第二十一話 エンカウント
半月の明かりは心もとないが、それでもないよりはマシだ。農地はともかく、森に入ると夜空の月がまるで天の慈悲のように感じる。
「お嬢様。寒くありませんか? 夜は冷えますから」
「大丈夫です。着込んでいますので」
ミレッカーはあれからちょくちょくブリュンヒルデに絡んでくるようになった。無礼甚だしいが、彼と会話すると筋肉のこわばりがほどける。故意に毒舌を吐いて緊張を解してくれているんだろう。護衛騎士に任じられるくらいだから腕も相当立つはずだ。
(顔良し、気配りもできてスマートなのにモブってのが勿体ないわ……。攻略キャラだったらさぞやカプ論争に火がついたでしょうに)
ブリュンヒルデはミレッカーの可能性について考えた。しかし、ゲームに出ていないミレッカーは単なる三次元でしかないため、根っからの腐女子のブリュンヒルデは早々に興味をなくした。
森を突き進み、果樹園に行く。子供の家族が持つ土地がそこにあるのだ。村は別の部隊が捜索しているため、奥に行きたいブリュンヒルデがそこの担当を主張した。少しばかりの問答があったのち、ミレッカーはしぶしぶ許可を出した。
「私から絶対に離れないで下さい。有事の際は必ず私の言葉を聞いてくださいね」
ミレッカーの言葉にブリュンヒルデはやむなく首肯した。面倒をかけている自覚は大いにあった。
(公爵令嬢を連れて獣が跋扈する夜の森に行くなんて本当に厄介だよね……できることなら私も屋敷で高いびきかいていたいけど、魔獣の存在を知っているのは私だけだからなぁ……。話しても笑い飛ばされるだろうしさ)
ブリュンヒルデはしょんぼりと肩を落とす。
ミレッカーは少し困ったように笑いながら、慰めるように言った。
「お嬢様、森の散策なら午前中がお勧めですよ。美しい鳥の鳴き声と森林と日光が織りなす絶景を堪能できます。ご希望があれば明日にでもお連れしましょう」
不平不満があるだろうに、ブリュンヒルデのわがままに振り回されてもなお気遣ってくれるミレッカーの優しい声にブリュンヒルデは申し訳なさを目いっぱい感じるのだった。
森をさらに深く進む。
騎士たちが子供の名前を呼び回るがウンともスンとも答えない。だが代わりに一羽の小鳥が近くを舞う。暗がりではっきりと色は分からないが、全体が煤けた感じだ。大きさはスズメくらい。
「何の小鳥かしら」
「ハニーガイドって名前の鳥です! この子、人間の言葉がわかるんですよ。ミツバチの巣に案内してくれるんですよ。果樹園ですからミツバチがいるんでしょうね」
クララが嬉しそうに言った。
「名は体を表すって感じの名前ね。人間の言葉がわかるなんて」
さすが異世界……と続けようとしたブリュンヒルデだが、不意に記憶の蓋がパカっと開く。
(なんだっけ、何か記憶にあるような……)
開ききった記憶が脳内になだれ込む。
『ハニーガイド……、日本語だとミツオシエ科ですね。この小鳥は面白いことに人間の言葉がわかるんです。アフリカの研究結果でも報告されていまして、蜂蜜を探している人間を誘導してハチミツのおこぼれにあずかるんですよ』
ブリュンヒルデの脳内にベラベラとしゃべるプロデューサーの映像が映し出される。
(な。なんでプロデューサーがハニーガイドの話してるの……。このゲームにハニーガイドが必要な部分ってあったっけ?)
ブリュンヒルデは一生懸命記憶の箱をつつきまわす。
(思い出せ思い出せ、ミツバチは……たしか……ラーテルの好物……!!)
「お嬢様、振り落とされないように私につかまってくださいっ!!」
ミレッカーの声が響く。前方にらんらんと赤く光る二つの目があった。騎士二人が突撃するが、獣は避けようともせず向かってくる。騎士の一人が剣を振り抜くが、獣の外皮はそれを跳ね返した。
「剣が効かないっ!?」
驚く騎士にブリュンヒルデが叫ぶ。
「この獣は頭から尾っぽまで分厚い装甲のような外皮に覆われているの!! 仰向けにして!! お腹に装甲はないから!!」
「ノイラート卿! 獣を引き付けろ!! オルフ卿、薪を投げつけろ! 横っ腹にあててひっくり返すんだ!」
ミレッカーはブリュンヒルデの言葉を疑うことなく受け入れ、そして即座に対応策を考えた。部下たちは阿吽の呼吸で指示通りに動き、見事一頭を仕留めた。
「気を緩めるな。他に隠れているかもしれない」
「は!」
「了解!」
ノイラートとオルフは敬礼した。剣の柄を握ったまま、周囲を注意深く見る。
「お嬢様はこの獣をご存じだったのですか? 弱点を知らなければ危うい所でした」
ミレッカーの青い瞳が探るように見つめてくる。
「……ええ、まあ。本で」
「本ですか」
「魔獣の」
嘘ではない。この世界、子供向けに魔獣図鑑がある。おとぎ話の域を出ないが、簡単な挿絵と特徴が綴られている。
気まずくなってブリュンヒルデが視線を逸らすが、ミレッカーは少し考えた後、ブリュンヒルデに話しかけた。
「恐れながら、今でも半信半疑ですが、あのような獣ははじめて見ます。人づてに聞いたこともありません。ですので、お嬢様のおっしゃる通り、あれは魔獣なのでしょう。存在を疑って申し訳ありませんでした。あなたのおかげで脅威を未然に防ぐことができそうです」
凛とした声はどこにもからかいの要素がなく、むしろ敬意がいっぱいに込められていた。思わず仰ぎ見るとミレッカーの青い瞳と視線が交わる。貫かれそうなほどのまっすぐな視線、引き締まった顔。騎士らしい彼の顔にブリュンヒルデは思わず、(こいつ、攻めだな!)と感じた。どこまでも腐りきった女だった。




