妖精裁判 5
シャイードは目を開いた。
森が消え、炎も消え、代わりに沢山の妖精たちが彼を見下ろす広間が現れる。
正面にはローシが立っていて、心配そうにシャイードを見上げていた。
シャイードはふらつき、証言台に手をついて身体を支える。前髪を片手で握り込んだ。
「どうやら……」
ローシは息を吐き出し、杖を床に突く。
「記憶は解けたようじゃな」
小さな弁護人はローブをごそごそと探り、ハンカチを取り出してシャイードに差し出した。
シャイードは呆然とそれを見つめる。意味を量りかねたのだ。
ローシはハンカチを上下に何度か揺らした後、証言台の端に置いた。
「ほれ、使え。そう泣いていては証言も出来まいて」
言われて初めて、シャイードは自分の頬が濡れていることに気づいた。羞恥心から、乱雑にハンカチで顔を拭う。
ローシが記憶の魔法を使ってから、実のところ、ほとんど時間が経過していなかったようだ。
会場に居並ぶ妖精たちは、シャイードの言葉を固唾をのんで見守っている。
モリグナは揃って居丈高に腕を組みつつ、油断ない瞳で被告人を見つめていた。
「して。記憶は戻ったか、被告人シャイードよ」
裁判長である妖精王が、威厳に満ちて尋ねる。
「……ああ」
シャイードは何とか顔を上げた。答える声は暗く、顔色は真っ青だ。呼吸は浅く、速い。見てきた事実は受け入れがたく、気を抜けば我を忘れて取り乱しそうだった。
(落ち着け、醜態をさらすな)
自分自身に言い聞かせる。
シャイードは、何もない虚空に張られた一本のロープの上で綱渡りをしていた。証言台に縋り付くことで、なんとか倒れずにいる。
ローシはその様子を、静かに見上げていた。
「俺は、俺が……っ!」
何度も言葉を紡ごうとして失敗する。喉がからからだ。舌が膨らみ、もつれて言うことを聞かない。鼓動ばかりが、耳の奥でガンガンとうるさかった。
俯いた額から、暑くもないのに汗がしたたり落ちる。人の姿でのみ起きる生理現象だが、とても場違いだ。脳はやけに冷えているというのに。
「お待ち下さい!」
唐突にローシが割って入った。妖精王とモリグナの視線が、シャイードからローシへと移る。
「どうした、弁護人よ」
「裁判長どの。恐れながら申し上げます。わしの魔法の影響で、被告人は現在、通常の精神状態ではありませぬ。しばし、落ち着く時間をいただけませんか?」
「戯れ言を! 裁判長、聞いてはなりません。弁護人は被告人に何らかの入れ知恵をする時間を稼ぎたいだけです!」
裁判長が返事をする前に、右端のモリグナが口を挟んだ。
ローシは片手を肩の高さに上げ、掌を裁判長に見せる。
「このローシ、誓って真実を曲げるようなことはいたしません。わしも、ただそれを明らかにしたいのです」
真ん中のモリグナが腕組みを解き、片手を横に薙いだ。
「ふざけるな。貴殿の魔法で、既に被告人は真実を思い出したのだろう!? もはやそれさえ証言すれば、この法廷は終了するのだ。これ以上の時間は不要!」
「いいえ。被告人の次の証言は、彼のその後の生を左右する重大な発言となります。万全の精神状態で発言出来るようにしなければ、被告人に不当に不利となります。それはこの公明正大な法廷にふさわしくありますまい」
「だが!」
「もう良い、モリグナよ」
さらに反論しようとしたモリグナを、裁判長は片手で抑えた。モリグナは唇を噛んで言葉を慎み、一礼して引き下がる。
「弁護人の主張を認める。余が見るところ、確かに被告人は気分が優れぬ様子だ。ロタの花が水盤を半周する間、休廷としよう」
人の時間にして30分ほどの休廷を言い渡し、裁判長は王笏を打った。
ざわつく法廷を後にして、シャイードとローシは控え室へ移動した。
心ここにあらずといった様子のシャイードの為に、ローシは椅子を用意させる。彼は糸の切れた操り人形のようにどさりと座り込み、俯いた。
「坊主には酷な過去だったようじゃな……」
ローシはシャイードの腕に手をかけ、息を吐き出した。
「語るのは辛かろうが……、わしは知らなくてはならぬ。何を見たか、教えてくれぬか?」
シャイードは虚ろな瞳でローシを見遣った。
ローシは小さく頷く。
そこに突然、勢いよく扉の開かれる音が割って入った。ローシは肩を跳ねさせて振り向く。シャイードは無反応だ。
「シャイード! 大丈夫?」
乱入者はロロディで、彼の声を聞いて初めて、シャイードは顔を上げた。
「サヤック!?」
ロロディはシャイードに近づきながら、困ったようにローシを見る。ローシは首を振った。
そばまで来ると、ロロディはシャイードの瞳を心配そうに覗き込む。
「オイラ、ロロディだよ。オイラがわかる?」
「あ……、あぁ。そうだったな、ロロ」
「良かった……。シャイード、まだ有罪になってないよね?」
ロロディはこの質問に黙り込んでしまったシャイードから、ローシへと視線を移した。
ローシは迷った末に、小さく頷く。半人半獣の少年は胸をなで下ろした。
「お前、見に来てたんじゃなかったのか」
シャイードの口調に、どこか傷ついた気配を感じ、ロロディは勢いよく首を振る。
「見てたよ! それで、シャイードの手元に、ショーコヒンがないのに気づいて、持ってきた」
「あ、……ああ」
今となっては遅い、とシャイードは冷めた思考をする。証拠品と言う名目はアルマを妖精たちに探させる建前で、裁判では何の役にも立たない。出来ることなら裁判の前に、アルマを回収して立ち去りたかった。
手首の縛めの問題はあるが、魔法的なことならアルマに何とか出来るかも知れないと考えていた。
それでも、約束を果たした誇りに瞳をきらきらとさせるロロディを見ていると、がっかりした様子は見せられない。
シャイードは無理に微笑んだ。ためらった後、あの言葉を何とか口から押し出す。
「あ……りがと、な、ロロ。それで、アル……、魔導書はどこだ?」
「あ、それがね、」
「少し良いか、ロロディ」
話を続けようとしたロロディの顔前に、杖が割り込んだ。ローシだ。
「悪いがこちらが先じゃ。余り時間がない。一つ、はっきりさせておかなくてはならんことがあるのじゃよ」
「あ、ごめんね、ローシ。オイラの話は後でもだいじょぶ!」
舌っ足らずに答え、ロロディは一歩下がった。
代わってローシが半歩踏み出す。
「結局どうだったんじゃ? 坊主は妖精を殺したのか? 森を破壊したのか?」
シャイードは膝に置いた手に力を込めた。確信を射貫く質問に奥歯を噛みしめた後、傍でこちらを見つめているロロディにちらりと視線を走らせる。
それからローシを見た。
「全て俺がやったことだ」
その声は落ち着いていた。少なくとも表面上は。
ローシの眉がぎゅっと寄る。ロロディは話が読めず、きょとんとした後でローシとシャイードの間で視線を往復させた。
「何の話? それって、さりばんのことじゃないよね?」
シャイードは唇を引き締めた後、ロロディを見た。
「裁判の話だよ、ロロ。俺は……、大罪人だったんだ」




