妖精裁判 1
ロロディが部屋を出てからしばらくして、ローシがやってきた。
「坊主、心の準備は良いかの?」
シャイードは面倒くさそうにベッドから起き上がり、ブーツを履いた。腰掛けた姿勢で前屈みに首を振る。大きなため息がこぼれた。
「俺の心境がどうであろうと、行かなきゃこれは外して貰えないんだろ」
両手を持ち上げる。今は全く重さを感じないけれど、そこには相変わらず、忌々しい手枷がはまっていた。ローシは胸を反らしてふぉっふぉと笑う。
「そう腐るな、腐るな。坊主の勝ちは揺るがぬじゃろうて。まぁ一生に一度の、坊主が主役の珍しいイベントだとでも思うんじゃな」
「くそ。こんなイベントいらねぇ……」
唇をとがらせてぶつくさ言いながらも、シャイードは素直にローシに従って部屋を出る。
生きた木々を利用して作られた宮殿内を歩き、回廊を通り、随分と長いこと歩いた。鎧を着た門番の守るドアを通り、最後に短いトンネルを潜ってたどり着いたのは、大きな明るいドームだ。
シャイードはトンネルの出口で歩を止め、顔を上げた。
頭上は全て透明で、青い空が見えている。一見ガラス張りに見えるが、良く見ると水の膜で出来ていて、微かな揺らぎがあった。そこから、昼間の光がカーテンのような筋を作り、降り注いでいる。
その天井を支えている柱は、全て生きている樹木だ。広く張り巡らされた枝々には葉が生い茂り、色とりどりの小鳥や羽妖精が休んでいる。
樹木の曲線をなぞって視線を落としていくと、ドームの基部に繋がる。そこは規模は小さいものの、円形闘技場そのものだ。すり鉢状の傍聴席は様々な姿をした妖精たちで埋まっており、一番底に平らなスペースがあった。
一方に高座があり、その相対する位置に、馬蹄形をした1m弱の高さの柵が地面に設けられている。
その二つの席を結ぶ直線上には赤いカーペットが、端から端まで敷かれていた。
カーペットを両側から挟む形で、これまた一段高くなった長テーブルがある。
高座は空席だったが、左側のテーブルには、三羽の大鴉が座っていた。いや、よく見るとただの鴉ではなく部分的に人型だ。
「ほれ、みんな待ちわびておる。行くぞ、坊主」
ローシに促されてトンネルから出て、赤いカーペットが敷かれた石段を下りていく。
どよどよとしたざわめきが、シャイードのすぐ傍から生まれて、波のようにすり鉢を伝わっていった。シャイードにとって、これほど大勢の視線を浴びるのは初めての経験で、無意識に身体がこわばった。鼓動がいつになく早い。
ほとんどは好奇に満ちた視線だが、中にはそこにあからさまな敵意を込める者もいる。
どちらを向いても知らない顔、どちらを向いても視線が追いかけてきた。
危険な獣がうろつく見知らぬ土地に、丸裸で放り出された気分だ。
(……ひるむな。俺はドラゴンなんだ。妖精なんかに醜態を見せられるか!)
シャイードは下がりそうになる視線を、口を引き結んでまっすぐ正面に固定する。
眉根には緊張が残っていたが、胸を張って、王者になった気持ちで石段を下りて被告人席へと向かった。
「あれこそまさしく、凶悪な獣の表情だわ……恐ろしい」
「やっぱリ有罪に違イないゼ」
「見てよ、あの黒いねじ曲がった角! こわぁい! きゃっきゃ!」
ひそひそと、しかし聞こえよがしに、投げられた言葉の槍が耳に刺さる。
(面と向かって言う度胸もないくせに。数に任せて……っ!)
シャイードの心に、ふつふつと怒りが巻き起こった。妖精には恩義がある。彼らにはずっと親しみを覚えていた。
分かっている。彼らは楽しいことが好きで、この祭りをめいっぱい楽しんでいるだけだということは。
軽い気持ちで、周りと同調しているだけだということは。
(だけど痛い。……分かっていても、悪意が刺されば痛いんだ!)
ぎり、と唇を噛んだ。けれど絶対に頭は垂れない。
その時、ローシがシャイードの腿を叩いた。立ち止まり、瞳だけを動かして彼を見る。ローシはおそらく唇を持ち上げでもしたのだろう、髭が片方だけ、もさっと持ち上がっていた。彼流の、不敵な笑いのつもりなのかも知れない。
「まあ見ておれ。共に華麗なる逆転劇をお見舞いしてやろうぞ。その時こそやつらめ、これこそが自分の見たかったものだと知ることになろうて!」
ローシが握り拳をシャイードに向けてきた。
「おう」
シャイードは腰をかがめ、その拳をローシの拳につきあわせる。
ローシは右側の席へと、ちょこまかとした足取りで歩いて行った。大きな階段をよっこいせと登り、弁護人席へと着く。
どす黒く曇りそうになる心を、ローシの言葉とコミカルな動きが救ってくれた。
口の端を小さく持ち上げ、シャイードはローシを追ってその隣、望まれた場所へと歩を進めた。
シャイードが被告人席に座って間もなく、高座の前に二足歩行の羊が現れた。頭に花のつぼみをぶら下げ、下半身にも花のつぼみを履いている。
「裁判長の入廷!」
大きな声で告げると、検察席の鴉たちが立ち上がった。弁護人席のローシは元々椅子の上で立っていたため、背丈が変わらない。
傍聴席の妖精たちの中には同じように立つ者もいたが、訳が分からずにきょろきょろしている者も多い。
羊が慌てて両手を下から上、下から上と動かし、傍聴者に起立を促した。だが妖精たちはその指揮をそれぞれに解釈し、跳んだり跳ねたり、空に舞い上がったり、屈伸を始めたりした。羊は頭に生えた蕾を抱え、その場にうずくまってしまう。
その間に高座の奥から、妖精王その人が姿を現した。
高座の台に隠れて、シャイードの位置から妖精王の全身は見えない。けれど小太りで背が低く、愛嬌のある丸顔であることは見て取れた。背中には半透明で虹色をした鱗翅が生えている。
そして右手には、ロロディの言っていた王笏を持っていた。それを高く掲げる。王笏に嵌められた大きな石榴石が、陽光を浴びて輝いた。
(あれが流転の王笏、だったか)
「我が流転の王笏の名において。この法廷では真実のみが話されることを望む」
(フラックス? 最近どこかで……)
シャイードが記憶を検索すると、子どもたちと遊ぶアルマの姿が脳裏に浮かんだ。その符合を不思議に思いながら、シャイードは王の挙措を見つめる。
裁判長役の妖精王は、王笏を掲げてそのヘッドで机をコーンと叩いた。心地よい音が会場に響き渡る。
せわしなく動いていた傍聴席の妖精も動きを止め、皆、静かに席に就いた。
「うぉっほん。それでは、神聖なる妖精裁判を開廷するぞ。皆、準備は整っておるか?」
「「はい」」
異口同音に、検察席と弁護人席の両方から答えがあり、頭を垂れる姿が見えた。
「被告人も、良いか?」
妖精王は最後にシャイードに尋ねる。
シャイードは緊張でやや青ざめた顔を、小さく縦に振った。それ以外、どうしようもない。
王は上機嫌に目を細め、「うむ、うむ」と頷く。
「では被告人は証言台へ」
裁判長に促され、シャイードは高座に向かい合う証言台へと移動した。ここは傍聴席からの視線が一点に集中する、法廷の中心地だ。
裁判長はシャイードが定位置に着いたのを確認してのち、巻物を取り出して台の上に広げた。ためつすがめつ、それを確認した後、再び顔を上げる。
「では被告人よ。名前を名乗りなさい」
「シャイード、だ」
「そなたはイ・ブラセルにて魔術師サレムに養育された黒竜とのことだが。そのことに間違いはないか?」
弁護人席でローシがひっくり返るのが見えたが、シャイードは構わずに「そうだ」と答えた。
大鴉の一羽が立ち上がり、裁判長の言葉を引き継ぐ。彼女は鋭い目でシャイードをにらみつけたのち、巻物を目の前に掲げて朗々と読み上げた。
「被告人シャイードは、以下の罪で告発されています。1,イ・ブラセルにおける破壊行為 2,イ・ブラセルにおける妖精の殺害行為」
裁判長は重々しく頷いた。
「よろしい。シャイードよ、そなたが告発されている罪に対し、心当たりはあるか?」
「全くない」
シャイードは胸を張り、きっぱりと答える。会場は静まりかえった。
そののち、急にざわめき始める。飛び回ったり、悲鳴を上げたり、腹を抱えて大笑いをしているものもいる。
「静粛に!」
裁判長が顔を傍聴席に向け、声を張った。
それすらも面白かったのか、傍聴席から「おおー!」と感嘆の声が聞こえた。
「あれが裁判名物の、セーシュクニか!」
「初めて聞いたぁ、感激したぁ」
遅れて、裁判長は思い出したように王笏を机に打ち付けた。コーンという音の輪が広がると同時に、会場が静かになる。
いや、よく見ると妖精たちの中には口をぱくぱくしているものもいた。
(静寂の魔法……! この規模で!?)
シャイードは目を見開いた。
「うぉほん。よろしい。では裁判を続けよう」




