妖精裁判 7
法廷内の視線が、傍聴席の一点に注がれる。
立ち上がった二人の内、小さい方はロロディだ。
「さりばんちょー! まだ、ショウニンが残ってるんだよ!」
彼は大きい方の手を引き、傍聴席を下ってくる。
シャイードは平坦な視線を持ち上げた。無気力だったその瞳に、光が戻ってくる。
「お前……」
ロロディに引っ張られ、つんのめりそうになりながら妖精たちの間を抜けてくる黒い三角帽子。
「アルマ!!」
それは人の姿のアルマだった。
傍聴席はシャイード達がいる場所より高い位置から段々になっていて、法廷とは腰壁で区切られている。
彼らはそこで立ち止まった。
裁判長は神聖な裁判に横やりが入ったことで小さく眉根を寄せていたが、証人という言葉は聞き捨てならなかった。
「異議を申し立てたのはそなたか、ロロディ」
「そうだよ! オイラ。あのね、さりばんちょ! この人がシャイードのショウニンなのに、まだ発言してないよ」
ロロディは繋いだ手を持ち上げた。
裁判長は視線を隣にずらす。
「そなたの名はなんと申す? 新たな証人よ」
「我はアルマ。シャイードの魔導書である」
アルマは妖精王に答え、シャイードを見下ろした。
「先ほどから見ておったが、シャイードよ。汝は随分とだらしがない。我の主なら、それ相応に振る舞って欲しいものだ」
「なんだと!?」
「顔を上げて胸を張っておれ、シャイード。汝はドラゴンだ。多少尊大なくらいで丁度良い」
「………っ!」
シャイードは反射的に赤くなる。
まさかアルマが、傍聴席にいるとは知らなかった。彼にだけは弱さを見られたくなかったのに。シャイードは、羞恥心を怒りに変えてアルマを睨んだ。
「お前こそ、今までどこにいたんだよ」
「その話は後だ。時間がない。今、自由にしてやる」
シャイードは鋭く息を吐いて首を振る。
「見てたならわかってるだろ。もうお前と一緒には行けないんだ。諦めてくれ」
「ならば鍵を渡せ」
「!」
アルマは片手を差し出す。シャイードは固まった。無意識に、衣服の下の鍵を布越しに握りしめる。
鍵を返せばアルマは異界へ帰還してしまう。ビヨンドを知り、その秘密にたどりつく現状唯一の手がかりが、この世界から失われてしまうのだ。
「『鍵を渡す』と一言口にすればそれでいい。契約は終了する。もし汝が、他者に役目を引き継がせようなどと甘いことを考えているなら、我は断る。汝が見捨てる世界を、何故、我が助けねばならぬ?」
シャイードは唇を噛んだ。もうこれ以上、旅は続けられない。だが、誰にも渡すなと言う師匠の言葉を、ここで破って良いのだろうか。
(俺はまた、師匠が命がけで守ろうとしたものを壊すのか……?)
アルマは静かにシャイードの決断を待っていたが、答えがないことを知ると、息を吐き出して手を下ろした。
「何も選べぬのなら、黙って見ているが良い」
アルマは言い捨て、裁判長の方に向き直る。
「裁判長とやら。我は証言しても良いのか?」
裁判長は一瞬、返答に窮した。ローシを見遣る。
「あの者は被告人の証人だと言うが、ローシよ、相違ないか?」
尋ねられたローシも戸惑い、首を横に振りかけた。だが寸前で思いとどまる。このままでは有罪は確実だ。新たな闖入者は見るところシャイードの知人らしいし、ここは賭けてみようと思い直す。
「はい。間違いございません」
「そうなのか。それならば何故、今まで黙っていたのだ?」
「モリグナが隠してたんだ!」
ロロディが怒りを露わにしてモリグナを指さした。
「オイラ、魔導書を見つけたらシャイードのところに届けるように、みんなにお願いしてたんだよ。でも届いてなくて! そうしたら、モリグナがショーコヒン全部もってっちゃったって聞いた」
この指摘に、モリグナは不愉快そうな顔をした。
「心外です、裁判長。そこの証人は知りませんが、魔導書ならば確かに光精霊と共に発見されました。ですが、ただの白紙の本だったのです。証拠品でも何でもなく!」
「でも、ずるいや! ローシにまでショーコヒン、秘密にしたなんて!」
モリグナは焦りをにじませ、視線を交わし合う。裁判長が不審げな瞳を向けた。
そこに手を叩く音が割り込む。
アルマだ。
「時間が惜しい。話して良いというのならば、我は話すぞ。シャイードは無罪だ。今からそれを証明する。それ以外のことは後にせよ」
「無罪?」「今、ムザイと言ったノか……?」
妖精たちがどよめく。
被告人自身が罪を全て認めたこの局面で、無罪とはどういうことなのか。
弁護人すら引き下がったというのに、そんなことはあり得るのか。
妖精たちは新たな展開を、固唾をのんで見守る。
会場の視線を一身に集めたアルマは、ひらりと腰壁を乗り越え……られず、もたもたと乗り越えた後、両手で壁からぶら下がって動けなくなった。
つま先から床までの距離はあとほんの少しだったが、ぶら下がる彼には見えていない。
ドーム内に何ともいえない沈黙が流れた後、係官が二人やってきて、彼が降りるのに手を貸した。
石床に降り立ったアルマは、何事もなかったかのように颯爽と風を切り、証言台へと進む。
その様子をあっけにとられて見ていたシャイードは、彼が隣にやってきたことで我に返った。
「どういうつもりだ? 俺が、無罪?」
小声で真意を問いただす。
「お前、イ・ブラセルでの出来事について、何かを知っているのか?」
「いいから被告人席で聞いておれ。証明はすぐに済む」
相変わらずの無表情で、全く説明する気のないアルマを不審げに見つめた後、シャイードはローシの隣へと向かった。
「変則的ではあるが、証人がいるというのならば話を聞かなくてはならぬ。アルマとやら。そなたは何者なのか?」
「先も言った通り、我は魔導書である。今は人の姿を借りておるがな。現在の所有者はシャイードで、共にサレムの遺志を継いで旅をしている」
妖精王は目を丸くした。
「サレムの遺志、とな……? それは、つまり」
「逃れえぬ終末から、世界を救う旅だ」
「なんと……!」
妖精王の丸みを帯びた顔が苦悩に歪んだ。彼が魔導書の話を信じたことは、席で成り行きを見つめていたシャイードにもすぐに分かった。
何故、こうも容易く? と彼は疑問に思う。妖精王はサレムについて、何かを知っているのだろうか。
「シャイードを殺せば、世界は救われぬ。妖精界も同様だ」
アルマは傍聴席の妖精たちにも聞こえるように、彼らの方を向いてもう一度口を開く。
「分かっておるのか、愚か者ども。世界の命運は今や、そこなドラゴンの双肩に掛かっているのだぞ。彼を殺すことは自らの首を絞めるに等しい」
この言葉に、妖精たちの多くが動揺した。
「何だって?」「妖精界が滅亡するのか?」「ドラゴンが救う側?」
だが妖精たちは、アルマの言葉を信じたわけではない。滅亡という言葉には実感が湧いていない様子だ。
例外は妖精王だけ。
「いや、しかし……。それは……」
難しい顔で苦悩していたが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。
「被告人が重い使命を担っていることは理解した。しかし、そのことは本件とはなんら関係がない。今、善行をなそうとしているからといって、それがそのまま、過去の大罪を消し去ることにはならぬのだ。また、サレムの使命は誰か別の者に受け継がせることも出来よう。……そなたの反論はそれだけか、アルマよ」
アルマは首を振る。
「もちろん違う。今の言葉は裁判に対する反論ではない。我が主であるシャイードには、最後のドラゴンである以上の価値があることを、無知な汝らにわからせたかっただけだ。我がこれからする証明は、単純明快だ。そこにシャイードがドラゴンであることや、彼が背負う使命のことは関係してこない。その上で、汝らの法に則って、きちんと証明してやるぞ」




