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43 世界一、絶望的な花嫁



 緩やかな音楽とともに、たくさんの視線がシェラたちに注がれる。

 促されるままに、一歩を踏み出した。


 この道の先に、彼はいるはず。

 怖くて前を見ることができないが、それだけは間違いない。

 視線を落とし俯き気味のまま、一歩ずつゆっくりと歩いた。


 しばらく進むと、ベールで覆われた視界の端に、白い靴先が映り込む。

 隣に立つバルトハイルから、くすりと笑う息遣いが聞こえた。シェラの背中を押して、先に進むように促す。


 緊張と恐怖で視界がぐらぐらした。

 ふらつきそうになる身体を必死で支え、最後の距離をつめる。


 うまく身体に力が入らないのは、恐怖のせいだけではない。この体調の悪さは紛れもなく、ヴェータにいたころに感じていたものと同じだ。

 恐らく、丸五日間ルディオに触れていない影響だろう。生命力の消費は、思っていたよりもずっと早いようだ。


 彼から命を奪っている。

 この推測が間違いだったらいいと、何度も思った。

 だが、今の体調の変化こそが、完全にその仮説を肯定しているのだ。もうどうやっても否定しようがない。


 視界が歪む。

 泣いてはだめだ。

 今は世界一、幸せな女を演じなければ。


 ベール越しに、彼の大きな手が目の前に差し出される。

 恐る恐る、己の手を重ねた。


 大丈夫。今は、手袋をしている。

 直接触れなければ、問題はないはずだ。


 指先が触れた瞬間、手を握りこまれる。

 それは痛みを感じるほどに、強い力だった。


 戸惑いのなか、腕を引かれるままに隣に並ぶ。

 それを合図に、牧師が静かに言葉を紡ぎ始めた。


 握られた手が熱を持ち始め、手袋越しでも伝わってくる彼の温かさに、シェラの意識は指先へと集中していく。


「――病める時も健やかなる時も、夫として愛し、慈しみ、死が二人を分かつまで、ともに歩むことを誓いますか?」


 ほとんど上の空で聞いていた牧師の言葉に、一瞬迷ってから、頷いた。


「……はい、誓います」


 ――神様、今だけ、嘘をつくことをおゆるしください


 きっとこの誓いは、すぐに破ることになる。

 さすがに、ここで真実を口にするわけにもいかない。

 報いは受ける。どんな形でも。


「――誓いの口づけを」


 何度も考えた。

 今日この場で、彼に触れなくてはならない瞬間。

 絶対に避けることはできない、その行為。


 大丈夫。一瞬、触れるだけにする。

 熱を感じる間もなく、すぐに離れる。そうすれば、被害は最小限に収まるはずだ。

 何度も頭の中で繰り返した。

 この観衆の中だ。彼だって、すぐに終わらせるようとするはず。


 ルディオの手がゆっくりと伸びてきて、シェラの顔を覆うベールをめくる。

 明瞭になった視界で、ゆっくりと視線を上げた。


 白い礼服をまとった彼は、美しい金色の髪をゆるめに編み、後ろでひとつにまとめていた。見慣れないその姿に胸が高鳴ったのは一瞬で、見上げた先でぶつかった緑の視線に身体を震わせる。


「っ……」


 暗く濁った緑色の瞳が、まっすぐにシェラを捉えた。彼の顔に表情はないが、鋭いまなざしが、湧き出そうになる感情を必死で抑え込んでいるようにも見える。


 ごくり、と息をのんだシェラの頬に、ルディオが右手を添えた。

 じかに触れた熱に、思わず後ずさろうとしてしまう。だがそれは、彼のもう片方の腕によって止められる。

 一瞬で左手が背中に回され、引き寄せられた。


 目の前に迫ったきれいな形の唇から、シェラにだけ聞こえるような小さな声が紡がれる。


「捕まえた――」

「!?」


 そのまま押し付けるように唇を塞がれる。

 頬に添えられていた彼の大きな手は、いつのまにかシェラの頭の後ろに回されていた。


「んっ……」


 どんどん深くなる口づけに、自然と吐息がもれる。


 ――なんで、どうして


 頭の中は、その言葉でいっぱいで。

 人前だとか、恥ずかしいとか、いろいろとぐちゃぐちゃで。

 でも、ただひとつはっきりしているのは――


 ――早く、彼から離れなければ


 彼の命を、奪う前に。

 そう思ったのと同時に、ふわふわとした感覚が全身を包む。

 頭の芯がくらくらして、立っていられない。

 必死で彼の服にしがみつき、なんとか力の抜けそうな脚を支えた。


 ――いやだ、いやだいやだ


 この感覚は、ルディオから生命力が流れ込んでいる証。

 ただ触れた時よりも明確に感じるということは、深い接触をすればするほど大量の命が流れてくるのだろう。


 ――だめなのに

 はなして。はなして……


 願いが通じたのか、ルディオはゆっくりと顔を離した。

 涙で滲んだ視界に、ぼんやりと緑の瞳が映り込む。それは先ほどまでと違い、鮮やかな新緑色に輝いていた。


「……やはり」


 ぽつりと呟いて、彼は訝し気な目つきでシェラを見る。

 聖女の力については知らないはずだが、相当な量の生命力が流れているのだ。何かしらの体調の変化があり、感づかれたのかもしれない。

 命をもらって血色の良くなったシェラの顔が、一瞬にして青白く変わった。


 そんなシェラを一瞥して、ルディオは観衆に視線を向ける。

 先ほどの濃厚な触れ合いに、ある者は頬を染め、ある者は気まずそうに視線を逸らし、またある者は興味深そうに見つめていた。

 二人の目の前に立っていた牧師は、何とも言えない表情を浮かべている。


「続けてくれ」


 ルディオは何事もなかったように平然と言い、進行を促した。


 その後、式は滞りなく進み、無事に終わる。

 今日と言う日に世界一幸せなはずの花嫁は、世界一の絶望の中にいた。



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