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63 偶然でも、奇跡でもない



 はらはらと舞い散る雪が、湖に溶けて消えていく。

 白一色の雪景色の中、澄んだ青色の湖面が光を反射して、キラキラと輝いていた。


 ここは、北国フルカ。

 シェラが7歳まで過ごした、真っ白な雪の国。


 結婚披露宴式典から四か月後、シェラはルディオとともに、フルカに向けて旅立った。

 ヴェータからの敗戦国の譲渡が正式に決まり、道中の視察も兼ねて、フルカを目指すことになったのだ。

 ……と、言うのは公式上の建前である。


 本当は、故郷にいる母親に会うためだ。


 母は今でも、シェラが生まれた公爵家でメイドとして働いているらしく、ルディオに会いにいくかと尋ねられた。シェラは長期間ルディオと離れられないので、フルカに行くとしたら彼を付き合わせることになる。


 返答を迷ったシェラに、彼は苦笑を漏らしながら言った。


『実はもう、フルカに行くことは決まっているんだ。父にも話はつけてある。戴冠式は一年遅らせることにしたから、長めの新婚旅行だと思って楽しんでほしい』


 フルカに行く場合、次の雪解けの季節まで滞在することになるため、どうしても長旅になってしまう。

 ルディオはアレストリア王から引き継いでいる仕事を一旦返上して、時間を作ることにしたらしい。ハランシュカやシュニーも協力してくれるようで、快く送り出してくれた。


 シュニーに関しては、もうすぐ子供が産まれるのに忙しくなるのは困る、と愚痴も半分混ざっていたようだが。



 そんなやりとりを経て、二人はいま白い大地の上にいる。

 秋の始まりにアレストリアを出発したのだが、一か月以上かかってフルカに到着したころには、すでに雪が積もり始めていた。もう少し移動が遅れていたら、大変なことになるところだったという。


 それから一週間後には、完全に白い街並みに変わっていた。記憶の片隅に残っていた情景を目の前にして、思わず涙があふれそうになる。


 十年以上経って再会した母は、随分と老け込んだように見えた。一人娘であり、夫の忘れ形見でもあるシェラを失ったのだ。当時の心労は相当なものだっただろう。

 シェラ以上に嗚咽をもらし、泣き続ける母の背中を、落ち着くまでずっとさすっていた。



 久しぶりの再会を果たしたのは、母だけではない。

 屋敷の使用人たちはもちろんのこと、もともとの主人である公爵夫妻もだ。


 夫妻がルディオの祖父母だと聞いたときは、とても驚いた。こんな偶然があるのかと、開いた口が塞がらなかったほどだ。


『おやおや、事前に連絡は受けていたけれど、本当に孫二人が夫婦になって帰ってくるとはねぇ』


 ベッドに座ったまましみじみと言ったのは、ルディオの祖母である、公爵夫人だ。実際の血の繋がりはないが、シェラを実の孫のように育ててくれた。

 最近は持病の悪化で、ほとんどベッドから出ることはないらしい。


『これはいい冥土の土産になるよ』

『そんな縁起でもない』


 夫人の言葉に、ルディオは苦笑を浮かべる。


『まあ少なくとも、おまえたちが滞在している間は生きなきゃだねぇ。結婚式も見たいし』


 実はこの度フルカにて、二度目の式を挙げることになった。アレストリアで行った挙式は、シェラの早とちりからあまりいい思い出がない。


 フルカには観光名所にもなっている有名な式場があり、そこで改めて行わないかとルディオが提案してくれたのだ。

 女性なら誰もが憧れる場所で、目を輝かせて頷いたシェラに、彼は満足そうにほほ笑んでいた。



 そしていま、二人はその式場にいる。

 建物の前面がガラス張りになっており、自然に囲まれた銀色の世界が広がっていた。


 目の前には大きな湖があり、深い青色の湖面と、雪の白さとの対比がとても幻想的だ。この湖は湖底から温泉が湧き出ているらしく、雪深いフルカにあっても、一年中凍ることはないのだという。


 参列者は公爵家の関係者と、フルカの公人が数名。

 フルカとは以前から姉妹国のような関係にあり、今回は招待したということだった。


 シェラの胸元には、大きな緑色の宝石が輝いている。これはヴェータでの夜会の前日に、ルディオからもらったペンダントだ。


 アレストリアの式では、アクセサリーは全て指定されていたため、これを使うことができなかった。今回は全てシェラの自由にしていいと言われたので、このペンダントをつけることにしたのだ。


 夜会の時と同じように、長い銀髪は頭の高い位置で結い、胸元が目立つようにしている。


「――病める時も健やかなる時も、夫を愛し、慈しみ、死が二人を分かつまで、ともに歩むことを誓いますか?」


 一回目は嘘をついた。

 でも、今日は違う。

 これは心からの、真実の言葉。


「誓います」


 前回、涙の味がした誓いのキスは、砂糖菓子のように甘かった。




   *




 小さな物音に、シェラは重たいまぶたを持ち上げる。

 二度目の結婚式も無事に終わり、その日の夜はいつものように、公爵家のベッドで彼とともに寝た。


 薄暗い室内を見渡すと、寝起きの視界に金色が映り込む。ベッドを背にして、ルディオが窓の外を眺めていた。


 静かに起き上がり、彼の隣に並ぶ。

 窓ガラスの向こう側では、屋根と屋根の隙間から、昇り始めたばかりの太陽が顔を出そうとしていた。


「起こしてしまったか」


 申し訳なさそうに言って、ルディオは羽織っていた上着をシェラの肩にかける。室内と言えども明け方のこの時間はとくに冷え込むため、シュミーズ一枚ではさすがに寒く、素直に受け取った。


「ありがとうござます。何を見ていらしたのですか?」

「君の瞳と同じ景色だ」


 そう言って、青から紫、そして赤へと変わっていく空を眺めた。


「不思議だな。あれだけ焦がれた空が、いまは隣にある」


 今度はシェラの瞳を見て、感慨深げに言う。言葉の意味が分からず首を傾げると、彼は苦笑を浮かべて誤魔化すように話を変えた。


「そう言えばあのペンダント、まだ持っていてくれたんだな」


 彼が言っているのは、式で着用していた緑の宝石が嵌め込まれたペンダントのことだろう。


「もちろんです。あれはあなたから初めて頂いたものなので、わたしの宝物なんです」

「そうだったか」

「ルディオ様こそ、あのリボンまだ持っていらしたのですね」


 彼は結婚式の際、さらさらの金髪を肩口でひとつにまとめていた。その髪を結っていたのは、ヴェータでの夜会の時に使っていた銀色のリボンだ。


「気づいていたか。……なんとなく、捨てられなかったんだ。私にとってあれは、もう二番目の宝物なのかもしれない」

「二番目……ですか?」

「もちろん一番目は、君だ」


 彼の顔が近づいてきて、そのまま唇同士が重なる。

 熱を帯びたやわらかい感触に、触れたところから溶けていくような感覚がした。



 シェラの肩を抱き寄せ、ルディオは再び窓の外を見る。

 だいぶ白んできた空をぼんやりと眺めていると、忘れていた疑問を思い出した。


「……あなたはどうして、わたしがイシェラ・ミルムだと気がついたのですか?」


 その問いかけに、彼は当時を思い出すように言った。


「私は子供のころ、短い期間だが母の実家で過ごしたことがある。その時に、まだ赤ん坊だった君に会っているんだ」

「赤ん坊だった……わたしに?」

「ああ、君のおしめを替えるところも見ていたぞ」

「!!」


 思わず両手で顔を隠した。

 赤ん坊のころとは言え、なんとなく恥ずかしさが込み上げる。


 手の隙間から覗く、かすかに赤く染まったシェラの頬を見て、ルディオはくすりと笑って言った。


「あのとき、私の指を握って笑った君の顔が、ずっと記憶に残っていたんだが……」


 顔を隠すシェラの両手を解いて、そっと目元に触れる。

 優しく撫でて、愛しそうに口元を綻ばせた。


「アレストリアで、私のベッドに潜りこんだ君が見せた顔……あのときの寝ぼけた笑顔が、記憶の中の赤ん坊とそっくりだったんだ」


 その言葉に、シェラは身を乗り出すように抗議する。


「さ、さすがに今は顔が変わってますよね!?」


 いくら同一人物でも、赤子のときと大人になった今ではだいぶ違うはずだ。

 そう思ったのだが、彼はゆるゆると首を横に振った。


「顔は変わっても、雰囲気はそのままだ。君がイシェラ・ミルム本人であるかは推測の域を出なかったが、私は確信していたよ」


 シェラが知らないうちに、自分の妻が幼いころに会った赤ん坊ではないかと、彼は疑念を抱いていたということか。

 そうなると式典の前から、本物のヴェータの王女ではないと知られていたことになる。


 頭を抱えたシェラを見て、ルディオは苦笑をもらした。


「私は赤ん坊の君に助けられたんだ。だから、恥ずかしがる必要はない」

「わたしが助けた……?」

「ああ。いつかお礼をしたいと思っていたが、結局大人になってからも君に助けられたな」


 それはシェラの台詞だ。

 今は確実に自分のほうが助けられている。なんせ彼がいないと、生きていけないのだから。


「それはわたしの方です! お礼なら十分にもらっています!」

「いいや、まだまだ足りない。これからもっともっと甘やかしていくから、覚悟するんだな」


 そういって今度はシェラの額にキスを落とし、腕の中に閉じ込めるように抱きしめた。


 この先、どんな幸せが待っているのか。

 今は力を使うこともないので、未来は分からない。


 式典以降は夢の中でも、未来を視ることがなくなった。それが何故なのかは分からないが、シェラにはもう必要のない力だ。


 だけどこの力があったからこそ、今の自分があるのだと思う。

 振り回された人生だったけれど、悪くはなかった。


 それはいま、大好きな人の腕の中にいるから、そう思えるのだろう。


 彼との出会い、別れ。

 そして、再会。


 これは偶然でも、奇跡でもない。

 言葉にするとしたら、それは――運命。


 新たな歯車は、回り始めたばかり――



 END.


本編は終了ですが、番外編に続きます。

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