妖精裁判 8
それまで沈黙していたモリグナが、絶えきれずに次々に口を開く。
「冗談ではない! 妖精の森を焼き払い、そこに住む妖精たちを虐殺した罪だぞ!?」
「キサマがどんな証明をするつもりかは知らぬが、我らの法に照らした上で、無罪などあり得ん」
「天地がひっくり返ろうともな!」
アルマは挑発を受けても平然としていた。
「そうか。では足元を掬われぬよう、覚悟して聞くが良い」
アルマは言い放つと、大きく息を吸い込んだ。
突然、歌を歌い始める。
それはあの船の上で、吟遊詩人のセティアスが歌った、『妖精王と悪魔』の物語だ。
楽器はないので、アルマのアカペラだ。
……と思いきや、少し遅れてロロディが笛で伴奏を始めた。
アルマの歌唱力は、思った通り酷いものだった。だが歌詞は完全だ。意外にも音程も外れていない。それなのに、全く心に響いてこない。
教典を朗読しているか、呪文を詠唱しているかのようだ。
一方、ロロディの演奏はなかなかたいしたものだ。セティアスのそれとは全く違っていたが、アルマの歌唱に感情が乗っていない分を、ロロディの演奏が補完していた。
「これは……、先代妖精王の物語だな」
「聞いたことがあるぞ。有名な歌だ」
歌や物語の大好きな妖精たちは、突然始まった歌唱に戸惑いながらも、興味津々に聞き入った。曲に合わせて身体を揺らしたり、手拍子をする者もいる。
アルマが歌ったのは妖精王と悪魔が賭けをする一幕のみだったので、それほど長い時間を必要とせずに終了した。笛の余韻が消えると、場内には沈黙のカーテンが降りる。
「……以上だ」
歌い終わったアルマは、そう宣言して証言台から立ち去ろうとした。
一瞬遅れて我に返ったモリグナが、慌てて制止する。
「ま、待て! ここは音楽ホールではないぞ!?」
「キサマは何をしに出てきたのだ!」
「しかも、びっくりするほど下手くそだな!? びっくりしたぞ!! 心がこもっていないにも程がある! びっくりだ!」
モリグナの三人は混乱した。特に三人目は同じ言葉を重ねるほどで、残りの二人から「まぁまぁ」となだめられている。彼女は歌が好きなのかも知れない。
アルマは振り返り、モリグナを見た。それから裁判長を見上げ、さらに視線を傍聴席の妖精たちに移していく。
「これでシャイードが無罪であることを証明できたと思うが」
「なんだと?」
モリグナが怪訝な顔をする。妖精王はなにやら考え込んでいた。傍聴席はざわついている。
ローシは固まっていた。
シャイードにもアルマの意図が読めず、下唇に指を添えたまま上目遣いに見つめている。
やがて、妖精王が慎重に口を開いた。
「アルマとやら。その歌がどうして無罪の証明になるか、もう少し証言を続けてくれぬか?」
「わかった」
アルマは再び証言台についた。
「ロロディによれば、この歌は妖精界でもよく知られているという。昔、実際に起きたことを歌ったものらしいな」
裁判長は頷いた。
「先代妖精王の時代だ」
「うむ。この歌の中で、妖精王は賭けに負けたにも関わらず、悪魔に王笏を渡していない。それは何故か?」
ローシがあっ! と大きな声を上げた。地妖精はこの先の流れを理解したようだ。
アルマはそちらを向くが、誰からも返答がないのを確認するとまた口を開いた。
「……そう。歌の中にあったように、”王が酔っていた”からだ。つまり妖精界では、酔っている者が成した行動について、法的に責任がないとされている」
裁判長は顎に手を当てた。
「なるほど。確かにその通りだ。しかし、それと本件とは……」
「一方。イ・ブラセルを破壊したシャイードも、妖精王と同じように酔っていた」
「あ? いや、俺は酒なんか飲んでなかったぞ」
これにはシャイードが首を横に振って口を挟む。アルマは被告人席を振り返って頷いた。
「そうだな。だがそれでも汝は、間違いなく酔っていた。解放された強大すぎる己の力……ドラゴンの力に」
「あ……」
シャイードは目を丸くして絶句する。
「き、詭弁だ!! 酒に酔うのと、力に酔うのとでは全然違うだろうが!」
モリグナがすかさず、アルマに黒翼を突きつけて反論する。が、アルマは平坦な瞳をそちらに巡らせた。
「どこがどう違うと言うのだ?」
「言うまでもないことだ! 酒に酔うと、妖精とて判断力が鈍るのだ。故に妖精王は取引の責任を免れた!」
「シャイードも同様だ。力に酔い、判断力を鈍らせた。酔えばどうなるか知りながら酒を飲んだ王と違い、力に酔うことを知らずにドラゴンに戻ったシャイードは善意でもあろう」
「むぐ……」
「しかもだ。歌の中で、悪魔は『アコルナビアと契約した』とはっきり表現されている。王ではなく、アコルナビアとだ。汝らも知る通り、アコルナビアは単に酒の神と言うだけではなく、狂乱の神でもある。仮にシャイードの状態を酔っていると認めない者がいても、狂乱していると認めない者はおるまい。違うか?」
この言葉に会場は静まりかえった。
モリグナは三人とも、顔で百面相をしている。
「だがしかしっ!」
「そんな馬鹿な。許されるわけがない!」
「そうだ。そもそも賭けに負けたのと、妖精を虐殺したのでは罪の大きさが違う!」
この指摘に、アルマは証言台に手を置き、興味深そうに身を乗り出した。
「ほう、そうなのか? 残念ながら、我には罪の大小は判別できぬ」
「それみたことか」
「被告人の罪は、どんな法に照らしても大罪に間違いないからな!」
会話の主導権を取り戻したと勘違いしたモリグナが、胸を張る。アルマは言葉と違って少しも残念そうではなかった。むしろほんの少し、目を細めて笑ったようにも見える。
「なるほど、汝らはそう考えているのだな。では仮に、シャイードに責任能力があったとしよう。翻って、妖精王にも責任能力があったと認めなければなるまいな? 汝らの法は、妖精王にもドラゴンにも、同じく適用されるはずだ。どうなったと思う?」
「王笏は、契約通り悪魔のものになって……、あっ!」
アルマは深々と頷いた。
「その通り。悪魔が今の妖精王だったはずだ。王となった悪魔が、妖精たちをどう扱うか、汝らは好きなように想像するが良いぞ。そして悪魔の王は、今頃裁判長の席に座り、シャイードが妖精たちを虐殺したことを大いに褒めてくれることであろう」
アルマは両手を持ち上げ、肩をすくめた。
「当然、無罪だ」
「「「ぐわあああっ!!」」」
モリグナは揃って鴉の頭をかきむしり、悲鳴を上げた。
「お……おお……、なんと……見事な……」
ローシは感動の余り、小刻みに震えている。
妖精王はアルマの方を凝視して微動だにしない。
シャイードは夢の中にいるような気分で、やはりアルマを見つめていた。
「どうであろうか? シャイードが無罪であることを、我は証明できたと思うが」
アルマは頷いたときに下がった帽子の鍔を持ち上げ、固まっている妖精王に尋ねる。
「こほんっ。……余は驚いた。こんなに驚かされたのは久しぶりだ。実にとんでもない証言……、いや、弁護が飛び出したものだ」
裁判長は呆然とした表情のまま、ゆるゆると首を左右に振る。
だがその表情は次第に、笑みを含むものに変わっていった。
「アルマの主張を聞くまで、余はシャイードには有罪しか下され得ぬものと思っておった。だが今は……」
彼は満足げなため息をついた後、傍聴席の妖精たちを一瞥した。すぐに表情を引き締める。
「余が判決を下すものならば、結論は明らかであったろう。しかし、妖精裁判で判決を下すのは、最終的に居並ぶ全ての妖精だ。法的に正しい。うむ、それはとても重要だ。大いに説得力がある。だが彼らの心はそれだけで判断を下さない。果たして、どうなることやら余にもこの先はわからない」
裁判長の言葉通り、傍聴席はざわついていた。それぞれの妖精が、近くにいる妖精と討論を交わしているのだ。妖精たちは今、初めて自らの頭で考え始めていた。
アルマは周囲を見回し、最後に視線を水流の壁に向ける。
「結論を待ちたくもあるが、どうやら時間切れだ」
直後、シャイードは目眩を感じてふらついた。空間が歪む感覚と吐き気を感じ、目の前の机にしがみつく。
今までに数度、感じたことのある感覚。
(これは……)
唐突に、法廷に影が落ちる。
妖精たちが水流の窓越しに陽光を遮ったモノを振り返った。それはドーム内に進入しようと、天蓋を支える木の枝の破壊を試みた。




