第十一話 攻略キャラの従兄弟と会う
皇太子とのお茶会を一週間後に控えた公爵家は、急な来客を迎えていた。公爵の弟のシュターデン侯爵ヴィルフリート、そして子息テオドアが久々に帝都に来たのだ。海運業で成功した彼はほとんど陸におらず、海の上で生活していた。
公爵夫妻は大喜びし、朝から使用人に色々と指示を出してもてなしの準備をすすめる。
好感度アップ大作戦で頭がいっぱいのブリュンヒルデは(この時期にわざわざ来ないでくれ!)と声を大にして言いたいが、喜ぶ両親を見ると嫌がるわけにもいかない。
大人しく着せ替え人形となったブリュンヒルデは薄い青色のドレスと輝くダイアモンドを身に着け、叔父と従兄弟を出迎えた。
日に焼けたヴィルフリートはブリュンヒルデを見るなり目を丸くした。そして身振り手振りでその美しさを褒めたたえた。
「ブリュンヒルデ、大きくなった姿をはじめて見たが、これほどまでに美しく成長するとは思わなかった。まるで海の女神じゃないか!」
「おほほほ」
ブリュンヒルデは曖昧に笑ったが、公爵夫妻がここぞとばかりに娘を自慢した。体中が痒くなる言葉を一杯並べられてブリュンヒルデはとても居心地が悪かった。
ふと、視線に気が付いて振り向くと慌ててそっぽむくテオドアがいた。濃い金髪、青い瞳、そしてヴィルフリートと同じく日に焼けた肌の長身で精悍な少年はずいぶんと不愛想だった。
(テオドア……たしか次男だったわね。ブリュンヒルデが皇家に嫁ぐから公爵家の跡取り候補だったっけ。海が好きだから本当は嫌々なんだよね)
彼も攻略キャラの一人だ。クール系不器用な年下キャラとして人気だったが、エミヴォル至上主義のブリュンヒルデは特に彼をどうこうするつもりはない。
ブリュンヒルデがゲームの内容を思い出していると叔父に声をかけられた。
「ブリュンヒルデ、こいつの態度に気を悪くしないでくれ。海軍の士官候補生で女性に不慣れなんだ。そして君が美しすぎて言葉が出ないでいる」
父親の言葉にテオドアはすぐに反応した。威嚇するような猫のように噛みつく。
「ち、父上! 何をバカなことを言っているんですか!!」
「でも、お前も思っただろう? なんて美しいんだって」
いたずらっ子のように言う自分の父親にテオドアはぷいとそっぽを向いた。見れば見るほど猫のようで可愛かった。
ブリュンヒルデが口元を抑えて笑うと、彼は急に顔を赤くして大人しくなった。そこから、彼は言葉を話さなくなり、不愛想のままテーブルに着いた。
大人たちは彼の態度を『照れ隠し』と判断し、特に咎めることもなく、家族の会話を楽しんだ。
「しかし、ヴィル。海の生活はなかなか大変だろう。お前が船に乗ることはないんじゃないのか?」
「兄上、心配はいらん。俺は海が好きなんだ。苦労はあるが、水平線から昇る太陽を見た瞬間、それが全部消え去っていくのさ」
ヴィルフリートはうっとりとした顔で言う。
「ですが、海は恐ろしい病気にかかるというではありませんか」
マルガレーテが顔を青くしていった。
(壊血病ね)
ブリュンヒルデは漠然と思った。なにしろ、海の病気と言えば壊血病が鉄板だ。長い航海でビタミンC不足に陥るため引き起こされる。地球でも200年間解明できなかった恐ろしい病気だった。
「ああ、そのことか。それにはいつも悩まされている。皮膚の炎症は見ているだけでも痛ましい」
ヴィルフリートは表情を暗くする。
ブリュンヒルデは首をかしげる。
(壊血病の特徴って皮膚炎だっけ?)
気になったブリュンヒルデは口を出した。
「海の病気は壊血病……いえ、歯ぐきから血が出るとか、そういったものと記憶しているのですが、違うのですか?」
ブリュンヒルデの問いにヴィルフリートは優しく笑った。
「良く知っているな。だが、壊血病は酢キャベツとライムジンが特効薬なんだ。毎日酢キャベツを食べさせているから問題ないさ」
ヴィルフリートの言葉にブリュンヒルデは安堵するとともに、一方で原因不明の病を恐ろしく思った。
ヴィルフリートはブリュンヒルデの表情が暗いことを気にして話題を変えた。
「さあ、辛気臭い話より、楽しい海の話を聞いてくれ! 実はこの間……」
ヴィルフリートが明るく話す間も、ブリュンヒルデは病気のことで頭がいっぱいだった。
(壊血病じゃないって……それなら、何かしら。もしかして脚気?)
脚気も壊血病と同じくビタミンが不足して起こる病気だ。ブリュンヒルデがあれやこれやを考えているとヴィルフリートの言葉が彼女の記憶に閃きを与えた。
「そうそれで俺は言ってやったんだ。トウモロコシをバカにすると痛い目を見るぞってな」
「トウモロコシ……」
ブリュンヒルデは呟いた。
「ブリュンヒルデ、どうかしたの? トウモロコシが食べたいのかしら?」
マルガレーテが首をかしげて尋ねる。
「い、いえ、そうではなくて……もしかして船ではトウモロコシを召し上がっているのですか?」
「そうだが? パンを焼くわけにはいかないからな」
帝国の主食はパンだが、海の上ではトウモロコシを主食としている。ヴィルフリートはそう言った。
「それだー!!!」
ブリュンヒルデは思わず叫んだ。淑女らしさは遥か彼方に飛んでいった。
「ど、どうしたのブリュンヒルデ」
「何か気にかかることでもあったのか?」
公爵夫妻は娘の奇行を咎めることはなかった。長い間放置していた罪悪感から、二人は立派なバカ親になった。
ブリュンヒルデは二人の度を越した愛情を浴び、正気を取り戻した。
「し、失礼。その……本で見知ったことがあるのですが、トウモロコシだけでは栄養分が足りず、皮膚や粘膜の炎症、精神異常を来すそうです」
海の病気は壊血病だけでなく、ペラグラ症、脚気がある。どれもビタミン不足から来る病気だ。ペラグラ症はビタミンB3、ナイアシン欠乏症ともいわれる。酢キャベツやライムだけでは必要なナイアシンは補えない。
そしてペラグラは日光に当たることによって発症しやすくなる。海の男はまさにその条件にぴったりだ。そして酒の分解にナイアシンが必要であるため、毎晩ジンを飲んでいるならさぞかしナイアシンの減りが早いだろう。叔父が無事なのは高官はプランターで栽培した野菜類を口にできるからだろう。
「なんと……それは本当か?」
「まあ、たぶん」
言葉を濁したのはウロ覚えだからだ。どっかで見た本の受け売りである。専門家でもなければ実体験もない。ブリュンヒルデの思い込みという可能性もある。
(ナイアシン……カツオの刺身がいいんだったっけ。しかしそもそも帝国人は刺身を食べないしな)
日本が誇る寿司が海外に広まったのは近年の事。むかしは野蛮と忌避されていた悲しい歴史がある。そしてさらに悲しいのはマグロのトロ部分を捨てていたそうだ。なんてひどい。
(ああくそ、刺身のことを思い出したら寿司が食べたくなったわ。新鮮な魚の美味しさを思い出しただけでよだれが……)
ブリュンヒルデは醜態をさらすまいと咳払いをして頭を切り替えた。
「叔父様、ピーナッツやコーヒーを摂取してください。それで効果を確認すると良いでしょう」
「それを摂取すればいいのか?」
「ええ、まあ。壊血病やペラグラは必要な栄養素が不足して起こります。その因子を薬剤として使えるようになればもっと便利でしょうね」
ブリュンヒルデはサプリの存在を思い浮かべる。しかし、どうやって作るのかさっぱりわからない。とりあえず言ってみるだけ言ってみた。
「ふぅむ。壊血病が何らかの栄養不足で起こるという説は聞いたことがある。どこかの大学が一つの仮説を立てていたが、資金不足で立ち消えになっていたな」
ヴィルフリートは思案する。
すかさずディートリッヒが言った。
「ならば私が資金を出そうじゃないか。ついでにペラグラと脚気がどんな栄養不足なのか研究してもらえばいい。もちろん、ウチの設備をどんどん使って貰ってな」
ディートリッヒの言葉にヴィルフリートは目を輝かせる。
「それはいい! それが成れば大勢の船乗りたちを救えるぞ!」
ヴィルフリートは豪快に笑って喜んだ。二人はさらに投資内容など複雑な話を議論し合い、公爵夫人は退屈そうにため息をついた。
テオドアは初めて口を開いた。
「悪女って聞いたけど、そうでもないんだな」
不器用な彼なりの誉め言葉だったが、ヴィルフリートはゲンコツを彼の頭上にお見舞いした。
「ブリュンヒルデ、すまん!! こいつは口が悪いんだ!!」
「叔父様。お気になさらず。事実でしたし、テオドアに悪気がないことくらいわかっていますわ」
にこっとブリュンヒルデが答える。美しい笑みと大人の対応にヴィルフリートは彼女を褒めたたえ、公爵夫妻を喜ばした。
食事会が終わった後、自室へ戻るブリュンヒルデをテオドアが呼び止めた。
「お、おい」
「はい?」
振り向くと青い瞳と目が合った。彼はぶっきらぼうに言う。
「わ、悪かった。君を傷つける気はなかった」
頭をくしゃりと掻いて彼は言った。そして恥ずかしそうに俯く。女性が苦手なのにわざわざ話しかけてきた彼の心を思うと、笑みが浮かぶ。
「まあ、わたくしを気にして言いに来てくれたのね。ありがとう。でも、悪女だったのは本当だから……まあ、その。ホルンベルガーの名誉を汚さないように気を付けるわ」
「ち、ちがう!! いや、その! 悪評を振りまく奴が悪いんだ! 俺が、君を悪く言う奴がいたらぶっ飛ばしてやる!」
テオドアが叫び、拳を握る。
気迫にびっくりしてブリュンヒルデは目を丸くした。ちょっと怯えたようなブリュンヒルデにテオドアは慌てて言い訳をする。
「あ、驚かせて済まない。その……俺は……君を守ると言いたかった」
顔を赤くして言う彼にブリュンヒルデは笑顔を向ける。
「ありがとうございます」
テオドアはブリュンヒルデの微笑を見てさらに顔を赤らめる。だが、今度は逸らさずにまっすぐに見た。この機会を逃したら、もう話せなくなるかもしれない……その焦りが彼に勇気を与えた。
「お、驚かしてしまったお詫びに……何か贈ろうと思う。何が欲しい?」
初恋の甘酸っぱさがぎゅうぎゅうに詰められた言葉に、近くにいたメイドはドキドキと様子を見守っていたが、腐った頭の持ち主であるブリュンヒルデは欲望に忠実に答えた。
「シュターデン侯爵家は海運業を営んでいらっしゃる。でしたら、船にお乗りになるのですよね? 海とまでは申しません。せめて川で釣り体験をさせて下さい」
真顔で頼むブリュンヒルデにテオドアは「は?」と間の抜けた声を出す。
「わたくし、どうしても魚が食べたいのです。それも新鮮な魚が!!」
ブリュンヒルデは拳を握って力説する。
(トロとまで言わない。刺身!! 刺身が食いたいっ!! 新鮮な刺身は醤油とわさびナシでも美味しい!!)
欲を言えば醤油を作りたいが、あれは菌の家畜化が必要である。
(昔の日本人が毒性のある菌を無毒化させたのよね。一番古い書物が古事記だっていうんだから驚きだわ。ウロ覚えだけど)
ブリュンヒルデの懇願にテオドアは頷いた。男に二言はない、彼女に必ず魚を食べさせてあげようと彼は誓った。
後日、テオドアは船を手配させてブリュンヒルデを乗せた。釣りは危ないので代わりにテオドアが吊り上げて彼女に捧げた。狩猟大会で貴婦人に獲物を捧げるのはポピュラーだが、魚を献上するのはめったにないだろう。
ちなみに、女性に縁のない彼は「女性はドレスや宝石よりも生魚を喜ぶ」と士官学校の仲間(同じように女性と縁がない)に言ってしまい、彼の友達の一人が求婚時に魚をプレゼントし、その女性からこんこんと説教されてしまう一幕があるのだが、それは遠い未来の話である。
一方、新鮮な魚を手に入れたブリュンヒルデだが、「生で食べるなんてとんでもない。寄生虫がいるんですよ」とその場にいた全員に止められてしまい、ピッチピチの生魚はバターの風味と香草のアクセントが美味しいポアレになって夕食に提供され、夢破れたブリュンヒルデは涙を流さずにいられなかった。
(どっかの港町で鮨屋を開こう……)
密かな野望を抱いたが、飯炊き三年、握り八年の言葉を思い出し、早々に諦めた。




