、魔獣は千年に一度、この大陸で生じます。温暖な土地の草花に卵が付着して魔獣が孵ります。ある種の強力な魔獣は繭の中で姿かたちを変え、薔薇の香気によって化け物へと羽化します」
「つまり、薔薇が咲くまでに片を付ければ被害は防げるんだな」
「はい」
「わかった。すぐに父上に申し上げて対策をお願いしよう。ご苦労だった。引き続き調査を頼む」
「かしこまりました」
エルンストが答えた。二人の関係は今までと何も変わらず、先日のことをお互い持ち出すこともなかった。
雲一つない空、積み荷を下ろした商人はいつも見慣れている草に奇妙な実がついていることに気が付いた。役場からおかしなものがあれば報告しろと言われていた彼は律儀に従った。検分に来た役人は奇妙な実がついているものだけを押収し、官舎の納屋に保管した。焼き払えと命令を受けていたが、折角なら薪代わりに使った方がいいだろう。家計の足しになるはずだ……彼は新妻の喜ぶ顔を想像して考えた。
役人の妻は、買い物帰りに早咲きの野ばらを見つけた。まだ蕾だったが、きっと育てば綺麗な花を咲かせるだろう。愛する夫の癒しにでもなればと、彼女はそれを大事に摘んで帰った。




