第二十五話 濡れ衣
ブリュンヒルデの命令で放った火は森を焼いたが、農地は無事だった。火の手に気づいた護衛騎士たちが砂で土手を作り、延焼を防いだためである。ブリュンヒルデはふもとに着くなりケルシャの代官モラートから厳しい糾弾を受けた。土地を愛し、民を愛する彼はブリュンヒルデの行いをどうしても許せなかったのだ。
「謝って済む問題でないのはわかっていますわ。でも、森に大きな魔獣の卵があったの。このままでは被害が広がってしまうのよ」
ブリュンヒルデは思わず釈明したが、モラートは納得できなかった。それもそのはず、魔獣は夢物語でしかない。真摯に謝るのならともかく、おとぎ話を言い訳に使われてモラートは悔しくて悲しくて仕方がなかった。
「わ、私も魔獣を見ました。剣も矢もきかないんです!」
クララが擁護するがモラートはおさまらない。それに証拠である魔獣の卵は炎に包まれて証明するものは何もなくなってしまった。
(……愛した土地が焼かれたんだもの、モラート代官の怒りももっともだわ。でも、どうしようもなかったのよ……!)
ブリュンヒルデは拳を握る。その手を温かい手が包んだ。
「ご心配なく。後はこちらで事後処理を行いますので」
ミレッカーが優しく微笑んだ。
「お話は私が伺います。お嬢様はお疲れなので先にお休みください」
「で、でも。責任者の私がいなければ話にならないわ」
「疲れたお体では無理です。レナ嬢。お嬢様を頼みます」
ブリュンヒルデの反抗もむなしく、彼女はレナによって無理やり着替えさせられ、寝かせられた。疲れ切ったブリュンヒルデはレナの手すら振り払えなかった。
次にブリュンヒルデが目覚めた時、そこはケルシャではなく帝都の屋敷だった。
「ここは私の部屋!? 一体どうして……」
「お嬢様、お気が付かれて良かったですわ。もう何も心配ございませんからね」
優しい声でマルティア夫人が言う。傍にはレナもいた。
「それはどういうこと……モラート代官は納得してくれたの? レナ、あれからどうなったの!?」
興奮状態になったブリュンヒルデをマルティア夫人はなんとか宥め、小さい子をあやすように、ゆっくりとした口調で言う。
「お嬢様は何も心配はいりません。すべて旦那様が良いようにしてくださいます」
マルティアはそれだけを繰り返した。根幹には一切触れさせず、ただブリュンヒルデを嗜める彼女の態度にブリュンヒルデは違和感しかなかった。
「レナ、何があったの?」
ブリュンヒルデが彼女に視線をやると、専属侍女の彼女は狼狽えた。マルティア夫人は慌てて釈明した。
「あんな恐ろしいことがあったんですもの、レナも疲れているんですよ。お嬢様、どうか、あちらでのことは忘れてゆっくりとお休みください。ね」
マルティア夫人の言葉は優しさと焦りからできていた。ブリュンヒルデはそれを敏感に感じ取った。
「マルティア夫人。火災の件はどうなったの? 私は処罰されるのよね?」
ブリュンヒルデははっきりと口に出した。するとマルティア夫人は目を丸くした後、苛立ったように眉間にしわを寄せた。
「まあ! お嬢様が処罰されるなんてこと、絶対にあるはずがございません!! あの火災はミレッカーの火の不始末ですよ!! 本当に災難でしたね。お嬢様。信頼していた護衛騎士の火の不始末でお嬢様の名誉が汚されるところでしたよ」
「どういうこと!? なぜミレッカーが捕えられたの!?」
ブリュンヒルデが目見開き、マルティア夫人を問い詰めた。その気迫に驚きながらも、マルティアは丁寧に話した。それによると、ブリュンヒルデがクララを誘拐したことは彼女に懸想したミレッカーの一存だったことにされており、ケルシャの火事は焚火の不始末が原因だったとされていた。
「お嬢様は被害者ですから、婚約破棄のことはご心配されませんよう。きっと誤解が解けてまた婚約が結ばれますわ。少しばかり世間がうるさいでしょうけれど堂々として下さいまし」
マルティア夫人はブリュンヒルデを励ますように言った。しかし、ブリュンヒルデの頭の中はミレッカーのことで一杯だった。居てもたっても居られなくなり、ブリュンヒルデは寝巻のまま部屋を飛び出した。マルティア夫人の制止の声を無視し、手すりの拭き掃除をしていたメイドにブリュンヒルデは悲鳴じみた声で二日間の出来事を教えて欲しいと叫んだ。
マルティア夫人の言葉が嘘であればいいという期待を込めて。




