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59 まっしろな国で ②



 夏の終わり。秋の始まり。

 八歳のルディオは、北国フルカに到着した。


『んーっ! 空気がおいしいわ! アレストリアの空気もまずくはないけど!』


 馬車から芝生の上に降り立ち、母が大きく伸びをしながら言う。

 ここは本日から滞在する、母の実家である公爵家の敷地内。

 長旅で疲れ果てているルディオとは違い、母はいたって元気そうだ。


 これから約八か月間、ルディオはこの土地で暮らす。

 フルカは一度雪が降り始めると国外に出ることが困難なため、次の雪解けの季節まで滞在することになった。


 母の言っていた通り、この国は本当に自然が豊かで、アレストリアとはまた違った良さがある。

 ゆっくりと流れていく時間に、自然と心地よさを覚えた。




 屋敷に到着してから数日後、ルディオは廊下をひとりで歩いていた。

 いまは、めんどうな侍従はいない。


 ここにいる間は、できることは自分でやるように、母からは言われている。

 今まで人に頼っていたことを自分でこなす大変さはあったが、ひとりと言うのも悪くはない。なんせ、気が楽だ。

 何かを失敗しても全部自分のせいなのだから、怒りを感じることもなかった。



 特にすることもなく、気分転換に屋敷のサロンを訪れたルディオは、そこで珍しいものを目にする。


『ルディ、いいところにきたね。ほら、おいで』


 中にいたのは、フルカに来て初めて会った祖母だった。

 母と同じ真っ白な長い髪の毛を、後ろでひとつに束ねている。

 

 言われるがままに近づくと、祖母は目の前にあるかごを指さした。

 中を覗いてみると、小さな赤子がすやすやと気持ちよさそうに寝息を立てている。


『どうだい? かわいいだろう?』


 祖母の問いかけが耳に入らないくらい、ルディオはその赤子に見とれていた。

 大人に比べたら自分もまだまだ小さい方だが、その自分よりもずっとずっと小さい。目も鼻も口も、全てがかわいらしい。


 赤ん坊自体は弟の時にも見ているはずだが、その頃は自分も幼かったせいか、あまり鮮明に覚えてはいなかった。そのせいか目にした赤子の姿に、とても衝撃を受けたのだ。


『この子はね、うちで働いてくれているメイドの子なんだ。残念なことに、産まれる前に父親が事故で死んでしまってね。その子が働かないと食べていけないから、この屋敷のみんなでめんどうをみているんだよ』


 祖母が分かりやすく説明してくれる。

 この屋敷の人たちは、みんな本当に親切で優しかった。


『産まれてどれくらいですか?』

『もうすぐ三か月になるねぇ』


 祖母の答えに頷こうとしたとき、ガシャンッと何かが割れるような音が響いた。

 音のしたほうを見ると、メイドが下げようとしたカップを、床に取り落としたようだった。


『もっ申し訳ございません!』

『大丈夫かい? 破片を片付けるときは、怪我をしないようにね』


 メイドの失態にも祖母は怒らず、逆に身体を気遣う様子を見せた。何度も謝りながら、メイドは掃除用具を取りに部屋を出て行く。

 扉が閉まると同時に、今度はけたたましい泣き声が室内に響き渡った。


『あーあぁ……せっかく寝たのに、今ので起きちゃったみたいだ』


 すぐそばにいたルディオは、突然の泣き声にびくりと身体を揺らして驚く。

 どうしたらいいか分からず、わんわんと泣き叫ぶ赤子の小さな手を、ぎゅっと握りしめた。


『大丈夫だよ』


 何が大丈夫なのか自問自答しながら、あやすように笑顔を向ける。すると、赤子は徐々に静かになっていった。


『おや、泣き止んだ。ルディは子守りの才能があるのかねぇ』


 両手で包み込んだ小さな手が、今度はルディオの親指を握りしめる。

 その小さくもしっかりとした力強さに、何とも言えない満たされる感覚がした。


『あらあら、笑ってるよ』


 ルディオの指を握ったまま、赤子がふにゃりと笑う。その愛らしさと、指先から伝わる温かさに、彼の中で何かが変わっていった。



 それからは毎日のように、時間があるときは赤子を見に行った。

 泣いたり、笑ったり、時には怒っているような様子も見せる。寝ているときは邪魔しないように、そばで一緒にうたた寝をした。


 窓の向こうはいつの間にか真っ白に染まっていて、屋敷の外にはほとんど出られなかったが、退屈することはなかった。

 ゆっくりと過ぎていく時間が心地よくて、ずっとここにいたいと思った。


『イシェは本当に、ルディが大好きだねぇ』


 不思議なことに、赤子はルディオの感情に合わせて、表情を変えるようになった。

 楽しければ笑うし、悲しければ泣いてしまう。手を握っているときは、それが顕著だった。


 そのおかげで、ルディオは少しずつ感情の落ちつけ方を学んでいく。

 フルカを発つ季節がやってきた頃には、感情をある程度制御できるようになっていた。


『ルディ、別れがつらいかい? でもね、おまえが泣くとこの子も泣いてしまうから、笑顔でお別れだ』

『はい、おばあさま』


 精一杯の笑顔を作った。

 本当は泣きたかったけれど、その感情は心の奥にしまっておく。

 だって……最後はきみの笑顔が見たかったから。


 お別れの握手をする。

 赤子は、淡雪のようなふわふわとした銀髪を揺らして、ルディオの大好きな、ふにゃりとした笑顔を見せてくれた。




 アレストリアに戻ってからは、フルカでの経験のおかげか、以前よりも呪いが発動する回数は減っていった。

 まだまだ子供だから完璧とは言えないけれど、きみの笑顔を思い出せば、大丈夫。


 ――いつか立派な大人になったら、またきみに会えますように。


 その小さな願いは、結局叶うことはなかった。


 ヴェータが、戦争を開始したのだ。


 アレストリアからフルカまでは、かなりの距離がある。その間にいくつかの小国が存在していたのだが、ヴェータはその国々の領土を奪うために戦争を起こした。

 その影響でフルカへと続く街道が閉鎖されたのだ。


 回り道をすれば辿り着けないことはなかったが、それには相当な時間がかかる。

 王太子という立場上、あまり長い期間国を空けることができなかったため、諦めざるを得なかった。




 意識が覚醒する感覚を覚え、ゆっくりと目を開ける。

 ぼんやりと霞んでいた視界が鮮明になってくると、いま目に映っているものが、見慣れた自室の天井であることが分かった。


 どうやら自分は、ベッドに寝かされているらしい。

 室内は薄暗く、ランプの明かりがひとつ灯っていた。窓の外は真っ暗で、いまが夜中であることが認識できる。


 随分と、懐かしい夢を見た。

 フルカにいた間の記憶はだいぶ薄れてしまったが、あのふわふわとした銀髪と、赤子の笑顔は今でも忘れられない。


 ふと違和感を覚え、隣に視線を向ける。

 夢の中で見たものと同じ、淡雪のような銀色の髪が目に飛び込んできた。ルディオに寄り添うようにぴったりとくっついて、愛しい人が寝息を立てている。


 いったいどうしてこの状態なのかと記憶を辿ってみると、すぐに自分に起きた事態を思い出した。

 そうだ、毒のせいで身体が急に重たくなって、それから――


 ……ああ、思い出したくないものを思い出してしまった。

 彼女がバルトハイルにしたことを。

 助けられたのは事実だが、いくら緊急事態とはいえ、あれだけは許容できない。


 もやもやする思考のまま寝返りを打ち、彼女の方を向く。

 すやすやと眠るその頬には、うっすらと涙のあとが残っていた。


「泣いたのか……」


 申し訳ないことをした。自分がもっとしっかり見ていれば、彼女を悲しませる結果にはならなかったかもしれない。

 そっと涙のあとを指先で辿る。


「もう……泣かせたくないな」


 ここしばらくは、泣き顔ばかり見ている。

 彼女には、ずっと笑っていてほしいのに。

 あのときの赤子と、同じように――


「きみだと知っていたら……もっと早く、迎えにいったのに」


 ハランシュカからフルカでの誘拐事件について報告を受けたとき、ルディオは心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。

 行方不明者の中に、あの赤子の名があったのだ。

 母は知っていたらしく、ショックを受けるだろうからと、ルディオにはあえて伝えなかったようだ。


 まさかと思い、早急にとある資料を取り寄せた。

 二年ほど前にアレストリアの王宮騎士団によって、誘拐を主とする犯罪組織のアジトが取り押さえられている。そこで見つかった資料の中に、今まで取引された子供や女性の一覧があったのだ。


 古びた資料の中から、見たくなかった名前を発見する。

 その子供の譲渡先には『ヴェータ』と記載されていた。


 このとき、確信した。

 手に入れた情報だけでは、ヴェータのどこに送られたのかまでは分からない。

 だが、ルディオの中ですべてが繋がったのだ。


 自分を救ってくれた赤子が数奇な人生を辿り、いまこうして妻として隣にいる。


 これは偶然でも、奇跡でもない。

 そんな言葉で片づけて、彼女が歩んできた壮絶な人生を美化してはいけない。


 だから、幸せにする。

 今までの悲しみを全て忘れてしまうくらいに。この先何があっても、自分のできる全力で。


 起こさないように、そっと彼女の背に腕を回した。

 銀色の前髪に唇で触れる。


「……ずっと、きみにお礼が言いたかったんだ」


 君のおかげで、人として生きてこられた。

 これからは、私に君を支えさせてほしい。


「ありがとう……イシェラ」



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