とまどい
「イ・ブラセルの……? 俺は、イ・ブラセルの妖精たちを殺したことになっているのか?」
驚きで表情をこわばらせながら、シャイードは故郷の島の名を繰り返す。妖精の島であり、隠棲した魔術師の島だ。
イ・ブラセルの妖精たちはシャイードの友であり、サレムが育ての親だとすれば、彼らは親戚のように見守ってくれた存在である。
そんな大切な彼らを殺したなどという汚名は、看過できるものではなかった。
「言ってなかったか? そりゃ失敬」
ローシは髭をしごく。
「わしもあの島を襲った悲劇については、幾らか聞いておるぞ。ある日、宝を求めるニンゲンの軍隊が隠匿の魔法を打ち破って上陸し、破壊の限りを尽くしたのだとか。実に痛ましいことじゃ。しかしその軍隊もまた返り討ちに遭い、誰も帰還することが出来なかったそうじゃの。まあ、自業自得じゃな」
「そうだ。妖精たちはみんな、ニンゲンに殺されてしまったんだ」
「うむ? わしが聞いたのは、ニンゲンも妖精も、島に住むドラゴンの怒りを買って焼き殺されたのだということじゃぞ。そいで、坊主。そのドラゴンこそ、坊主だ、というのが今回の嫌疑じゃ。まあ結論として、坊主が妖精を殺していないというのは真実のようじゃから、そのドラゴンは坊主ではなかった、というわけじゃな」
「!?」
どういうことだ、とシャイードは口元に手を当てた。
イ・ブラセルに住んでいたドラゴンが自分であることは間違いがない。だが自分は妖精たちを殺してなどいない。殺すわけがない!
(あれはニンゲン達が探し物の為に妖精たちの住み処にまで分け入って、森を守ろうとする彼らを殺したんだ)
「あれ……」
その時、自分は何をしていたのだったか。
妖精たちを殺していく人間たちの姿は思い出せるのに、それを見ていたはずの自分が何をしていたのか全く思い出せない。
記憶が断片化している上、時系列がめちゃくちゃなのだ。
それに対して、今まで特に疑問も持たなかった。思い出すのが辛い記憶ゆえ、あえて考えてこなかったこともある。
ただ、夢には何度も見たので、その記憶とごっちゃになってしまっているのかも知れない。
ローシはシャイードが急に黙り込んだことにも特に気を払わず、乗ったときと同じようにぽんと椅子から飛び降りた。
「ではな、坊主。無罪は堅いようじゃから、今夜は安心して休むんじゃぞ」
「あ……」
きびすを返して去って行こうとする地妖精の背中に、シャイードは手を伸ばす。「うん?」と振り返ったローシに、シャイードは逡巡したあげく、首を振った。
扉が開閉し、また部屋に独りで取り残される。
シャイードはベッドの上に座ったまま、頭を垂れた。
(イ・ブラセルのドラゴンが自分であったと、ローシに言っておくべきだったか? ……でもどのみち、結論は変わらない。俺は妖精を殺してなどいない。”妖精殺し”などという不名誉な濡れ衣は、明日、綺麗に晴らされるはずだ)
とにかくそれだけは間違いがないはずなのだ。
それなのに、一抹の不安は衣服についた染みのように、横になってからもずっと、シャイードの心から離れなかった。
◇
結局、安らかな眠りは訪れぬまま、翌朝を迎えた。
外がうっすらと明るくなり、小鳥の声が聞こえてきたな、と思った辺りで、ロロディが元気良く扉を開けた。
「おはよう! シャイード。よく眠れた?」
「……ああ」
シャイードはその笑顔に釣り込まれるようにして、つい嘘をついてしまう。彼の顔を曇らせたくはなかった。
ロロディはバターたっぷりのトーストとオムレツ、サラダの載ったカートを押している。ガラス製のピッチャーにはミルクが入っていた。
ロロディはテーブルに皿を並べ、グラスにミルクを注いでから向かいに座る。
シャイードも遅れて、椅子を引いて掛けた。
「ロロお前さあ、なんでいつも一緒に喰うの? ここじゃ、罪人と一緒に飯を喰うのが普通なのか?」
昨日から感じていた素朴な疑問を、シャイードはロロディにぶつけてみた。ロロディは怪訝な表情になる。
「なんで……って、一緒に食べた方が、ごはん、美味しいでしょ?」
「……? 別に」
「ええっ!? シャイードは味覚音痴なの? オイラ、独りでごはん食べると、全然美味しく感じないけど」
「失礼な。ちゃんと味は分かる。お前が前にいようがいまいが、飯は飯だ」
シャイードは眉間にしわを寄せながら、トーストに齧り付いた。さくさくとして香ばしく、とても美味しい。
「そんなんで美味くなったり不味くなったりするんじゃ、料理人の腕前なんて関係なくなるだろ」
「違うよ! 一緒に食べれば、美味しいものはもっと美味しくなるんだ。そうでないのも、それなりに美味しくなるし」
「わからん」
言ってシャイードはハムとサラダを一緒に頬張った。咀嚼して飲み込んだ後、フォークの先端をロロディに向けて振る。
「大体なぁ、お前。喋りながらだと喰いづらいだろうが!」
「オイラ平気。ちゃんと使い分けられるよ」
ロロディは得意げに胸を張る。そうじゃねぇ、とシャイードは腕を水平に揮う。
「なんか、調子狂うんだよな……。お前といると。俺は独りで喰うのが好きなんだ。なのに、最近は誰かと喰ってばかりだ」
「ふぅん……。シャイードって変わってるね。オイラ、ずっと独りでご飯食べなくちゃならなくなったら、悲しくなっちゃうと思う」
「変わってるのはお前だ、ロロ。飯を喰うのも話すのも、同じ口を使うのは何でだと思う? どっちかに集中するためだ。なのにお前は、どっちもと欲張りやがって」
「あは! オイラ、欲張りだったのか」
「そーだよ!」
オムレツを、親の敵のように噛み切った。ロロディはパンをもそもそと少しずつ食べていた。
「でも今朝はシャイード、いっぱい話してくれるね」
「むぐっ……!?」
オムレツが喉奥の変なところに引っかかる。左手で胸を叩きながら、右手をグラスに伸ばした。中の液体を一気に呷る。
「わあ! シャイード、大丈夫?」
「げっほ、ごほっ!」
ロロディは椅子から飛び降り、シャイードの脇を回り込むと、手をめいっぱい伸ばして彼の背中をさすった。
シャイードはテーブルの上の布巾を口に当て、片手を立てて救助を断る。
「……ったくよ。変なことばっかり言いやがって」
「オイラ、どれが変だったかわかんないや。でもごめんね、シャイード」
「なのに、肝心なことは言わないんだな」
シャイードはぼそりと呟いた。席に戻りかけていたロロディは聞き逃したようで、「え? 何か言った?」と尋ね返してくる。
シャイードは首を振った。
妖精たちが自分を、大罪人だと信じ込んでいること。その妖精たちの票で、シャイードは罪に問われるかも知れないこと。
これ以上に肝心なことがあろうか。
言わないことが優しさだとでも思っているのだろうか。どうせ遠からず知る羽目になるのに?
それに、たった一人で自分をかばってくれたことを、おしゃべりなロロディがどうして一言も言わないのか。
「俺にはロロがわからねえよ」
言葉をどう受け止めたのか、ロロディは少し悲しそうな顔をした。




