第二十六話 思わぬ助け
その日、公爵家はブリュンヒルデを宥めるのに一苦労だった。ミレッカーが捕縛され、罪人となったと知るやブリュンヒルデは助けに行くと言って憚らなかったからだ。挙句の果てに、放火犯と誘拐犯は自分だと言い、ミレッカーの無実を訴え続けた。
マルガレーテは娘可愛さに『婚約破棄のことは気にしないで。あなたはミレッカーに騙されただけ、悪い人は懲らしめるから、あなたはゆっくり休んでいて』と言い、ブリュンヒルデの動揺は婚約破棄のことだと信じて疑わなかった。
「お母さま、ミレッカー卿はわたくしの命令を聞いただけなのよ。彼を捕えるのは間違っているわ」
「ああ、ブリュンヒルデ可哀そうに、錯乱しているのね。ハーブティーを飲んでゆっくり休んでちょうだい」
ブリュンヒルデは暴れ回り、昔以上の癇癪を起した。
(公爵令嬢の私なら身分が考慮されて塔への幽閉くらいで済むけれど、ミレッカー卿は下手をすれば処刑されてしまう。なんとかして助けないと)
森に火をつける決断をしたとき、ブリュンヒルデは一生幽閉される覚悟をしていた。ホルンベルガーの名誉を汚すことになるだろうが、ご先祖様の偉大さはそうやすやすと揺らいだりはしない。「あんな落ちこぼれがなんでホルンベルガー家に」と同情を集めるだろう。
(でもどうやって助ければいいの。お父様とお母様は私を屋敷から出してくれない。頼る友達も親戚もいない……。判事に手紙を出したって途中で没収されるでしょうし)
悩むブリュンヒルデに一つの知らせが舞い込んできた。
「お嬢様。皇太子殿下がお見舞いに来て下さるようですよ」
マルティア夫人はブリュンヒルデの喜びを期待してやってきた。
「……ヴォルフラムさまが? 一体なぜ?」
ケルシャに行く前だったなら気絶しそうなくらい歓喜に震えるだろうが、今はそれどころではない。婚約者と言ってもヴォルフラムはブリュンヒルデのことを嫌っており、頼みごとをするような仲ではないのだ。
(でも、今はこの方法しかないかも)
ブリュンヒルデはヴォルフラムの来訪に一筋の希望を持った。
午後、昼下がりに花束を持ってやってきたヴォルフラムはゲームで見るよりも、さらに気高くて美しかった。銀髪は一つ一つが絹のようにきらめき、青い瞳は水晶の輝きを持っていた。いつもは澄ましている顔に柔らかな笑顔を浮かべ、彼はメイドをすべて下がらせた後、優しく言った。
「護衛騎士の暴走で体調を崩したと聞いたが、具合はどうだ?」
心の全く籠っていない声だったが、ブリュンヒルデにとって希望だった。
「ありがとうございます。ところで……無礼を承知の上でヴォルフラムさまに折り入ってお願いしたいことがあります」
ブリュンヒルデが言うと、彼は「その前に」と前置きした。
「君の護衛騎士、ミレッカーがあなたに会いたがっている。死ぬ前の望みを叶えてあげてはもらえないだろうか? 君の望みはその後に」
ヴォルフラムは優し気に微笑む。
張り付いたような笑みにブリュンヒルデはそれが偽物だと気づいたが、ミレッカーに会えるなら、そして頼みを聞いてくれるなら、ヴォルフラムがどんな企みをしていたとしても構わないと思った。
「会いますわ。ぜひ、会わせてください」
そう言うとヴォルフラムは一瞬、驚いたような顔をしたがすぐに承諾した。準備がすべて整っていたらしく、ブリュンヒルデをそのまま馬車に乗せた。事情を知らない公爵夫妻は皇太子が娘を丁重に扱ってくれるので不思議に思いながらも、娘が笑顔になるのならと、快く送り出した。
馬車の中でヴォルフラムは無言だったが、ミレッカーが気になって仕方がないブリュンヒルデは周囲のことを気にする余裕がなかった。思いつめた顔で俯くブリュンヒルデを向かい合うヴォルフラムは注意深く観察した。
馬車が着いた先は重罪人を収監するヘルガング監獄で八基の塔と高い城壁で囲まれる堅牢な建物だった。ブリュンヒルデは固唾を飲み、ヴォルフラムに案内されるまま牢獄の中に踏み入れた。中は思ったほど劣悪ではなく、豪華とは言わないが、人間の居住施設としてまっとうなものだった。
(そういえば、フランスで有名なバスチーユ監獄は専用のコックや王室御用達の侍医、娯楽施設まであってわざわざ入所してくる人間もいたとか。このゲームは色んなところをモチーフにしているから、監獄まで似せているのかも)
ブリュンヒルデは中を見ながら、ある意味安心した。
(さほど酷い目に合っていなさそう。でも、一刻も早く助け出して名誉を回復しなきゃ)
前を歩くヴォルフラムの足が止まり、振り返ってブリュンヒルデを見る。
「この扉の奥にミレッカーがいる。俺はここで待っているから、一人で先に進むといい」
ブリュンヒルデは一言だけ礼を言い、わき目もふらずに進んでいった。ヴォルフラムは一瞥すらせず進んでいくブリュンヒルデに驚く。
(俺に釈明するかと思ったが、そんなこともなかったな)
ヴォルフラムがブリュンヒルデを訪ねたのは、彼女の真意を測るためだった。ミレッカーが会いたがっているのは、ブリュンヒルデの本心を見るための嘘だ。もし、彼女が変わっていなければ、ヴォルフラムに会うなりミレッカーを悪しざまに言い、自分が被害者であるとヴォルフラムに訴えただろう。しかし、予想に反して彼女はヴォルフラムの話を先に聞き、ミレッカーに会うことを承諾した。
ヴォルフラムはブリュンヒルデの真意を測りかね、未だ結論を出せずにいる。
■
ブリュンヒルデが目覚める前、ミレッカーは取調官から事情を尋ねられていた。ミレッカーが責任を主張しても、彼らは気遣い溢れる眼差しでミレッカーを見た。
「ミレッカー卿。貴殿が素晴らしい騎士だということは、君の仲間たちや聞き込みで十分知っている。そのあなたが、村を焼くなどと恐ろしい真似をするはずがない。私も、裁判官も、皆があなたの味方だ。いくらホルンベルガー公爵家が強力であろうとも、君を守ることはできる」
取調官ヘルマンは正義に満ち溢れた声で言い切った。
ミレッカーはこの優しい役人に真実を話さないことに罪悪感を感じながらも、まっすぐな視線で言い切った。
「すべて私の一存です。どなたもあずかり知らぬこと、どうか、責めは私一人に」
何もかも受け入れたような彼の表情を見て、ヘルマンは唸る。
どうにかして彼を助けたい。悪辣非道な令嬢に濡れ衣を着せられてしまった高潔な騎士を……。