第十七話 腐女子、驚く
ブリュンヒルデは朝から頭を悩ましていた。
「はぁ~。薔薇祭りまであと三か月しかないってのに、全くいい案が思いつかないわっ!!」
エミヴォル妄想は捗るが、皇后に出された条件を突破する一手が中々出てこないのだ。
「善行っていってもなあ。慈善事業はホルンベルガー家自体が色々手を出してるし、今更ド素人の私の出る幕なんてないんだよね」
富と権力を有するホルンベルガー公爵家は皇帝と帝国民のため、代々尽くしてきた。医療施設、救貧院、学校の創設……予算が不足する他の領地には低金利で金を貸してやり、なんなら技術指導すらしてやる親切ぶりだ。それは素晴らしいことなのだが、ブリュンヒルデにとって災難だった。
「これじゃあ、ちょっとやそっとの善行も霞んじゃうよ……ほんっとどうしよう」
ブリュンヒルデは半泣きだった。
前世の知識を生かそうにも、ブリュンヒルデは目立った知識や特技など皆無だ。ゲームの知識も今は本編前なのでほとんど役に立たない。
「あああ!!! どうしようどうしようこのままじゃ婚約破棄されちゃう!!エミヴォルと無縁の人生になってしまう!! そんな灰色の人生なんて絶対嫌だ!!!」
頭を抱えるブリュンヒルデに突然、来客の知らせが舞い込んできた。本来なら公爵、あるいは公爵夫人が対応すべきなのだが、不在だったためブリュンヒルデに白羽の矢が立ったのだ。
「お客様? 誰かしら。お父様がお帰りになるまでお待ちいただくことはできる?」
「ホルンベルガー傘下、ペルグラン子爵のテオール様です。火急の用件で一刻も争うそうです」
「あらまあ……わたくしに話をしてもムダだと思いますけれど、お話だけは聞くとしましょう」
ブリュンヒルデは気分転換を兼ねて応接室に行った。険しい顔をした初老の男性がブリュンヒルデを縋るような目で見た。ペルグラン子爵は小柄ながら、がっしりとした体格の持ち主だった。日に焼けた肌は礼装よりも甲冑が似合うだろう。
「おお、お嬢様。わたくしはペルグラン子爵、テオールと申します。急な来訪にもかかわらず、迎えて下さって感謝いたします!!」
「おほほほ。ホルンベルガーの繁栄もあなた方の協力あってのことだと重々承知しておりますわ。お相手がわたくしなのが申し訳ないのですが、お話だけでもお聞きしようと参りました」
ブリュンヒルデが言うとペルグラン子爵は緊張がほどけたような顔で涙ぐむ。
「ありがとうございます。聞き届けて頂けなければどうしようかと案じておりました……」
大げさなペルグラン子爵の言葉にブリュンヒルデは心の中で(聞くだけだよ~。私に何の権限もないよ~)と突っ込む。なにしろ単なる公爵令嬢のブリュンヒルデに権限などあるはずがない。父から権力の塊のような指輪を貰ったが、身に過ぎた力は身を亡ぼす。ブリュンヒルデはあくまで外野として聞いた。
「ペルグラン子爵、ご相談事は何でしょうか?」
「おお、そうでした。コホン……相談事と言うのは、我が領土での異変です」
深刻な顔でペルグラン子爵が話し始めた。
「私の領土にケルシャという農業地帯があるのですが、そこでモンスターの集団が跋扈し、農夫を襲い始めたのです。傭兵や冒険者に退治を依頼したのですが、狩っても狩ってもすぐまた這い出てしまい、中々駆除できません」
「まあ、それは大変ですわ!!」
ブリュンヒルデは前のめりになる。害獣のタチの悪さは伝聞であるが知っているつもりだ。そして農業が打撃を受けると野菜の値段が高くなって日々の生活が圧迫する。
「おお、わかって頂けますか!!」
ペルグラン子爵は感動した。
令嬢特有の優しさから同情はしてくれるだろうと思ったが、本質を理解してもらえるとは思っていなかった。
「お嬢様、どうか公爵専属の騎士団……ティーガ騎士団の派遣をお願いしてもよろしいでしょうか……!! 獣は強く、上級の冒険者でようやく倒せるほどなのです」
「き、騎士団の派遣は確約できませんが、お父様にお願いしてみます。参考までにどんな獣か教えて頂けますか?」
獣によって対策方法は変わってくる。ブリュンヒルデは狼を想定して色々と考えた。
(狼の駆除はどうするんだったっけ……。現代なら狼の鳴き声の録音を流して別の狼の縄張りと誤認させる手法があったわね。大型犬で代用できないかしら)
必死こいてブリュンヒルデがひねり出した案だが、ペルグラン子爵の言葉に霧散した。
「あ、はい。イタチのような……イノシシのような……よくわからないのです。矢や刃が刺さらないので火を放って退治をしていますが、畑に燃え移らないかとひやひやしておりまして……おや、どうなさいました。お顔の色が悪くなってきましたが」
真っ青になったブリュンヒルデを子爵が気遣う。協力を得られると聞いて血色が良くなった彼とブリュンヒルデの顔は対照的だった。
(姿かたちはともかく、刃が刺さらないなんて魔獣じゃん!! 一体どうなってんのよ。魔獣が登場するのは薔薇祭りの当日でしょー!!)
ブリュンヒルデは脳内で慌てふためく。
この世界、モンスターは存在するが魔鉱石から生成される武器のおかげで退治できる。しかし、ゲームの敵役である魔獣に対しては全く役に立たない。
(雑魚なら火でなんとかなるかもだけど、中級魔獣は人間の手に負えないわよ!!! 覚醒したヒロインか、もしくは覚醒ヒロインから力を与えられた攻略キャラクターしか退治できないんだからあ!!!! 精鋭ぞろいのウチの騎士団でも瞬殺よ瞬殺!!)
ブリュンヒルデは頭の中で絶叫した。
そもそも乙女ゲーム『薔薇の乙女』は薔薇祭りを魔獣が強襲した際、聖なる力に目覚めたヒロインが皆を救い、伝説の『薔薇の乙女』だと皆が讃え、物語が始動する。
魔獣は伝説上の存在とされていたため、子爵がピンと来ないのも仕方がない。
(魔獣はこの時点で発生していたというの!? ああ……でも考えてみれば魔獣がいきなり帝都のど真ん中に現れるなんて変よね。もしかしてケルシャ産の穀物に魔獣の卵が引っ付いて薔薇祭りの当日に孵化したのかしら……。)
ブリュンヒルデの脳裏にナレーションの冷たい声が響く。
『魔獣が各地で発生し、特にペルグラン子爵領が甚大な被害を受けた』
当時、さらっと読み流した一文だが、よく考えると魔獣の卵がひっついた農作物が各地に輸送された結果ではないだろうか。
暗い顔で考え込むブリュンヒルデを子爵は心配した。
「お、お嬢様。だい、大丈夫でしょうか?」
「……ぜんっぜん大丈夫じゃないわ。うちの騎士が強いとはいえ、魔獣を駆除するには力不足。子爵、すぐに早馬を飛ばして近隣住民を避難させて! 傭兵や冒険者は住民の護衛をして魔獣に近寄らないで!!」
ブリュンヒルデの言葉に子爵は目を丸くした。
「お、お嬢様。獣退治に大げさすぎますぞ。ティーガ騎士団は勇猛果敢で知られる猛者ぞろい、傭兵や冒険者で歯が立たなくとも彼らがいれば安心でございます。それに魔獣だなんてそんな……」
子爵は思わず苦笑した。今時、子供でも魔獣など信じない。あれは遥か昔の伝説で、薔薇祭りのときに場を盛り立てるため、大道芸人が扮する仮装に過ぎない。
「いいからわたくしの命令に従いなさい!! レナ、わたくしの部屋から宝石箱を持ってきて!!」
レナは言われた通りに持ってきた。金銀をあしらった美しい箱を受け取ると、ブリュンヒルデはテーブルの上にドンと置いた。
「農作業ができないと領民が飢えてしまうのもわかる。税収も見込めなくなるのも理解できる。領民の生活費と次の年までの予算、必ず支払うから言うことを聞きなさい。これは手付金よ」
ブリュンヒルデの緑の目がぎろりと子爵を睨む。大きく見開かれた目、不機嫌そうに寄った皺、悪役令嬢に相応しい美しくも凶悪な顔が子爵に圧をかける。圧倒的な迫力に子爵は息をのんだ。猛獣に退治された子ウサギのようにプルプルと震え、彼はブリュンヒルデの命令を飲み、逃げるようにホルンベルガー公爵邸を後にした。
「こうしちゃいられない!! レナ、出かける用意を……いえ、人をやって亜麻色の髪で濃い緑の目、最近越してきた十六歳の少女を探させて」
この広い街をブリュンヒルデ一人で探すのは無理がある。最近の公爵の傾向からして、多少の無茶をしたところで叱責されることはないだろう。
「愛娘の権力、思いっきり使ってやる!!!」