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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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追憶のイ・ブラセル 9

 背後に向けて吹き飛んだシャイードは、両腕で頭と胸をガードしながら着地し、追って飛んでくる大きめの石を避けた。それでも飛礫を避けることは不可能で、髪や衣服や目の中に入ってくる。

 白光と砂埃が消えたとき、岩塊もまた消失していた。


「……自爆、したのか……」


 身体を払いながら、周囲を見回した。砕けた岩や石片が散乱している。

 カーバンクルは付近の空間から魔力を吸い、それを額の宝石で純エネルギーに変換して放っていたが、この島の濃厚な魔力を処理しきれずに暴走したようだ。

 イレモノは何らかの魔術的手段で、カーバンクルと融合させられたのだろう。

 本来は小さな幻獣であるはずのカーバンクルが巨大化し、魔力を吸い集める奇妙な器官を背中に生やしていたのが証拠だ。


 しかし最後の最後で、イレモノは身体の制御権を取り戻した。暴走の副作用だったのかも知れない。そして彼女は外に向かう光条をすべて、内向きに発したのだ。

 粉々にはじけ飛んだ岩つぶての間を、爆心地に向かって歩きながら、シャイードはイレモノの姿を探した。

 わずかな、ほんのわずかな、彼女の生存の可能性に望みをかけて。


 だがそれは、すぐに落胆へと変わった。

 彼女の生存を示す証拠は、何一つ残っていなかった。カーバンクルの、とかげめいた肉片一つも見当たらない。

 残されたのは、魔力が凝り固まった大量の黒い石だけ。シャイードはその欠片の一つを拾い上げた。光沢のない黒色をした掌大の塊だ。


「これは……、血晶石か!」


 岩塊は血晶石に変じていた。


 血晶石の原石はその他の鉱石などと同様に、主に地層の中から発見される。古い時代の幻獣の死骸が、時の浸食によって変じた物だとされ、魔力を内包する赤黒い石だ。

 主に魔術の触媒に使われるのだが、原石のままでは使えない。魔法帝国の頃には精製技術があったのだが、帝国の崩壊と人竜戦争による混乱の中で喪失した。


 けれどもこの石は、精製された血晶石のように漆黒だ。

 幻獣の中には、体内に血晶石を持つものがいる。カーバンクルの額の石はその一つだが、この量はまるで、カーバンクルの身体を血晶石工場にでもしたかのような様相だ。

 サレムとグレッセンのやりとりといい、何かがひっかかる。

 シャイードはしばらくじっと考えた末に、首を振ってその石を地面へと落とした。


 思考はイレモノへと戻る。シャイードにとっては、少し言葉を交わしただけの知らない人間が、勝手に死んだだけのこと。ドラゴンに戻って東の無人島へ運ぶ手間が省け、本来なら喜ばしいはずだ。

 なのに、シャイードの視線はうつむきがちになった。もやもやしたものが、心のどこかに染みついている。

 彼はそれを、疲れのせいだと考えることにした。体内には、僅かな魔力しか残っていない。

 再び人の姿を取ることも出来ない。肋骨も痛んだ。


「これでは塔に戻れないな。回復するまで、ひとまず妖精たちのところへでも」


 かろうじて人型を保ってはいたが、この竜人の姿をドラゴンを探す人間たちにさらすリスクは冒せない。彼は重い足を引きずってその場を立ち去ろうとする。

 そこで顔を上げ――漸く気づいた。


「塔が!」


 舞い上がった埃が風に流され、回復した視界の中には、見えるはずの塔が見えなかった。


 今の自分の姿のことなど頭から吹き飛んで、シャイードは塔があった場所へと走った。

 塔は崩壊している。

 半ばほどの場所に光条の直撃を受けたらしく、上半分が折れて崩れ、周囲に砕けた石材が散乱していた。


「師匠……!」


 嫌な予感に胸を鷲づかみされ、シャイードは走る。

 魔法が使える師匠ならば、何の心配もない。けれど、今は。

 ただの人間以上に、師匠は弱っていた。

 人間たちが、僅かに動いているのが見える。石を退かし、仲間を助けようとしているようだ。

 シャイードはそこに走り込んでいった。


「師匠!!」

「ヒッ! バケモノ!!」


 気づいた兵士の一人が、恐慌状態になる。先ほどの戦闘と、続くカーバンクルの暴走と破壊で、精神がいっぱいいっぱいだったのだろう。

 その悲鳴に気づいた他の兵士も、埋もれた仲間を放置して逃げ出していく。

 シャイードは彼らに構わず、石を掘り始めた。

 竜人の姿である今は、人間の姿の時よりも遙かに高い身体能力を備えている。崩れた石材はみるみる掘り出されていくが、その僅かな時間すらも、シャイードにはもどかしい。


「師匠! お願いだ、返事をしてくれ。師匠! サレム!!」


 シャイードは両腕を必死で動かし、視線を絶え間なくさまよわせて師の姿を探した。師の生存を強く祈り続ける。

 明確な祈りの対象はない。誰でも良い。何でも良いから、お願いだから師匠を助けてくれ、と必死で祈った。

 何度か人間の死体を掘り当てた後、見覚えのある衣服の色を折り重なる石材の下に見つけた。

 シャイードは石の隙間に足を取られながら駆け寄り、自らの身長よりも二倍も大きい石柱を両腕で持ち上げて脇に放る。肋骨の痛みに顔をしかめるが、構わずに続く壁の塊も同様にした。

 師の背中が見えた。


「サレム!!」


 必死で石を退かして現れた頭は、真っ赤に染まっていた。師はぴくりとも動かない。

 名を呼び、背を揺らしても返事はない。


 ……と、不意に師の身体が動いた。

 絶望から希望へと、シャイードの瞳に光が灯る。


「た、たすけて……」


 聞こえてきたか細い声は、しかし、即座に希望を打ち砕いた。

 師の脇腹の下から、黒いローブの腕が生える。グレッセンだ。

 シャイードは師の身体を慎重に持ち上げて仰向けに横たえ、その下に埋もれていた敵を掘り起こす。

 グレッセンは舞い上がる瓦礫の埃に何度か咳き込んだ後、顔を上げてシャイードを見た。その瞳が、すぐに驚愕に見開かれる。


「キサマ、……は……」


 シャイードは問いかけには答えず、グレッセンの胸ぐらをつかんで引っ張った。


「何があった!? 言え!」

「ヒッ! わ、分からない!」


 グレッセンはかばうように両手を顔の前に重ね、堅く目を瞑った。シャイードはいらだたしげに彼を揺らす。

 そこでシャイードは、グレッセンの前髪に隠れていた右目が、つぶれていることに気づいた。古い傷だ。


「や、やめてくれ……! ほんとに、急に、塔が崩れて……! サレムが……」

「サレムがどうした!」

「わ、私を、か……かばって……」


 シャイードは怒りと絶望で、目の前が真っ暗になるのを感じる。

 その時、サレムがうめき声を上げた。

 シャイードはグレッセンを放り出し、サレムの傍に跪く。


「サレム? サレム!!」


 血と埃まみれの頬を軽く叩いた。サレムがうっすらと瞼を開き、シャイードは泣きそうな顔で安堵する。

 サレムが震える手を持ち上げようとしているのに気づき、シャイードは両手で彼の左手をつかんだ。

 頭の中に、言葉が直接流れ込んでくる。


『シャイード、よく聞きなさい。私の首からペンダントを取るのだ。お前にそれを託す』

「ペンダント……? 何言ってるんだ、サレム。そんなの後で」

『大事なことだ、シャイード! ………っ』


 流れ込んでくる言葉が、急に衰えて消えそうになる。シャイードは慌てて手を握り直し、分かったというように必死で頷く。


『………、ペンダントは、……誰にも見せてはならぬし、渡しても、ならん。クルルカン、遺跡で受け取……、必ず、……。………、世界と、お前の、未来……を……開け』

「サレム!? サレム、どうしたんだ! 俺は、何を受け取れば良いんだ!?」

『……。シャイード、すま……ない……、私を、許……』


 サレムは途切れ途切れに何かを言い、最後に哀しげに微笑んだ。それからその瞳は、急速に何も映さないガラス玉に変わってしまう。


「おい、サレム! ……サレム? 嘘だろ、冗談止めろよ」


 シャイードは唇を噛みしめ、嫌々と首を振る。師の手を握りしめる力が強まった。


「返事しろよ、サレム。……返事、……っ……!」


 何度呼びかけても、もはや答えは返らなかった。

 シャイードは背を丸めて蹲る。

 絶望と喪失感で、動けない。

 シャイードは初めて気づいた。サレムが死ぬという可能性を、一度も考えたことがなかったことに。

 サレムはシャイードの中で、不変で、無敵の庇護者だった。常に正しい選択をする賢者だった。

 サレムに任せておけば大丈夫、サレムなら大丈夫、そんな絶大な信頼を寄せていた。

 それが、崩れ去った。ただ一つの嵐で、一握りの人間たちのせいで。永遠に続くと思えた時間が、あっけなく終わってしまった……

 永遠も不変も、世界には初めから存在しなかったのだ。存在しないものを、シャイードは無意識に信じていた。だから何の準備も出来ていなかった。

 このような別離を。


 ――またしても、人間が奪った。

 ――大切なものは、いつも人間が奪っていく。


 腹の底で、なじみ深い黒い情動がとぐろを巻いていた。ぐるぐる、ぐるぐる。

 それは出口を探しているように思えた。

 しばらくして顔を上げたとき、シャイードの金の瞳は冷え切っていた。師の首から、遺言であるペンダントを受け取り、自らの首に提げる。

 そして立ち上がり、きびすを返した。


 グレッセンは放り出された状態のまま、瓦礫の上にへたり込んでいた。腰が抜けて、瞳に怯えを浮かべている。

 シャイードは彼に近づき、無言でその胸ぐらをつかみ上げた。片腕を掲げると、相手の身体が空に浮く。

 そのまま近くの石壁にグレッセンの身体を押しつけ、その首を圧迫した。


「苦し……、やめ……」

「なんでお前が生きてる? なんでサレムが死に、お前が無傷なんだ? 教えてくれよ」


 声は低く、どこまでも冷たい。シャイードは乾いた瞳で目を剝き、無邪気にも見える様子で首を傾げて、魔術師を仰ぎ見た。

 グレッセンは脚をばたばたさせ、もがく。両腕でシャイードの腕を外そうとするが、黒い鱗に覆われたそこに爪跡一つも残せない。

 もう声を出すことも出来ず、喉からヒューヒューとか細い呼吸音をさせるのみだ。


「薄汚いニンゲン。サレムの代わりに、お前が死ねば良かったのに」


 言葉は平坦で、ささやくようだった。

 シャイードの瞳は、冷たい炎を宿したように輝く。身体の中からわき起こる黒い衝動に突き動かされるまま、シャイードはグレッセンの首を圧迫する力をほんの少しだけ強めた。

 柔らかさの奥に芯がある不思議な感触が、いとも簡単につぶれた。布越しの拳に骨が折れる感触が伝わり、グレッセンの抵抗が止む。薄い唇の端から、血の筋が流れ落ちた。金髪の魔術師の身体は今や力なく、ぶら下がっているだけだ。


 あっけない。あまりにもあっけなかった。

 これが人間? こんなにか弱いものが、ドラゴンを滅ぼしたというのか?

 シャイードは信じられない思いで、目の前の存在を見上げる。


「何とか言え。あのバケモノはどうやって作った。イレモノをどうした?」


 手の力を緩め、シャイードは問いかけた。グレッセンの頭は、がくりと前に倒れる。まるで頷いたようにも見えたが、それ以外に動きはない。

 彼はもう、そこにいなかった。

 シャイードは静かに魔術師だった男を見つめた後、不愉快そうにそれを投げ捨てた。瓦礫の山に頭から落ちても、グレッセンは全く動かない。


 シャイードは爪の伸びた両手を上向け、掌を見つめる。

 憎い人間を、初めてこの手で殺めた。

 人間は弟たちや母のかたきであり、グレッセンは個人的にもサレムのかたきである人間だ。

 これでいい。俺は間違っていないと、暗い満足感を覚える。

 それでもまだ、シャイードを内から焼き焦がす黒い衝動は少しも収まらない。長い間、意識下にくすぶっていた熾火が炎に戻ったかのように、彼の身体を熱く燃え立たせ、さらなる生け贄を欲した。


 足りない。こんなことでは、全然足りない!!

 シャイードの脳裏に、動かなくなった師と、無口な奴隷少女の最後の微笑みがかすめる。

 ――購わせなければ。彼らの罪を、穢れを。

 そうだ、抗う必要はない。これは正しい裁きだ。黒い衝動は、漸く出口を見つけた。喉奥から這い上がり、四肢を支配して自由を手にする。


「ぅおおぉおおお……!!!」


 シャイードは身体を抱き、吠えた。

 そして、とうとう本来の姿へと変じた。

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