妖精裁判 4
ローシの指の先。それはまっすぐにシャイードを指し示している。
「…………なんだと!」
モリグナが三者三様に身を乗り出す。
「当たり前じゃろう。操った者がいたことを証明できるとすれば、操られた本人に他ならない」
「しかしっ! 被告人が嘘を言っていないとすれば、何にせよ妖精を殺したときの記憶がないのだろう? 操られた記憶だって……」
モリグナは鴉の頭をかきむしらんばかりだ。
「それも仮定の話じゃろ。聞いてみなければ分からん。ただその結果、坊主……、被告人にとっては有罪よりもさらに酷なことになるかもしれんのじゃが……」
「やるよ」
掠れた声が、きっぱりと言ってのけた。シャイードだ。
この数分の間に、酷くやつれたように見える。立っているのもやっとな様子で、被告人席のテーブルに片手をついて身体を支えていた。
「俺もあの日、何が起きたのかちゃんと知りたい。俺自身は、あんな……」
ここで彼は吐き気を堪えるように、口元を手で覆う。何度か息を整え、再び顔を上げた。
「あんなことは絶対にしていないと、全く記憶にないと、断言するけれど。フォスが、嘘をついて俺を陥れようとしているなんて、それ以上に信じられない。だったら、何かがおかしいはずなんだ」
そこまで言って、シャイードは力尽きたように、椅子に頽れた。
「何でも言ってくれ。俺は、何をすれば良いんだ?」
「記憶を解く旅じゃ」
ローシはシャイードに向けて、杖を掲げた。
「坊主はイ・ブラセルにニンゲンたちがやってきたこと、ニンゲンたちが妖精たちと争いになったこと、そこから独りで――正確にはフォスと一緒に――脱出したこと、などは覚えておるのだろう?」
「あ……、ああ」
シャイードは胸に手を当てた。
「覚えている、と思う」
「それを、順に追ってゆこう。どこかで、何かがおかしくなっているはずじゃ。その糸の絡まりを解いた先に、真実が見えるとわしはにらんでおる」
「覚えていない箇所に来たら、どうすればいいんだ?」
「それこそが手がかりじゃよ。さあ、語ってくれ。あの日の出来事を!」
フォスは証人席へと動かされ、再びシャイードが証言台に着く。
たかだか二年数ヶ月余り前のことでしかないのに、シャイードにはそれが、酷く遠い昔の出来事のように思えた。
彼は台に両手をついて俯き、どこが発端なのかと考える。
やがて、彼はゆっくりと顔を上げ、口を開いた。
「その夜、酷い嵐が島を襲ったんだ――」
◇
ばたばたとうるさく鳴り響く振動に眠りを破られ、シャイードは顔を上げた。
両腕の下には開いたままの本がある。机でうたた寝していたらしい。傍らに置かれた燭台の蝋燭は、既に筒状の姿を失い、受皿の上で弱った光が灯心にしがみくばかりだった。
時間の感覚がまるで無い。どれだけ眠っていたのだろうか、とぼんやりする頭で考え始めた時、再びばたばたという音が耳に入る。
渋い瞼を何度か瞬いた後、燭台を手にして席を立った。
狭い私室のドアを開いて、塔の外壁に沿って弧を描く階段を上っていく。
音の発生源は、明かり取りの窓だった。しっかり閂を掛けたつもりだったが、甘かったらしい。振動で外れて開いている。
冷たい風が吹き下ろし、守るためにかざした片手をあざ笑うかのように、か細い炎を奪っていった。
「チッ」
シャイードは舌打ちをする。
光の消えた階段は暗かったが、やがて目が慣れた。それ以上に、十数年も毎日上り下りしている階段は、身体が覚えていた。
暴れる木製の窓を閉め、手探りで鉄の閂を下ろす。二度と風で開かぬように、念入りに奥まで差し込んだ。
階段は濡れそぼっている。雨が吹き込んだのだ。シャイードは水たまりを踏まぬよう、つま先立ちになって避ける。
(こんな時期に、これほど酷い嵐は珍しいな)
窓を閉めてしまうと、風雨の音は遠くなる。その代わりに、あり得ないことだが、まるで塔全体が風で揺らされているような錯覚を覚えた。
念のために他の窓も見回っておこうと考え、さらに階段を上っていく。
窓を確認しながら階段を踏んでいく内に、先が明るくなってきた。その理由はすぐに分かった。
師の部屋の扉が薄く開いていて、そこから内部の光が漏れているのだ。
(師匠はまだ起きているのか?)
今、何時なのかは分からないが、早い時間ではないだろう。もしかしたら宵よりも暁に近い時間かも知れない。
そこでふと、シャイードは足を止めた。
何か、低い音が聞こえた気がしたのだ。
じっと耳を澄ませる。話し声だ。
(師匠の声と……?)
もう一つの声は聞こえない。師の声も、何を言っているかまでは分からなかった。
好奇心の赴くまま、静かに扉に近づいていくと、話し声はいつの間にか止んでいる。
光の筋に、影が差したと思った直後、扉が開いた。
「こんなところで何をしている? シャイードよ」
サレムだ。
サレムは魔術師というには立派な体格をしていた。小柄なシャイードと並ぶと、余計にそう見える。
白と呼ぶにはくすんだ、襞の多いローブを身にまとい、フードのついた茶色のガウンを羽織っていた。眉間には深いしわが常駐している。長い年月の苦悩が、そこに癒やせぬ傷を刻んでしまったかのようだ。
元は艶やかだったろう黒髪も、今は半分以上白くなり、全体として灰色の印象を受ける。
オールバックにして、首の後ろで一本にくくられているが、何本かの後れ毛が額の両脇で揺れ、厳格さに少しばかりの隙を添えていた。
灰青の瞳は時に若々しく、時に老人のもののようにも見え、彼の年齢を悟らせない。
そもそもシャイードは、師の年齢を知らないのだ。物心ついたときから師の姿は全く変わらぬように見えるからだ。
魔術師とはそういうものなのだと思い、特に疑問に思ったこともなかった。
「え? あ、ああ。嵐で窓が開いていたんで、閉めたんだ」
シャイードは扉をふさぐように立ちはだかるサレムの向こうを見ようと、答えながら頭を傾ける。
「師匠。今、誰かと何かを話していたか?」
「いいや?」
サレムは身をひき、片腕で室内を示した。
「この通り、部屋には私だけだが?」
シャイードはサレムの部屋に片足を踏み入れて内部を観察した。相変わらず、物が多くて狭い部屋だ。
本棚にも机にも床にもベッドの上にも、本が山積みされている。棚には薬草や鉱石や、乾燥した木々や何かの死骸の入ったガラス瓶。チェストの上の天球儀に水晶玉。何をかたどったか分からない像。羽根ペン、インク。散らばった羊皮紙に書かれた沢山のメモや図形。それにチョークと革紐と油と……。
いつも通りの品々しか見当たらない。そこには誰もいないし、誰かがいた形跡もない。
机の上に置かれたカップは一つだけ。それも既に空っぽだ。
そのカップを手に取り、師は扉を潜る。
「お茶にしよう。寝直すまでもない。どうせもうすぐ夜明けだろうさ」




