追憶のイ・ブラセル 3
(それはお前の考えることじゃない)
シャイードの意識は、愚かな行動を起こしかねない過去の自分を苦々しく思った。
(サレムに任せておけば良い。余計なことをするな!)
叫んでいるつもりでも、自分の唇は全く動かず、別の言葉を紡いでいる。
「よく分からないが、あいつらは何か目的があってこの島に来てるんだろう? その目的を果たさせてしまうか、目的が果たせないと思い知れば、もう来ないんじゃないか」
「キミは余計なことをしない方が良いと思うけどな。サレムは隠れていろって言ったよ? きっとそれが一番だよ」
(よく言ってくれた、サヤック! しかし……。俺が聞くだろうか?)
サヤックは嫌な予感を覚え、シャイードの腕をさらにぐいぐい引っ張った。
「もう帰ろうよ」
「……、わかった」
意外にもシャイードは、あっさりとサヤックの言葉を了承して、立ち上がる。最後に兵士たちに一瞥を向けた後、影に潜む歩き方をしてその場を離れた。
サヤックと共に森へ向かい、秘密の小道を抜け、妖精たちの住み処へとやってくる。広場に生えた、数十メートルもの幹周を持つ大樹の根元には、妖精たちが集まっていた。
妖精馬に花妖精、地妖精や羽妖精、もじゃもじゃしたもの、ころころしたもの、長虫のようなもの、苔むした岩のようなもの、鳥に似たもの、全てシャイードの顔なじみだ。
(みんな……!)
懐かしさに、胸がぎゅっと痛む。もうどこにもいない彼らが、今、目の前に生き生きとして動いていた。
地面は記憶にあるまま、ふかふかの緑の絨毯で覆われていた。
所々に生えている大小のきのこに、妖精たちは寄りかかったり腰掛けたりしている。シャイードとサヤックもその輪に加わった。
「おかえり、シャイード。おかえり、サヤック」
葉っぱの髪を持つ寸胴な木妖精が、二人に大きなプラムを差し出してくる。シャイードは「ただいま」と答えて受け取り、齧り付いた。甘酸っぱい果汁が舌いっぱいに広がり、疲れを癒やしてくれる。
左肩に、光精霊のフォスが乗った。フォスは言葉を話せないが、歓迎するように明滅している。
しばらくして、森の方角から風が吹いてきた。と思った直後、耳の傍で声がする。
「森にニンゲンが入って来たよ!」
言葉を運ぶ風がつむじを巻いた直後、背にトンボのような羽を生やした半透明の姿が現れる。
姿を消すのが得意な透妖精だ。
人間たちを偵察してきたらしい。
広場に集まっていた妖精たちは、その報告を待っていた。
「どんな様子だった?」と、誰かが見えない空間に問いかける。
するとそこに、新たな姿が次々と現れた。二人、三人。
「木を切り倒してた。そこに布の家を建ててたよ」
「川のそば」
「火を焚いたよ」
「動物を殺してた。鹿と……うさぎも!」
透妖精たちは次々と報告する。人間たちは海に近い森の一角に野営地をもうけた様子だ。
森には野生の動物たちも多く生息している。
この島の動物たちは人間を知らないため、恐れない。簡単に捕まえることが出来るだろう。
「腰を据えるつもりか? 一体、何が目的だ?」
シャイードは唇に人差し指を横様にあてがい、目を細めた。
「他に何か、変わった様子はなかったか? 何かを探していたり?」
近くを浮遊していた透妖精に尋ねる。
透妖精は縦にくるりと一回転し、「わからない」と答えた。
「でも、大きな道具を組み立ててた」
「大きな道具? どういうものだ?」
透妖精は考えた後、「シャイードが持ってるやつ」と答える。
「俺が持っているやつ?」
シャイードは怪訝な表情を浮かべた後、何かに思い至る。
直後、透妖精の一人が不安そうに森の奥を何度も振り返りつつ、シャイードの傍へとやってくる。
「シャイード。……フーリがいない」
「えっ?」
フーリは透妖精の一人だ。いつも一緒に行動していることが多い彼らだが、確かに、今ここに姿を現している中に、フーリの姿はない。
「姿を消しているわけでもないのか?」
透妖精は首を振る。
「ニンゲンのところまでは、一緒に行ったんだ。そこでばらばらになって、あちこち見て回って……」
「帰るときには?」
「帰るときには……、いた、と思うんだけど……」
「帰り道ではぐれたのか」
他の透妖精も異変に気づいたのか、次々に集まってきた。「フーリ、いない」「ほんとだ。後ろを飛んでいたと思ったのに」
「シャイード」
隣で、サヤックが心配そうな顔をしている。
「もしかしてニンゲンにつかまった?」
「まさか! 見えないのにか?」
透妖精たちは顔を見合わせた。
「探してくる!」
「待て!」
再び森の中へ戻っていこうとした彼らを、シャイードは鋭い声で制す。飛び去ろうとしていた透妖精たちは、空中でブレーキを掛け、一斉に振り返った。シャイードはゆっくりと歩み寄っていく。
「俺も行く」
「シャイード!?」
サヤックが驚いて彼の服の裾をつかんだ。
「勘違いするな。俺はただ、ニンゲンたちの目的を探りたいだけだ」
妖精の友は必死で首を振る。
「駄目だよ、キミは姿を消せないんだから! 見つかっちゃうよ!」
「………。まあそれに? もしかしたらフーリは、透妖精だけでは助け出せない事態に陥っている可能性もあるし?」
さも「ついでだ」とでも言わんばかりの口調で続けるが、視線が泳いでいるのか、視界が揺れている。中のシャイードの方が、聞いていて気恥ずかしくなった。
(お、俺ってこんなだったのか……?)
素直にフーリが心配だと言えない自分を、土の中に埋めたくなった。サヤックにはおそらく、見透かされているだろう。
そう思いながら彼を見ると案の定、口元の笑みを必死でかみ殺す顔が見えて、記憶の身体の中で悶えた。
サヤックはこんな時でも斜に構えようとするシャイードに頬が緩みそうになっていたが、一つ首を振って真面目な顔を作る。
「そ、それは、そうかもしれないけど! でもキミは……!」
サヤックは言いかけて口を噤んだ。シャイードが口を引き結び、睨んでいたからだ。
その先は言うな、と。
「……俺なら平気だ。いざとなれば何とでもなる」
「どっから来るの、キミのその自信は」
サヤックは両肩を落として全身でため息をついた。とはいえ、フーリをこのままにしておけない気持ちもある。サヤックは悩んだ末、しぶしぶ、シャイードの服の裾を離した。
「これだけは約束して? 何があろうとも、元の姿に戻るのだけは、絶対に駄目だ」
「言われずとも」
人間たちに、ドラゴンが生きていると知られるのが最悪の事態だと、シャイードにも充分わかっていた。
「そんな顔するなよ、サヤック。俺に任せとけって!」
サヤックの肩を軽く叩き、シャイードは透妖精たちに顔を向ける。
「よし。ニンゲンたちの野営地まで、案内してくれ」
「待って、その前に」
透妖精の一人が、首にかけていた小瓶を取り外し、栓を抜いた。
「上を向いて、目を大きく見開いて、シャイード」
「? こう、か?」
シャイードが指示に従うと、小瓶を持って飛び、シャイードの目の上で逆さまに振った。薄い水色をした液体が、金の瞳の上にこぼれて膜を作る。
「うわっ」
シャイードは反射的に目を瞑った。手で擦ろうとしたが、「擦っちゃ駄目」という言葉が同時に幾つも聞こえ、手を止める。その代わりに瞬いた。
特に視界に変化はない。不思議そうに視線を動かしているシャイードの目の前に、小瓶を持った透妖精が降りてくる。
「これでぼくたちが姿を消しても、シャイードには見えるよ」
言って透妖精は姿を消した。けれど、シャイードの視界には、彼の輪郭が赤く縁取られて見える。
「へえ、便利なもんだな。……よし、行くぞ」
シャイードは先行する透妖精たちの後を追い、走り出した。




