弁護人
ロロディが部屋に戻ったとき、シャイードはベッドの上で扉に背を向けて横になっていた。
物音で肩越しに振り返ったシャイードに、ロロディは元気に片手を振る。
「シャイード。晩ご飯、持ってきたよ!」
ロロディは木製のカートを押しているのだが、その上にはシロップとバターがたっぷり掛かった焼きたてのパンケーキ、海老の唐揚げとカットされたレモン、果実とサラダが山盛りになった器が置かれていた。丸い果実にストローが刺さっているのはジュースだろう。
プレートの周りには、色とりどりの花が飾られていた。
ロロディの硬いひずめの足音は、苔のカーペットの上に来ると静かになる。
「おう」
シャイードは面倒くさそうに身を起こした。
先ほどと同じように、ロロディがテーブルの向かいに座る。
シャイードは食事をしたい気分ではなかったが、手をつけてみれば腹は減っていた。
妖精料理は基本的に甘めの味付けらしい。シャイードは唯一甘くない海老の唐揚げにレモンをたっぷり掛けて、甘いパンケーキと交互に食べることで舌が飽きるのを防ぐ。
プレートの周りに飾られた花は何なのだろう、食べるのだろうか、とぼんやり考えていたところ、ロロディが話しかけてきた。
「シャイード、ゆっくり休めた?」
「……ああ」
シャイードは嘘をつく。ロロディは気づかずに、「良かった」と笑みを浮かべた。
「あのね、シャイードの大事な本? 人? のこと、頼んできたよ。花占いの妖精が占ってくれて、今、その辺りを泳ぎの得意な妖精たちが探してるんだ。きっとすぐに見つかるよ」
「そうか」
シャイードにとっては喜ばしい報告のはずだが、あまり心が動かなかった。
「あとね、シャイードの味方になってくれる妖精も見つかったんだ」
続く言葉に、パンケーキを口に運ぶ手を止め、シャイードは片眉を上げる。
「味方……?」
「うん! えっと……、ゲ……ゲンゴニン? だっけ?」
「ああ……」
弁護人だろうか、と見当をつける。
「ローシっていう名前の、地妖精なんだ。眉もね、長くてね、目が全部隠れちゃってるんだよ」
ロロディは口元に手を当てて、肩を揺らす。何が面白いのだろう、とシャイードは不思議そうに彼を見る。
「明日は絶対、勝とうね! ローシがね、あとでシャイードの話を聞きに来るって」
「そうか」
「ローシは杖を持ってるんだよ。樫の木で出来た、こんな形の」
ロロディは片手を地面に水平に、もう片手を地面に垂直に立てて二つをくっつける。Tの字型だ。
「トンカチみたいだなぁ、って思って。そうしたらね、思い出したんだけど、王様の杖も同じ様な形なんだ。それで、裁判の時に机を叩いてセーシュ・クニって唱えるんだけど」
「………」
ロロディの話は、花から花へ渡る蜂のように、せわしなく飛び回って止まらない。シャイードは彼に喋らせるままにして、食事を続けていた。
「……それでね、王様の杖には名前もついてるんだよ! 流転の王笏って言うんだ。魔法の力があって。植物を成長させたり、枯らしたり、あと何だっけ……? そうだ、花と言えば王様の温室に」
「流転の王笏、か」
「うん? うん、そうだよ」
シャイードが珍しく言葉を繰り返したため、ロロディはさらに先へと流れていたおしゃべりを中断して、杖の話に戻ってきた。
「流れゆくもの、変化するもの、生まれては消えてゆくもの、だったかな? そんな感じの力みたい」
「へぇ……。凄そうだな」
「凄いよ! オイラ、あんまよく見たことないけど。王笏を持つ者が、妖精王なんだ。今の王様は、前の王様から、王笏を譲られて王様になったんだよ」
「そうなのか。ニンゲンみたいに、世襲ではないんだな」
「ニンゲンってそうなの? セシューって何? 流転の王笏には、他の呼び名もあって。ええと……、なんだっけ。忘れちゃった!」
ロロディは直前に口にした疑問も一緒に忘れたらしい。なので、シャイードは特に答えず、食事の締めとして飲み物を飲んでいた。
木の実の中に、すっきりとした味わいのジュースが詰まっている。ほのかに甘く、力がみなぎる気がした。
食事を終え、満足のいくまで喋り終えたロロディは、来た時と同じようにカートの上にプレートを戻し、部屋から出て行く。
「また朝食でね、シャイード。明日はオイラもさりばんを見に行くからね!」
廊下に出てから大きく手を振って、彼は扉を閉じた。
ロロディのいなくなった部屋は急に広く、寒々しく感じる。
閉じた扉をしばらく見つめていたシャイードは、最後に小さくため息をつく。
「全く。裁判だっつーのに……」
その頬は、柔らかく緩んでいた。
◇
「こりゃ! 起きんか!」
「うわっ!」
突然、間近で大きな声がした。シャイードは反射的に転がり、声と反対側のベッドの陰に隠れる。
「? ……?」
満腹になったせいで、うとうとしていたらしい。まだ、目の周りの反射が鈍い。
何が起こったのか分からぬまま、腰から短刀を抜いて構えた。低い姿勢で警戒しつつ、様子を伺う。
人の頭ほどの高さに視線を巡らせたあと、もう少し姿勢を高くして視線を下げた。
顔中が白いふわふわの髭と眉毛に埋もれた小人が立っている。シャイードは金色の瞳を大きく見開いた。
「だ……、」
誰何する直前に思い当たる。ロロディが言っていた、弁護人の地妖精だろう。
なるほど、床から顎の高さくらいまでの長さがあるT字型の杖を持っている。身につけているのは枯れ草の色をしたローブだ。
「アンタ、ローシか?」
「いかにも、そうじゃ」
地妖精は胸を張った。立派な髭のお陰で分かりづらかったが。
シャイードはそこで思い出す。ローシはカタツムリの賭け場で、ロロディに話しかけていた妖精の一人だった。
ローシはテーブルの傍にあった木の椅子をベッド脇に引きずってくると、ひょいと座面に飛び乗った。ロロディよりもさらに足が浮いている。
シャイードは短刀を腰に戻し、ベッドの上に戻った。あぐらを掻き、後頭部に手をやる。
「あー……、俺の話を聞きに来たのか」
「明日の裁判の打ち合わせをな。わしがついておれば、坊主、正直百人力じゃぞ」
「はぁ」
髭をさすりながら満足げに頷く地妖精に対し、シャイードは気の抜けた相づちを返した。
ローシは懐(というか髭の中)に片手を突っ込み、小さな手帳を取り出した。だいぶ使い込まれた一品で、革製の表紙は角がめくれ上がり、傷だらけだ。
「うぉほん。そいでじゃ。早速だが、坊主の罪状を確認するぞ。坊主は”妖精殺し”の罪で告発されておる。そのことに間違いはないか?」
「いや、それが、全く心当たりがないんだが」
シャイードは眉根を寄せ、後頭部を掻いた。
「なんと?」
ローシの片眉が上がる。
「俺は、妖精を殺した覚えはない。遺跡探索の時にも、うーん……、多分、出会わなかったしなぁ」
「……どういうことじゃ?」
ローシは手帳に眉を近づけたり遠ざけたりした。何度見ても、そこに書かれた文言は変わらない。ローシは手帳を閉じて膝の上に置いた。代わりに杖の頭をシャイードに向ける。
「つまり坊主は、無罪を主張するわけじゃな?」
「心当たりがない以上、俺にはそれしか出来ない」
「ふぅむ、ふぅむ、ふぅむ。それは予想外じゃよ。実に。わしはいかにして黒を白にするか、ばかり考えとったわい。もともと白? ふぅむ、それならば……。いやいや、まあまて、決めつけるのは早計じゃぞ。嘘かもしれんからの」
ローシは頭を垂れて自身と会話した後、再びシャイードを見上げた。
「坊主、わしが合図したらの、わしの目を見て、もう一度、自分は妖精を殺していないと発言するのじゃ。よいな?」
「目? え、目って……?」
ローシはシャイードの返事も待たず、杖をゆらゆら動かした。
シャイードはその間にもローシの目を探す。眉の下にすっかり埋もれていてちらとも見えない。困難な仕事だ。
「ほい!」
「お、俺は、妖精なんて殺してない」
両膝に手を置き、やや前傾姿勢でローシの目? が有るとおぼしき場所を見て、シャイードは口にした。
しばしの沈黙が流れたのち、ローシがのけぞった。
「ほーわ、こりゃたまげた。坊主は嘘をついておらんではないか!」
シャイードは肩の力を抜いて姿勢を戻した。目を覗き込めた気はしなかったが、大丈夫だったらしい。ついでに無実の罪も。
「だろ? おかしいと思ったぜ。やっぱり何かの間違いだったろ」
「うむ。大変な目に遭ったのぉ」
ローシは同情を込めた口調で頷いた。膝の上に置かれていた手帳に、ペンで何かを書き付ける。
「じゃが、これで坊主の無罪は盤石じゃな。明日の裁判、安心してわしに任せておけぃ」
「こんなんでいいのか?」
シャイードは拍子抜けした。あれだけ大騒ぎをして、賭けまで行われていた心当たりのない罪について、こうもあっさり証明できるとは思っていなかったのだ。
「そうだ、賭け。俺の有罪に賭けているやつが沢山いたようだが、そいつら、無罪と証明されても有罪に投じるんじゃないのか?」
シャイードの疑問に、ローシはゆっくりと首を振る。
「うんにゃ。白黒判別しがたい場合には、或いはそういうこともまかり通るかもしれん。じゃが、こうまではっきり無罪が明白なら、王の手前、そんな無理は通らんじゃろうよ」
「そうか」
シャイードは今度こそ、安堵して息を吐き出した。
ローシは、顔中を覆う髭と眉で分かりづらかったが、笑ったように見えた。
「ふぉふぉ。こうして少し話せば、坊主がイ・ブラセルの妖精たちを皆殺しにするような悪者ではないと、すぐに分かろうものだがのぉ」
何気なく口にされたその単語に、シャイードは衝撃を受けた。




