流れ星拾い
空から降ってきた流れ星が、遠く大尾根の向こうに尾を曳いて落ちていきました。
それを見たロギ爺が、流れ星を拾いに行かねばならん、と言い出しました。
「大尾根の向こうには、山の神様がおわす。お怒りになられたら大変なことになる」
村で一番長生きで一番知恵のあるロギ爺が言うことに、疑問を持つ者は誰もいませんでした。
そりゃ大変なことになった。
どうすべえ。誰が行くか。
みんなで額を寄せ合って相談していると、ロギ爺はまた言いました。
「流れ星は熱くて冷たくて、ただの人間には触ることはできぬ。流れ星が落ちた晩に生まれた子でなければ」
そう言われて、村の人たちは十五年前にも流れ星が落ちたのを思い出しました。
その時、流れ星は大尾根とは反対側の湖の方に落ちたのでした。
「あの日生まれた子供って言うと」
村役のブランさんが言いました。
「テティとカイか」
「うむ」
ロギ爺は重々しく頷きました。
「疾く、二人を大尾根に派遣すべし」
その話を最初に聞いたとき、カイは水汲みに行く途中でした。
いつもぼんやりしていて、話すこともどこか要領を得ないこの男の子は、みんなからばかにされていました。
もう十五になるのに、一人前の男の仕事はさせてもらえず、できることと言えば水汲みくらい。
力だけは人一倍あるのですが、その使い方をまるで知らないので、その日も言われるままに水汲みをさせられていました。
「俺が、流れ星を拾いに行くのかい」
カイは目をぱちくりさせました。
「行ってもいいけど、一人で行けるかな」
「心配は要らん」
村役のブランさんは言います。
「テティも一緒に行く」
「ああ、テティと一緒か」
カイはにっこり笑いました。
「それならよかった。じゃあ行くよ」
締まりのない顔で笑うカイを見て、ブランさんは内心、本当にカイで大丈夫なのかと不安になったのでした。
テティは、ブランさんが話し終わらないうちにすぐに首を振りました。
「いやよ。行かないわ」
「どうしてかね」
「カイと行くなんて、面倒だし時間の無駄だもの」
テティは勝気な目を光らせて言いました。
「私一人で行ってもいいのなら、行くわ」
テティはとても賢い女の子でした。
同年代の子供たちの中では何をやらせても、一番最初に、一番上手にできました。
だから村では男女を問わず、テティの才能を認めない者はいませんでした。
テティはきっと将来、村のリーダーになる。そう言われていました。
カイとは、まるで正反対です。
小さいときはテティも、同じ日に生まれたカイとまるで双子のように仲良くしていました。
ですが、やがて要領の悪いカイはテティについていけなくなり、テティの方でもカイを相手にしなくなっていきました。
今ではもう二人が会話を交わすこともほとんどありません。
「いいわね、それで」
テティの言葉に、ブランさんは首を振ります。
「だが、ロギ爺がお前たち二人で行けと言っているんだ」
「それなら、私がロギ爺に言うわ」
テティはブランさんに言い返します。
「私が一人で行くって。ロギ爺が認めればいいんでしょ」
これにはブランさんも頷かざるを得ませんでした。
「だめじゃ」
ロギ爺は首を振りました。
「十五年前の同じ日にお主ら二人が生まれたことが、すでに運命であったのだ。行くのは二人。拒否も変更も認めぬ」
あまりに断固とした口調に、さすがのテティもそれ以上は逆らえませんでした。
「何でこんなことになったのかしら」
テティは憤懣やるかたない様子で山道をずんずんと歩きます。
「ま、待ってくれよ、テティ」
はあはあ言いながらカイはその背中を必死に追いかけます。
何をやらせてもだめなカイは、体力までないのでした。
「追いつけないのなら、帰ってもいいよ」
テティは冷たい声で言います。
「あんたが自分で帰ったのなら、私が一人で行ってもロギ爺も何も言えないでしょ」
「帰らないよ」
あごからぽたぽたと汗を流しながら、カイは言います。
「俺だって、流れ星を見たいよ」
「私は別に見たくない」
テティは言いました。
「でも、あんたが見たいなら私が村に持ち帰って見せてあげる。だから、帰っていいよ」
「でも、ロギ爺は俺たち二人で行けって」
カイはもごもごと言います。
「だから、俺も行かなきゃだめなんだ」
「だから、それはさっきも言ったでしょ。あんたが自分で帰れば、ロギ爺だって何も言えないって」
「うん。でも」
「でも、何よ」
「俺も行かなきゃだめなんだ」
「あんたねえ」
テティはそう言いかけてから、このカイという少年が昔から、普段は何もできなくてへらへらしているくせに、たまに変なところでとても頑固だったことを思い出しました。
「分かったわよ」
テティは言いました。
「それなら遅れないようについてきてよね」
「う、うん」
カイの返事を背中で聞いて、テティは山を登る足を速めました。カイの荒い息遣いがたちまち背後に遠ざかります。
これで諦めるかな。
しばらく歩いてからテティが振り返ると、必死の形相で登ってくるカイが見えました。
どうしてもついてくるつもりのようでした。
これ以上置いてきぼりにしたら、カイは遭難してしまうかもしれない。
さすがにテティもそこまでは望んではいませんでした。
深いため息をついて、テティは足を止めました。
「ほら、ついてくるなら頑張ってよ。この先の水場で休憩にしてあげるから」
そう言うと、カイは嬉しそうに頷いたのでした。
カイの体力の無さにいらいらしながらも、そうやってテティは山道を歩き続けました。
大尾根までは一日でたどり着くことはできません。その日は結局、山道の途中で一夜を過ごすことになりました。
簡単な食事を済ませて木の根元にごろりと横になったテティの目に、夜空いっぱいに輝く星々の光が映ります。
広い夜空のどこを探しても、流れ星なんて流れてはいません。
流れ星が落ちたのは、昨夜が実に十五年ぶりのことでした。
「俺たちが生まれた夜にも、流れ星が落ちたんだってさ」
少し離れた木の根元に寝ころんでいたカイが、テティと同じように夜空を見上げながら言いました。
「流れ星が湖に落ちて、その時、テティと俺が生まれたんだ」
テティはちらりとカイを見ました。
カイは、不思議な笑顔を浮かべたまま、夜空から目を離しませんでした。
「どうして、テティだけじゃなくて俺も生まれたのかな」
その言葉の意味が分からず、テティは聞こえないふりをして横を向きました。
カイもそれ以上は何も言わず、二人は気付くと眠っていました。
翌朝早くに二人は起き出すと、また山道を歩き続けました。
そしていくつもの小さな尾根を越えて、その日の夕方、とうとう二人は大尾根にたどり着いたのです。
暗くなりかけた稜線の先に、ぼんやりと明るい光が見えました。
「あれだわ」
テティは駆け出しました。
「あ、待ってくれよ」
カイが慌てて後を追います。
そこは、山の神様を祀る小さな祠でした。
子供一人が身を屈めてやっと通れるくらいのその入り口は、めったに人が来るところでもないにもかかわらず落ち葉もなく、きれいに掃き清められていました。
けれど今は、地面に半ばめり込んだようになった岩が入口を半分塞いでしまっていました。
「流れ星だ」
テティが呟きました。
そうです。
その岩こそが、大尾根に落ちた流れ星でした。
岩は地面にめり込んでいても、夜空で輝いていたときの光の名残をまだその身体に留めていました。
ですので、二人が近付くと、岩は自分が流れ星であったことを思い出したかのように強く輝き始めました。
「うわっ」
カイが悲鳴を上げて顔を手で覆います。
「これが流れ星か、まぶしくてまっすぐ見られない。すごいな」
「呑気なこと言ってないでよ」
そうは言ったものの、テティも眩しさに直視できなくて、手をかざして岩を透かし見ました。
輝く岩――星の欠片は、テティの腕でちょうど一抱えくらいはあります。
さすがにこんな重い岩を一人で持ち上げることはできそうにありませんでした。
やっぱりカイにもついてきてもらってよかったかも。
テティがそう思ったときでした。
『人の子らよ』
突然、二人の頭の中に知らない男の人の声が響きました。
『我の声が聞こえるか』
「これって」
「神様だよ」
カイがはしゃいだ声を上げました。
「すげえや。神様の声が聞こえる」
「神様?」
戸惑うテティに構わず、その声は続けます。
『祠の前に落ちた星の欠片が見えるか』
「見えます、神様」
カイが無邪気に答えました。
『そうか。見えるか』
声は少し笑ったように聞こえました。
『その欠片の光は、我には強すぎる。ちょうど地脈の上に落ちてしまっているそれを、どかしてはくれぬか』
「分かりました、神様」
カイがそう言って、光る岩に近付きます。
「待って、カイ」
テティがその肩を掴みます。
「なんだか変じゃない? 神様なのに、光がまぶしいの?」
「俺たちだってこの岩はまぶしいんだから、神様だって、まぶしいものはまぶしいんじゃないかな」
カイは笑顔で答えました。
「神様にお願いをされるなんて、すごいことじゃないか。テティは見ててくれてもいいよ。俺がやる」
そう言うと、カイは両腕を広げて岩を抱えました。
「ええいっ」
カイが力を込めると、岩はぐらりと動きました。
「動いた。持てるよ」
カイはそう言って、さらに力を込めます。
岩はそれに刺激されたかのように、ますます激しく光りました。
その光に晒されて、カイの身体はまるで透明な魚のようでした。
「待って。待って、カイ」
何か恐ろしいことが起きてしまいそうで、テティは叫びました。
あんなに強い光をまともに浴びて、大丈夫なわけがない。
そう思いました。
「だめだよ、カイ。その岩は、きっとそんな風に持っちゃいけない」
けれどカイは笑顔で首を振りました。
「いや、テティ。これでいいんだよ」
カイはそう言うと、地面から岩を引っこ抜きました。
光がさらに強くなります。
「やっと分かった気がする」
カイは言いました。
「ずっと、不思議だったんだ」
岩は、まるで太陽のように強い光を放っていました。
テティにはもう、岩だけでなくカイの姿も見ることができませんでした。
洪水のように溢れ出す光の中で、カイの声だけが聞こえました。
「こんな俺がどうして、テティと一緒に生まれたのか。流れ星が落ちた夜に生まれるだなんて、俺にはまるで似合わないのに」
この世の終わりのような光に包まれているというのに、カイの声はひどく穏やかでした。
「でも、そうだ。それは今日、この日のためだったんだな」
「カイ!」
テティは叫びました。
「岩を放しなさい!」
「ありがとう、テティ」
カイの声が言いました。
「俺をここまで連れて来てくれて。俺に生まれた意味を与えてくれて」
「カイ!」
不意に、光が収まりました。
突然の暗さに目が追い付かず、テティはやはり何も見えないままでカイの名を呼びました。
けれど、返事はありませんでした。
ようやく物が見えるようになったテティが目にしたのは、祠の入り口から少し離れたところに無造作にごろんと投げ出された岩でした。
もう光を発していないその流れ星の欠片は、この山のどこにでも転がっているつまらないただの岩とまるで変わらないように見えました。
「カイ!」
テティはもう一度叫びました。
けれど、カイの姿はもうどこにもありませんでした。
ただ、そこにカイが確かにいたことを物語るように、白い微かな煙が立ち上っていました。
テティはそっと岩に手を触れました。
あんなに重かったはずの岩は、まるですかすかの軽石のようになっていました。
そこでいくら待っても、もうさっきの男の人の声は聞こえませんでした。
仕方なく、テティは岩を持ち上げると、一人、帰路に着きました。
村の人々は、きっとテティの勇気を称えてくれるでしょう。
そして、カイを悼んでくれるでしょう。
けれど、いなくなってしまったカイのことは、やがて忘れてしまうでしょう。
そう考えるとテティは、まるで自分の身体の一部を失ってしまったような、そんなやるせない気持ちになるのでした。