第十八話 敵地へいざ行かん
ブリュンヒルデの命令の下、本作のヒロイン、クララ・メルベートがブリュンヒルデの前に引っ立てられてきた。買い物中、いきなり連れ出された彼女は恐怖に顔が引きつっている。
「あ、あの……私はしがない町娘です。どうかお許しを……」
涙目で訴えるクララにブリュンヒルデは自分の犯罪に気づいた。
(やべえええ!!! 考えなしに動いたけど、これ誘拐じゃん!!!! ゲーム原作と同じ事やってんじゃん!!!)
ヒィィと脳内で悲鳴を上げ、ブリュンヒルデは遠い目をした。
(終わった……。さらばエミヴォル。さらば尊きオタ人生……)
どのルートでもブリュンヒルデの末路は悲惨だ。悪いことをすればその報いが返ってくるのは真理である。
(まあいいや……魔獣の居ない世界で幸せになってくれ。推したちよ……)
ブリュンヒルデは胸の痛みを抱えながら、バラ色の人生を諦めた。それくらいこの件は重要なのだ。今動かなければブリュンヒルデは絶対に後悔するだろう。
(正義のためとかそんな殊勝な心根はもってないけど、土地が壊滅すると知っていてスルーするなんて小心者の私に耐えられないんだよー!)
うっすら涙を浮かべるブリュンヒルデにレナが声をかけた。
「お、お嬢様。大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫よ。ちょっとばかり世を儚んでいただけ……コホン。えっと、クララさんね。いきなり拉致してごめんなさい。どうしてもあなたに協力してもらわないといけないことがあるの」
「え? 私がですが!? 私、何もできませんよ? 本当に何も取り柄がなくて……」
慌てるクララにブリュンヒルデは近寄り、緑の目で彼女を見据えた。
「いいえ、あなたは凄いの。そしてわたくしはあなたを必要としているの。恨んでも憎んでもいいから、わたくしについてきて」
その迫力にクララは思わずウンと頷いた。押しに弱い性格なのと、美しいブリュンヒルデに見ほれてしまったからだ。中身は腐っているが、ブリュンヒルデは絶世の美女である。美しいものに対して脳は正直なのである。
ブリュンヒルデはクララの同意が取れたことに安心し、護衛騎士団と共にさっそくケルシャ地帯へ馬車を飛ばした。帝都から四日ほどかかるが、ブリュンヒルデは速度を重視させた。途中、腰が痛くて泣きそうになったが、魔獣に蹂躙された土地を思うと痛みも吹っ飛ぶ。そして魔獣の被害が広がれば、食料がなくなってしまう。
(くっ……!! ご飯の心配をしなくちゃいけないなんてそんなの悲しすぎる)
初の一人暮らしで、収支計算をミスった前世のブリュンヒルデは数日、ひもじい暮らしをしたことがある。あれは地獄だった。
全くの自業自得だが、飢えた経験があるゆえにブリュンヒルデは人ごとだと思えないのだ。
クララは腰の痛みに泣きそうになったが、美しいブリュンヒルデの思いつめた顔が心配で文句を言わずに我慢した。
一心不乱に目的地へと飛ばした馬車は、子爵よりも早くケルシャに到着した。長時間馬車に揺られた挙句、満足に睡眠をとれなかったブリュンヒルデはボロボロだったが、出迎えた領民たちはむしろ感動した。
(公爵令嬢ともあろう方が、我々を心配して駆けつけて下さったのか)
ケルシャの代官モラートは涙ぐみながら手を合わせた。
ブリュンヒルデは挨拶もそこそこに、魔獣の出没状況を尋ねた。代官は魔獣という言葉に驚き、大げさすぎるとブリュンヒルデを宥めた。
「騎士団の派遣を要請はしましたが、農夫を襲うのは大型の獣でございます。魔獣は……その、この世に存在しておりませんよ」
(やっぱり皆に魔獣の存在を知らせるのは難しそうね。中級クラスなら魔獣だって言えるけど、雑魚だと獣みたいなもんだし……)
代官の言葉にブリュンヒルデは頭を抱える。難しい顔のブリュンヒルデの手に柔らかいものが触れる。温かい手はクララのものだった。
「お、お嬢様。わたし、信じます。魔獣が出るというのなら、そうなんでしょう」
澄んだ緑の目はとても美しい。その緑の目に励まされてブリュンヒルデは心が温かくなる。
(さすがヒロイン。なんかこう……見ているだけで元気が出るわ! というかいきなり誘拐したのに不平不満も言わずに付き合ってくれるなんて天使過ぎる……!!)
「ありがとう。クララ。わたくしのことはブリュンヒルデと呼んで」
ブリュンヒルデが微笑むとクララは嬉しそうに笑った。
(癒されたおかげで覚悟はできたわ。とっとと魔獣退治して食卓を守り切るわよ!!)
ブリュンヒルデは気を引き締めた。
(モンスターはどっかに巣を作っているハズ。そこを叩けば一網打尽にできるわ。薔薇の乙女はモンスターの気配を感じることができるから、彼女に先導してもらえば……)
ブリュンヒルデはクララをもう一度見た。
クララの体が跳ね、緊張した顔つきになる。
「な、なんでしょうかっ」
「ねえ、クララ、どこからか変な気配とかしない?」
「へ、変な気配ですか?」
クララは唐突なブリュンヒルデの問いに目を瞬く。急に言われて困惑した彼女はおろおろと狼狽する。平々凡々な人生を生きるクララに気配を探るなどという概念はない。
(ううーん。いくら主人公でも知識なしに無理か……。そういや気配を探るようになるのも覚醒後だったっけ……)
例えるなら、警察犬に匂いをかがせずターゲットを見つけろと言っているようなものだ。目論見が外れてしょげて項垂れるブリュンヒルデをクララは戸惑いながらも心配そうに見つめた。
「お、お役に立てなくてごめんなさいっ!」
謝るクララにブリュンヒルデはじわりと目が湿る。
(な、なんていい子……さすがヒロイン。ていうか、よく考えたら私、この子を攫って長時間拘束した挙句無茶ぶりかましてるのよね……。それでも不平を言うどころか私を心配するなんてまさに天使!)
ブリュンヒルデは感動した。
「いえ、いいのよ。無理やり攫ってきて本当に悪かったわ。ごめんなさい」
「あ、いいえ。ちょっと驚きましたけど、でも何か理由があったんですよね? わ、わたしで良ければ頑張りますから!!」
クララは拳をぎゅっと握って必死にブリュンヒルデを励ます。見れば見るほど元気になれる。
(こうなったら、何が何でも魔獣を倒してやるわ!!)
ブリュンヒルデは主人公パワーすげぇと思いながら、萎れたやる気を復活させた。




