40 突きつけられた現実
結婚式まであと五日と迫ったころ、シェラは王城内にある厳かな応接室にいた。
ここは他国の王族や、高位貴族を招き入れるための部屋。
その一室でルディオの隣に座りながら、緊張した面持ちで目の前にいる人物を眺めた。
「遠路はるばる、ようこそおいで下さいました」
ルディオが形式ばった言葉を述べると、少しくすんだ色の銀髪を揺らして、向かいに座る男がにこりと笑う。
「こちらこそ、歓迎いただきありがとう。降り始めが早かったからか、雪解けも早まったおかげで、道中苦労せずに済んだよ」
「それはよかった。バルトハイル王とレニエッタ王妃のために、王城内の最高の部屋を用意しております。滞在中はゆっくり過ごしてください」
「そうさせてもらうよ」
社交辞令ともいえるような会話を交わす二人に、なんだかむず痒さを感じる。
本日の昼過ぎに、ヴェータ一行がアレストリアの王城へと到着した。
もともと面識のあったルディオと、妹であるシェラがこの部屋にて出迎えることになったのだ。
久しぶりにまともに顔を合わせたバルトハイルは、随分と雰囲気が変わっていた。以前のような傲慢な振る舞いはなく、どこかやわらかい雰囲気を纏っている。
こんな姿の兄を、シェラは一度も見たことがない。
「シェラ、久しぶりだな」
「はい、お兄様」
シェラに声をかけた時のその青い瞳も、底冷えするような鋭さから、穏やかな海の色に変わっていた。
「元気そうだな。体調はどうだ?」
「おかげさまで、随分とよくなりました」
「そうか……よかった」
バルトハイルからシェラを気遣う言葉など初めて聞いた。思わず自分の耳を疑ったほどだ。
ヴェータにいたころは、体調は悪くなる一方だった。
戦争をやめてからはほとんど力を使っていなかったが、生命力というのは生きているだけで消費していく。そのため体調がよくなることはなかったのだが、アレストリアに来てからは完全とはいかないまでも、ほぼ回復したのだ。
何故かはわからないが、精神的な苦痛から解放された結果だと思うことにしていた。
そのため、皮肉をこめた言葉を返したのだが、兄は予想外にも安心したというような顔をしたのだ。
ほっと息を吐くような動作をしたバルトハイルの横で、赤い髪の少女が口を開く。
「本当に、顔色がよくなりましたね。まるで、生命力が満たされたみたい」
「レニエッタ」
生命力という言葉は、普通の人にはなじみのない言葉だ。わざわざそれを口に出したレニエッタを、バルトハイルが窘めた。
レニエッタは不機嫌そうに眉を寄せながら、シェラを睨みつける。
その彼女の顔色は、シェラとは真逆で青白かった。
最後に会ったときよりも痩せているようだし、見るからに体調が悪そうだ。この様子の変化は、あきらかに力の使いすぎだろう。
しかし、いまヴェータは戦争をしているわけではない。
レニエッタの力を何に使っているのか疑問が残るところだが、今のシェラには知りようがない。
考えを巡らせていると、部屋の扉が叩かれる。
ルディオが入室を促すと使用人が現れ、国王陛下との面会の準備が整ったと伝えて去っていった。
「では、僕は行ってくるよ」
「私も同席するが、シェラ……君は自室に戻るか?」
ルディオは、バルトハイルとアレストリア国王の面会に同席するらしい。
ここにいても仕方がないので、部屋に戻るかと返事をしようとすると、別の声に遮られた。
「あたし、シェラさまのアレストリアでの生活についてのお話が聞きたいです! いいですよね? シェラさま」
顔は笑っているのに、目は全く笑っていない。
強引に引き留めたレニエッタの表情が気になり、結局彼女の希望に沿うことにした。
「……わかったわ。ルディオ様、わたくしは残ります」
「部屋の外にルーゼを待機させておくから、何かあったら呼ぶように」
「はい」
シェラに耳打ちをして、ルディオはバルトハイルと共に部屋を出て行った。
二人きりになった部屋は、しんと静まり返る。
少しして、レニエッタが口を開いた。
「シェラさま、本当に元気そうですね」
そういうレニエッタは、見るからに体調が悪そうだ。
なんと返したらいいものか迷っていると、さらに言葉が続く。
「ヴェータにいたときも、あの王太子が来てからは顔色がよくなっていたような気がしますし、まさか、恋の力ってやつですか?」
恋をしたら元気になる、そういう話を聞いたこともある。
だが消費した生命力が、恋をして回復するなんて話は聞いたことがない。
正直体調の変化については、シェラ自身も疑問に思っていたところだ。
「まぁ……そんなわけありませんよね。恋の力で生命力が回復するなら、あたしだってこんな風になってないですもん」
「レニエッタ……」
レニエッタはバルトハイルを本当に心から慕っている。
彼女はもともと親に虐待されて育ち、その後孤児院に入れられていた。孤児院でもあまりいい生活はしていなかったようだが、聖女として認定されたことにより、王宮に召し抱えられたのだ。
聖女になれば、相応の身分が与えられる。
人らしいまともな生活を得たレニエッタは、それが全てバルトハイルのおかげだと思うようになった。彼女が兄を好きになったのは、必然ともいえる。
この話を、シェラはレニエッタ本人から直接聞いている。
あの時の彼女は、バルトハイルのしてくれたことが本当に嬉しくて、本当に大好きなのだと、目を輝かせながら言っていたのだ。
だから、シェラの回復が恋の力だというのなら、ずっと兄を想っているレニエッタも、回復しなければおかしい。
「ずっと考えていたんですけど……夜会の日、あの王太子に触れた時、なんか不思議な感覚があったんですよね。まるで、何かが流れ込んでくるような」
その言葉に、シェラは眉を寄せる。
シェラ自身もルディオに触れた時に、何か温かいものが流れ込んでくるような感覚があった。自分と同じものを、レニエッタも感じ取っていたらしい。
「あの時、すでにシェラさまの顔色はよくなっていたように見えましたし……これは私の推測なんですけど――」
真面目な顔つきをして、レニエッタはまっすぐシェラを見た。
「あの王太子から、生命力が流れ込んでいるんじゃないですか?」
言われた内容に、心臓が止まったような衝撃を受ける。
大きく目を見開いてレニエッタを見つめると、彼女は続く言葉を言った。
「あの人に触れると満たされた感覚になる。そしてそのあとから体調が回復する。それはあの人の生命力をもらったからじゃないですか? 心当たりはないですか?」
心当たりなら、ある。
レニエッタの言う通りだ。特に彼と口付けを交わした時は、その感覚が強い。
彼女の推測が正しければ、大量の生命力が流れ込んでいることになる。
否定したい思いとは裏腹に、今までのルディオとの思い出が、全てを肯定していた。
「その様子だと、心当たりがあるみたいですね。でも、どうしてあの人だけが、そんなことをできるのかはわかりませんが」
彼だけが他の人とは違う部分。
それはきっと――呪い。
彼が抱えている呪いの力が、何らかの影響を及ぼしている可能性が高い。
全身から血の気が引き、無意識に指先が震えだした。
「生命力って回復はしないけど、他人からもらうことはできるんですね。でも、回復しないってことは、あの王太子はどんどん生命力が減ってることになりますねぇ」
わざわざ言葉に出さずとも、理解している。
シェラが生命力を奪っているのだとしたら、彼自身はその分すり減っていることになるのだ。
ルディオは体調の変化を訴えたことはないが、シェラも力を使い始めたころは、体調に変化はなかった。
だがもし、この状態を続けていたら、いつ彼が生命力の枯渇で倒れないとも限らない。
急に顔を青くして震えだしたシェラを見て、レニエッタは心配そうに言う。
「大丈夫ですか? 言わないが良かったですかね」
「いえ……教えてくれて、ありがとう」
掠れる声で、なんとか返事をした。
「あ、安心してください。あたしはあの王太子から、生命力をもらおうなんて思ってませんから。あたしはバルトハイルさまのために力を使って死ぬって、決めてるんです」
それは、レニエッタが初めから言っていたことだ。今でも己の信念を曲げる気はないらしい。
シェラだって、己の運命は受け入れていた。
最近はできるだけ長く幸せな日々が続けばいいとは思っていたが、彼の命を奪ってまで生きたいわけではない。
彼から――……離れなければ。
「部屋に……戻るわ」
力なく言葉を口にして、ふらふらと部屋の入り口に歩いていく。
その様子を、レニエッタの黒い瞳が、静かに見つめていた。