第二十二話 騎士の思い
ミレッカーは伝書バトを飛ばし、各隊に獣の情報を送った。
「巣があるかもしれません。一度戻って討伐隊を組みましょう」
「こ、子供はどうするの。他の部隊に捜索させるといっても、果樹園は広いわ」
ブリュンヒルデの言葉にミレッカーは無言だった。ブリュンヒルデは言った後で質問の愚かさに気づいた。
(ご、護衛騎士に愚問だったわ……。彼らは私を守るためにいるんだもの。魔獣がうろつく森の中にとどまるわけにはいかない)
ここで引き返すのが当然だ。そうしなければならない。もし、子供を助けたとしてもブリュンヒルデに傷一つでもつけば彼らは処罰される。さらに、子供も助けられない上に部隊全滅の恐れもあり、彼ら亡き後も主人を守れなかった不名誉を抱くことになるのだ。しかし、ブリュンヒルデの心は揺れた。どっちを選んでも後悔する。
「……我が儘を言ったわ。ごめんなさい」
俯くブリュンヒルデにミレッカーが口を開く。
「お嬢様は本当に変わられましたね。自分の目的のために他人を振り回すのがお嬢様の生き方だと思っていたのですが、今は他者を慮ることができるようです」
ミレッカーは少しだけ笑う。
「この状況でなければ喜ばしいことなのですが、今は以前のお嬢様の性格が恋しいですね」
「ミレッカー卿?」
「命じて下さい。わがままに。子供を助けろと」
ミレッカー卿は不敵に笑う。同時に金属音がした。振り返ると他の騎士たちが剣を垂直に構え、ミレッカーと同様の顔でブリュンヒルデを見る。
「ご命令をどうぞ」
「我らの命はお嬢様のものです」
「すべてを捧げます」
騎士たちの忠誠がそのままブリュンヒルデに向けられる。ブリュンヒルデは体が震えた。感謝と感動、そして後悔。自分が彼らの命を背負う恐ろしさに寒気がした。
「クララ」
「は、はい!!」
元気よくクララが返事をする。
(皆が無事に助かる方法……ヒロインの覚醒にかけるしかない)
「薔薇の乙女は知っているわね? あなたは薔薇の乙女なの! だからお願い、力を目覚めさせて!」
ブリュンヒルデの言葉にクララは戸惑う。なにしろ先祖代々にわたる平凡な家系だ。薔薇の乙女などと恐れ多い存在であるはずがない。
「ち、違います。私はそんな人じゃありませんっ!!」
「信じてちょうだい! あなたは薔薇の乙女なの! この国を救う希望なのよ!!」
「ご、ごめんなさい……本当に……私は……」
クララの顔は歪む。目尻がじわりと湿り気を帯び、そこからぽろりと涙が溢れる。期待に応えられない口惜しさ、失望させてしまう恐れ。クララの顔はそんな感情に溢れていた。ブリュンヒルデはその涙でようやく、ここがゲームではなく現実だと思い知った。
(バカだ私……。ゲームだからって舞い上がってた。クララは普通の女の子なのに無理やり連れてきて怖い思いをさせて無理難題突き付けて……傲慢もいいとこだわ)
ブリュンヒルデは己の浅はかさに嫌悪した。ゲームヒロインに固執せず、この周囲一帯を封鎖すれば最悪を防げた。冒険者や傭兵を派遣して駆除に当たらせても良かった。ブリュンヒルデは今頃、そんなことを考え出した。
ぎゅっと握った拳から鮮血が滴る。
「ブ、ブリュンヒルデ様っ……! 血がっ!!」
「己の馬鹿さ加減に苛立っただけだから気にしないで。いい薬になったわ。ごめんねクララ。無理を言ったわ」
「そんな……」
クララは首を振る。ぽろぽろと流れる涙は真珠のようだった。緑の目が大きく揺れた。
「どうかしたの?」
「少し……寒くて」
真っ青なクララにヘルモルト卿が上着を脱いで羽織らせた。無言だったが、その所作は思いやりに溢れている。
(寡黙だけど優しい方なのね。ミレッカー卿もそうだけど、騎士の方って本当にすごいわ)
ブリュンヒルデは思わず見ほれる。姿かたちではなく、ヘルモルトの心根に感じ入ったのだ。
「お嬢様も上着をご所望なら、遠慮なさらず」
「大丈夫よ。しっかり着込んでいるから。ありがとう……。ミレッカー卿、我が儘を聞いてください。私と一緒に地獄までついてきて」
「御心のままに」
「ヘルモルト卿はクララを全速力で屋敷まで届けて下さい」
ブリュンヒルデの言葉に一同は目を見開く。クララが先に口を開いた。
「わ、私も一緒に行きます! 人数が多い方が捜索もしやすいですしっ!」
「ダメよ」
ブリュンヒルデは言い切った。大きくないが、周囲を圧倒させる威厳があった。ブリュンヒルデは緑の瞳をヘルモルトに向けた。
「ヘルモルト卿。ブリュンヒルデ・ホルンベルガーの名において命じます。クララを今すぐに屋敷まで連れ帰りなさい。それがあなたの最重要任務です」
ブリュンヒルデの言葉にヘルモルト卿は目を大きく揺らしたが、深くお辞儀をした。
「クララ嬢。口を閉じてください。飛ばします」
彼はそう言うと馬を飛ばしてブリュンヒルデの命じたとおりに動いた。残された騎士は動かず、ただブリュンヒルデの言葉を待った。
「ノイラート卿、オルフ卿。あなた方は……申し訳ありませんが、私と一緒についてきてください」
「御意」
「かしこまりまして」
二人は礼をした。落ち着いた彼らの表情を見てブリュンヒルデは無性に泣きたくなった。ふいに温もりがブリュンヒルデを包んだ。ミレッカー卿が上着を被せたのだ。
「風が出てきました。ないよりマシですから被っていてください」
「……ありがとう、ございます」
優しさが心にしみてブリュンヒルデは思わず震えた。




