追憶のイ・ブラセル 2
巨大な裁きの場に、沈黙が降りる。
飽きっぽい妖精たちが、シャイードの話に大人しく耳を傾けていた。彼らは物語が好きなのだろう。
見知らぬ土地の、知らない誰かの物語。
モリグナは例外だった。いつまで茶番が続くのかと、いらいらして翼を掻いている。
「招かれざる客がやってきたのはそれから半月ほど後のことだ。塔の綻びは既に直してあったが、場所を知られた隠匿の魔法ほど脆弱なものはない。どこに隠し扉があるか分かっていれば、あとは開けるだけさ」
シャイードは肩をすくめた。
「そいつらは、俺が初めて見るニンゲンだった」
◇
「おい、サヤック! サボるんじゃねえ」
鍬に片手を置いて、シャイードは唇をとがらせた。サヤックは岩を背にして、ガラス玉を見つめていたが、怒声に飛び跳ねる。
「わ、シャイード! ボク、サボってた?」
「全然片付いてないっつーの!」
シャイードは盛大に息を吐き出す。サヤックに悪気がないのは分かっている。ただ、妖精は大抵気まぐれで、一つのことに集中するのが苦手だ。サヤックは特にそうだ。
ガラス玉を肩掛け鞄の中に大切にしまい、サヤックはバケツを手に取る。
「そうだった。ボク、ゴミを片付けているところだったよね」
「まったくもう……」
呆れ顔を持ち上げると、サレムが塔から出てくるのが見えた。魔術師の杖を手にして大股に歩いている。
「師匠だ。どこに行くんだ?」
その時、サレムがこちらを見た。
脳裏に、師の声が響く。
『シャイードよ。サヤックと共に森にゆき、私が良いと言うまで妖精たちと隠れていなさい』
シャイードは眉根を寄せた。訳が分からない。
「隠れるって、誰からだよ?」
けれどサレムの言伝の魔法は、一方的に言葉を伝えてくるだけのものだ。こちらから問い返しても伝わらない。
サレムはシャイードの疑問を知ってか知らずか、既に前方に向き直って足早に立ち去った。
「……んだよ。訳わかんねぇ」
「シャイード。行こう?」
サヤックが袖を引っ張った。彼にも師の命令が聞こえたのだろう。
「まあいいか。畑の修理にも飽きてきたとこだ。チェリカでもしようぜ」
最近サヤックとはまっている盤上遊戯の名を出して、二人は森へと入っていく。
◇
シャイードは唐突に口をつぐんだ。額に手を置き、何かを探すように盛んに瞳を動かしている。
「その後、俺は……、サヤックとチェリカをして……」
思い出せない。記憶が飛んでいる。脳が急速に冷えていく。
盤石だと思えていたものが、不意に曖昧であやふやな、砂上の楼閣だと知った。シャイードは必死で、記憶の断片をつなぎ合わせようと試みる。
「いや、その前に、船を見たんだったか……? 帝国の船、ニンゲンがいっぱい乗っている。サレムが、何か、言い争っていて? でもそれは、塔の前だった?」
「ふむ。ここいらはもう、少し記憶の糸が乱れておるようだな?」
ローシが杖を構えた。空いた片手を、杖と対になる場所にかざし、目を閉じて魔力を練る。
魔力が満ちた直後、ローシは勢いよくシャイードの目の前に飛び上がった。
「メモリア!」
かけ声と共に、シャイードは杖で頭を殴られている。
痛い、と思ったのは錯覚だ。
視界が急速に渦を巻き、縮こまり、それから逆回転して広がった。
シャイードは畑に立っていた。
◇
「待てよ、サヤック」
シャイードは自分の口が勝手に話すのを自覚する。身体も勝手に動く。サヤックがつまんだ裾を逆に引いて、サレムが消えた方角を見遣った。
(なんだ……? これは、俺の、……記憶か?)
まるでその場に戻ってきたみたいにリアルだ。それなのに、全てが意のままにならない。自分という肉体の牢獄に捕らわれたまま、言葉も力も奪われたかのようだ。
耳と視界と思考だけがクリアだった。
「隠れるってどういう意味か、気になるだろうが」
「ええー……。止めておこうよ、シャイード。サレムに怒られるよ?」
「ばれなきゃ良いんだ。お前との修行が役に立つときが来ただろ。気配を消し、影に潜む、だ」
「ボクは止めたからね、シャイード」
眉を困らせながらも、サヤックはシャイードについてくる。
(サヤック……)
後ろを振り返って、もっとサヤックを良く見たい、とシャイードは思った。けれど身体は、まっすぐに前だけを見ている。
(そうだ。俺は、サレムの命令を無視して、後を追ったんだった。何で忘れてたんだ?)
そこで帝国の軍船を見たのだ。
島の西側は、湾になっている。先日、サヤックと漂着物探しをしたのもここだ。
帝国の船は沖に停泊し、そこから小舟を使って兵士たちが続々と上陸していた。ざっと見ても20人以上はいる。船にも何人かは残っていることだろう。
「あれは……ニンゲンか? どうやってここを知ったんだ?」
シャイードは自分の声が驚愕の響きを持って隣のサヤックに語りかけるのを自覚する。
サヤックも目を丸くして首を振っていた。
二人は岩陰に隠れており、砂浜に立つ帝国兵達とはかなりの距離があった。
サレムが無防備な様子で彼らに近づいていき、気づいた帝国兵が警戒して剣の柄に手を掛けるのが見えた。
それを制して、魔術師風のローブを身にまとった人物が二人、サレムに近づく。うち一人は小柄で、子どもか女性かも知れない。
彼らは何かを話し始めたが、遠くてシャイード達のところまで声は届かない。波の音も邪魔していた。
先に立つ魔術師が、フードを背後に下ろす。ウェーブがかった金髪の男だ。身振りを交え、その男はサレムに何かを言っているようだ。
一方のサレムは、一言二言口にして、ひょいと肩をすくめた。金髪の魔術師が弾劾するかのようにサレムを指さし、さらに何かを言っている。
なにやら不穏な空気だ。
サレムと背の高いの魔術師が話している間に、後ろに控えていた小柄な魔術師が密かに手を動かしていた。俯いていて口元は見えないし、当然声も聞こえない。だが、呪文を詠唱しているだろうことは想像に難くない。
「アイツ……!」
(バカ! ここで出てどうする!)
飛び出そうとする身体を、シャイードの意識が必死で止めようとした。しかし実際に止めてくれたのはサヤックの腕だ。
「待って、シャイード。平気」
ほら、とサヤックが指さすのと同時に、小柄な魔術師の片腕が大きく背後に弾かれた。その手から、何か光る物が飛んで離れた砂の上に落ちる。
サレムが右手をそちらに突き出している。不審な動きに気づいて、とっさに妨害したのだ。
サレムは怒ったらしい。きびすを返して、来訪者たちの元から立ち去ろうとする。
リーダー格の魔術師が片手を振り、兵士たちが走ってサレムを取り囲んだ。
サレムは素早く杖を横に振る。すると、見えない腕になぎ倒されたかのように、兵士たちはばたばたとその場に倒れた。
サレムは悠然と立ち去ってしまった。
サレムが立ち去った後も、シャイードは帝国の船と兵士たちの観察を続けた。
二人の魔術師が何かを話していた。小柄な方が背後を指し示し、金髪の魔術師は何かを命じている。その間に、兵士たちは荷物を小舟から運び出していた。
やがて小柄な魔術師は、俯いて砂の上を歩き始める。時折しゃがんでは、また立ち上がって歩いた。
金髪の魔術師はフードを被り、兵士たちにも何かを命じている。森を指さし、兵士たちが頷く。それからサレムが立ち去った方角を指し示して何か言った。
サヤックがしびれを切らし、シャイードの腕を両手でつかんで引っ張る。
「もう行こう、シャイード。ぐずぐずしてたら見つかるよ」
「あいつら、何者なんだ? どうやってこの島を見つけた? 何をしに来た? 師匠と何を話したんだ?」
意識の中のシャイードは、最後の問いかけ以外の答えは既に持っていた。
帝国船を見つめるシャイードが何を考えているのかも分かる。
絶対に秘密のはずの島の場所が、人間に知られてしまった。何とかしなくてはいけない。
一番簡単なのは、秘密を知る人間たちを全て消してしまうことだ。
彼はまず、そう考える。そして直後に気づく。
もしも、この島の場所を知ったのが、ここにいる者だけではなかったら。
最初に島に向かった者たちが帰らなければ、彼らを探すためにも、次の者が押し寄せるだけではないのか。
それでは駄目だ。意味が無い。
シャイードは無意識に、親指の爪を噛む。
「どうすればいい……。殺さずに、島から立ち去らせ、二度と来ないようにするには……」




