追憶のイ・ブラセル 1
嵐の翌朝は、晴れた。
付近の雲は、嵐の王が全て連れ去ったらしい。
びしょびしょに濡れた塔の玄関扉を開き、師の後を追って外に出る。辺りにはどこかから飛んできた木ぎれや枝が散乱している。ぬかるんだ草地を踏み、少し離れた場所から塔を振り返った。
「いかんな。天辺の石組みが欠けている」
見上げる師の横顔は厳しい。おそらく眉間にはいつも以上に深いしわが刻まれているだろう。顎を撫でて思案する師を見ながら、シャイードは一歩二歩と下がる。青灰の瞳がこちらを捉える一瞬前に、とうとうきびすを返した。
「俺、あちこち様子を見てくる」
面倒なことを頼まれるのはごめんだと、師が背中に向けて何か言うのも聞かず、一目散に北の森に向かった。
妖精たちの棲む森にたどり着くまでの間にも、嵐の爪痕はあちこちに見られた。
倒木に、木々が詰まって溢れた水路、流された畑の土、歪んだ柵。
壊れた設備や畝を作り直す労力を考えると憂鬱だった。
森の近くまでやってきた時、サヤックが小道をやってくるのが見えた。シャイードは片手を大きく上げて振る。
顔を上げたサヤックが気づき、笑顔で駆けてきた。
「シャイード! 嵐、凄かったね!」
「なんでお前、嬉しそうなんだよ……。俺は仕事が増えて憂鬱だってのに」
「だって、凄かったんだもん」
サヤックはまるで答えになっていない答えを返し、シャイードの手を取った。そのままぐいぐい引っ張っていく。
「お、おい! どこ行くんだよ!」
「海!」
サヤックは振り返りもせず、シャイードの抗議も受け付けずに突っ走った。
海岸は確かに見ものだった。
満潮時よりもずっと深いところまで、波が洗った形跡がある。砂浜には巨大な流木を筆頭に無数の木片、魚や貝、何かの骨、木の実など、様々な物が打ち上げられていた。
「海賊の宝、流れ着いてないかな!?」
サヤックが蹄を砂地に沈めつつ、ぴょんぴょんと楽しげに跳ねる。
シャイードも少なからず興味を覚え、足元を見つめながら海岸を歩いた。時折、興味を惹かれるものを見つけては、しゃがんで拾い上げる。
シャイードの場合、大抵は一時的な興味で、観察した後には元のところに落とすのだけれど、サヤックは一度手にした物を、あれもこれもと持ち帰ろうとしていて、既に腕の中がいっぱいの様子だ。
何度も取り落とし、拾っては別の物を落としている。
そのうちに、半泣きになってシャイードの方へ歩み寄ってきた。
「シャイードぉ……! ボクの宝物、半分持つの手伝ってくれない?」
「嫌だね。お前は欲張り過ぎなんだよ、サヤック。持てるだけにしておけ」
「ええーっ! 選べないよ! 何か袋、落ちてないかなぁ? 箱でも良いんだけど」
「どうだかなぁ」
肩をすくめながら、視線を遠くに合わせたときだ。視界の片隅で、何かが光を反射した気がした。
「シャイード?」
無言で、急に一方向に向かって歩き出した友を、サヤックは不思議そうに見守る。
シャイードと宝物とで迷った末、持っていた宝物をその場に全て置いて、彼の後を追った。
追いついたとき、シャイードは砂地の中からガラス玉を拾い上げていた。
「何それ?」
「さあ?」
リンゴ大の青みがかった透明な球体だ。中身は空洞。
―――否。
中の空隙に、一瞬だけ何かが閃いたような気がした。けれどもそれは、目をこらすと見えなくなってしまう。
シャイードはガラス玉を持ち上げ、光にかざした。
金色の虹彩が大きくなる。
「何、何、何が見えるの、シャイード。ボクにも見せてよ!」
サヤックが片手を伸ばしてピョンピョン跳ねた。シャイードはその手からガラス玉を遠ざけつつ、光にかざしていたが、やがて首をすくめる。
「やっぱり、中身はただの空気かな?」
ほれよ、とサヤックにガラス玉を放る。サヤックは両手をわたわたさせながら受け止めた。
「欲しいならくれてやるよ。その代わり、畑の修理を手伝え」
「えっ? 本当に! そんなことでいいの?」
サヤックはガラス玉を大事そうに両手の平に包み込んだ。
「うわあ……。海の泡を捕まえたみたい。凄く綺麗。ありがとね、シャイード!」
「別に。俺はいらねぇだけだ」
シャイードは視線を逸らし、鼻の頭を擦った。サヤックはガラス玉を目線の高さにかざし、片目を瞑って海を透かし見ている。
「こんなにきらきらしているのに? 不思議だね。話に聞くドラゴンは、きらきらした財宝が好きなんだよ? キミはそんなにきらきら、好きじゃないの?」
「そういえば……。良く財宝を集める性質があるって聞くよな。俺には今のところ、特にそういう執着はないな」
顎に手をやって考えながら答える。
宝石や金貨など、純粋に綺麗だなとは思うものの、それを抱え込みたいとか、独り占めしたいという衝動に駆られたことはない。
「ドラゴンにも個体差があるんじゃないのか?」
「シャイードも、大人のドラゴンになったら何かに執着するかも知れないよ」
「はあっ!? 聞き捨てならねぇぞ。俺はもう、充分に大人だろうが!」
「あはっ! それはないよー! だってキミはまだ、たった19年しか生きてないくせに」
「なんだと! どれだけ長く生きてもガキっぽいお前らと一緒にするな!」
ぐるるる、と喉奥で唸り、両手の指をかぎ爪のように曲げてサヤックを威嚇した。
その様子に臆することなく、サヤックはケラケラと笑う。
「何が宝物になるんだろうね?」
「宝、ねぇ……?」
腕組みして空を見上げる。雲一つ無い美しい空。
いつか自分も、何かを集めてみたくなるのだろうか。
◇
「少しも核心に迫らぬではないか!」
しびれを切らしたモリグナが、シャイードの語りに口を挟んだ。シャイードは夢から覚めた表情で口をつぐむ。
記憶の中の砂浜は、とてもキラキラとしていた。
あの砂を、水を、光を、今なら集めたいと思う。集めて自分の部屋へと持ち帰って、大切にしまっておきたいと思う。
「急ぐ狩人には獲物が少ない」
ローシがシャイードを背にかばうようにして立ち、モリグナと対峙した。弁護人は肩越しに被告人を振り返る。
「今のところ、記憶に断絶はないな? しかし、そのガラス玉というのは何だったんじゃ?」
「それこそが、敵の策略だったんだ」
シャイードは頬をこわばらせ、沈んだ声で語った。
「ウィッチボール。あれは、帝国の魔術師が放った偵察用の魔法具だ。同様の物が、幾つも海に放たれていたらしい。あれらは海の上を、海流に乗ってどこまでも漂っていく。そして魔法に触れると信号を放つんだ」
「魔法とな?」
シャイードは頷く。そのまま、視線を証言台に固定した。
「本来ならば、島の隠蔽の魔法がそういった物すらも弾いていた。けれど嵐のせいで塔が壊れ、隠蔽の魔法に綻びが出来てしまっていたんだ。そこを、ウィッチボールがすり抜けた。不運が重なった」
シャイードは目を細める。
「イ・ブラセルは知られた。それを、長いこと探していた奴らに」




