妖精裁判 3
フォスの映し出した光景は、一頭の黒竜による、破壊と虐殺のあらましだった。
黒竜は両腕で、老いた木々を易々と刈り取っては放り投げ、炎を噴き出し、そこに棲む生き物ごと破壊していく。足元では妖精たちが逃げ惑っているが、猛る黒竜の金瞳には全く映っていないようだった。
飛んでいる間に輻射熱で発火し、悶える火の玉となって落下していく妖精も多くいた。
白と黒の煙が手を取り合って死の舞踏を舞い、炎は木々を黒い影絵のように縁取る。
フォスも慌てて飛び回っている様子で、映像にはシャイードの姿が映ったり、煙が映ったり、飛んでくる樹木が映ったりしている。
映像は唐突に途切れた。
フォスは疲れたように、再びコップの底に沈む。
映像が流れている短い間、水を打ったように静かだった会場から、わっと喚声が上がった。悲鳴や怒号など、およそネガティブな声だ。
しかしシャイードには、自分に向けられたそれらの声が聞こえていなかった。
耳の奥に、ドクドクと血管が脈打つ音だけが聞こえる。
コップの中で弱々しく光るフォスに視線を据えたまま、同じ言葉が頭の中で繰り返されていた。
「何故だ……? 何故? どうして? なんで? ……フォスが俺を裏切る? なんでそんな嘘をつく。何故、どうして……?」
無意識に、言葉がこぼれている。
あんな光景は知らない。あり得ない。起こりえない。記憶にない。
不意に右腕に何かが触れ、シャイードは反射的に身をひいた。ローシがこちらを向いて何かを言っている。髭が動いている。
けれど何も聞こえない。
頭が痛い。
聞こえないのに、うるさい。
「静粛に!」
裁判長が声を荒げ、王笏が机を打った。キーンという空気の震え。
不意に、静寂が重力を得て、全身に落ちかかってきたようにシャイードには感じられた。
鈍く冷たい感覚に鳩尾を圧迫され、吐き気がこみ上げる。
シャイードは両腕を机につき、背中を丸めてえずいた。視界が真っ赤だ。それに凄く狭い。
「……以上がイ・ブラセルを襲った悲劇の詳細であり、純然たる事実であります」
モリグナの声が、水の中で発せられたもののように、妙に歪んで響いた。そこに早い心音が絡む。
裁判長は高座に深く座り込み、目を瞑って沈痛な表情を浮かべていた。
「だがしかし!」
ローシが発言の許可も得ず、机の上に立ち上がった。彼は裁判長の注意を惹こうと杖を高く持ち上げる。
「そんなはずはないのです、裁判長どの! わしは坊……被告人に、”真実”の魔法を掛け、彼の口からしっかりと、『妖精を殺したことはない』という言葉を聞きました。そこに嘘偽りはありませんでした。ここで再現することも出来ます。そ、そうじゃ! むしろその光精霊にこそ、”真実”の魔法を掛ければ」
「それは残念ながら不可能です。光精霊は話せませんから」
モリグナがすました口調で指摘する。
「ぐっ……。そうじゃったな……」
「もっとも、話せたところで結論は同じでしょうけれどね」
別のモリグナが、嘲りの気配を鼻に上らせて言葉を継ぐ。
ローシは杖を両手で握りしめて隣を見た。シャイードは俯いたままじっとしている。表情は虚ろだ。
「けれど、証人への尋問はそちらの権利です。ご自由に成されるとよろしい」
モリグナは不敵に笑って翼で腕組みをした。
ローシは迷ったが、逆転の切り札を手に入れるには踏み込むしかない。
血の気の引いたシャイードの横顔を見、腕にそっと手を置いた後、意を決して証言席へ向かった。
こつこつと杖をつき、証言台の前を二度往復する。そして立ち止まった。杖の天辺に両手を置き、台の上の精霊を見上げる。
「小さな光精霊よ。あー、フォスと言ったかの。わしはシャイードの弁護人で、ローシという。わしはシャイードを助けたいと思うちょる。これからフォスに幾つか質問するが、よいか? はいなら一度。いいえなら二度、光ってくれ」
フォスは力なく沈んだまま、数瞬の間、反応をしなかった。
ローシが伝わらなかったかと危惧し始めた頃、漸く一度、光った。
「うむ。良いの」
ふさふさの眉毛の下で、ローシは目を細めた。誰にも見えなかったが。
「先ほどの光景、あれはフォス自身が実際に見た光景か?」
一度の明滅。
「暴れていた黒竜は、ここにいるシャイードで間違いないか?」
一度の明滅。
モリグナが聞こえよがしに鋭く笑うが、ローシは気にせずにフォスを見つめた。
「ではシャイードは、妖精を殺していないという嘘をついているのか?」
二度の明滅。
ローシの片眉が上がった。
「ほう? それはおかしいの。矛盾しておる。何故じゃ?」
ローシは振り返り、高座の妖精王を見上げた。
「裁判長どの。この証人は、検察側と弁護側、どちらの言葉も真実だと表明しています。先の映像が真実だと言うならば、被告人の言葉に嘘がないこともまた、真実だと受け取らねばならぬと思いますが、いかがお考えですか?」
「まあ、そうでなければ公平とは言えぬな」
裁判長は重々しく頷く。
「だがその二つは並び立たぬぞ」
「可能性は幾つかありますが……、わしは……」
ローシは一度、言葉を切る。これは、正しい道筋だろうか。こうすることで事態をより悪化させぬだろうか。
その危惧は充分にあった。
こうなっているには、理由があるはずだからだ。
だが切り込んでいかなければ、真実は見えない。
「わしは、シャイードが当時、何者かによって操られていた可能性を提言したい」
「悪あがきを……!」
モリグナが憎々しげに言葉を投げた。ローシは平然としてそちらに向き直る。
「黒竜シャイードは、妖精を殺したことはないと言っている。そしてどうやらそこに嘘はない。ならば、彼のあずかり知らぬうちに、何者かが、彼を操ってそうさせた可能性は排除できまい? それを彼の罪にすることは出来まいて」
「だがそれではおかしなことにならぬか?」
真ん中のモリグナが腕組みをして首を傾げる。
「イ・ブラセルの破壊を生き延びた者は誰もいない。そこの、黒竜を除いて。妖精も、ニンゲンも、魔術師も、全てが死に絶えていたはずだ。だとすれば誰が、彼を操ったというのだ?」
ローシは片手の指を立て、チチチと振った。
「もはやその前提は崩れておるとは思わぬか。ほれ、そこに例外がおる」
ローシは杖を向ける。その先にはフォスがいた。
「!」
「た、たしかに、そやつだけは生き残ったようだが……! まさか、その光精霊がシャイードを操ったとでも言うつもりか?」
「はっはっはっ!」
ローシはモリグナの疑問に、胸を反らして大笑いする。口ひげとあごひげの間に、大きな口が見えた。
「おぬしらは揃いも揃って阿呆か。先ほどの映像を見なかったのか。混乱し、慌てふためいて逃げ惑っていた光精霊の様子を」
ローシの指摘に、モリグナははっとする。
「もちろん、違う。それ以前に、光精霊にドラゴンを操るような大それたチカラがないことなど、この場の誰もが知っておろう」
「ならば……!」
「黒幕は、妖精の中にいたのだ。そして、愚かにも巻き込まれて死んだ」
ローシはひょい、と両肩をすくめた。彼が被告席を振り返ると、シャイードがいつの間にか顔を上げてこちらを凝視しているのが目に入った。
それだけではない。ローシが紡ごうとしている新しい真実に、会場の誰もが固唾を飲んで見守っている。
呆然としていたモリグナが、我に返った。片手を突き出し、ローシを指さす。
「しっ、しかし! 貴殿が言っているのは全て、仮定の話。単なる幻想ではないか! それで我々を煙に巻くつもりか。証拠、……そうだ! 証拠を示せ。裁判では証拠だけが物を言うのだ」
「それはもっともな意見じゃな。ふむ」
ローシは既に反論を予想済みだとでも言うように、平然として髭を撫でる。
「その事実を証明出来る証人に、聞いてみるしかないじゃろ」
「なんだと? そんな者、どこにいる!」
「それはもちろん」
ローシは振り返り、一点を指さした。




