信頼と痛み
手枷を隠すために腕組みしたまま、妖精たちの輪を離れようとする。
と、視界の端に、近づいてくるフォーンが見えた。ロロディだ。
シャイードは反射的に、毛むくじゃらの大柄な妖精の陰に身を隠した。
勝手に部屋を抜け出したことがばれたのかと思ったが、ロロディには焦った様子も、何かを探す様子もない。
花びらを持って、カタツムリに向かって歩いているだけだった。
目で追った先で、ロロディはカタツムリの殻に花びらを貼り付ける。取り囲む妖精たちがざわめいた。
「おおっとー!? ついに無罪に賭けるやつが現れたぞ!」
小鬼は賭けが成立したことに安堵して、カタツムリの上で飛び跳ねた。
ロロディはカタツムリの白い面に、花びらを両手でしっかり貼り付けたあとに小鬼を見上げた。
それに気づいた小鬼が、飛び跳ねるのを止めて見下ろす。耳まで裂けそうな笑みを浮かべていた。
「なんだ坊ちゃん。間違えて貼ったって言っても、もう遅いよ。取り消しはなしだ」
「間違えてないよ。オイラ、シャイードはムザイだと思うもん」
「へぇ?」
眉根を寄せ、唇をとがらせて話すフォーンの少年に向け、小鬼はますますいやらしい笑みを浮かべた。そしてカタツムリの頬を叩く。
カタツムリはゆっくりと頭を下げていき、少年の腹の下に潜り込ませた。
びっくりして蹄をばたばたさせるロロディを乗せたまま、頭を高く上げていく。
カタツムリの頭の上に四つん這いになったロロディは不安そうに地面を見下ろし、自分を見上げる沢山の瞳にひるんだ。
小鬼がその前に飛び出る。
「聞いたかい、諸君! この坊ちゃんは大罪人の無罪を信じているみたいだぞ」
あちこちから嘲笑とブーイングが聞こえた。
ロロディは恐怖に青ざめたまま、口を引き結んでいる。
立派な髭と眉毛を蓄えた小柄な地妖精が、カタツムリに近づく。手にしてた素朴な杖を持ち上げ、ロロディの注意を引いた。
「坊主、わかっておるか? もし被告が真に有罪なら、そちらに賭けた妖精たちのお願いを、全部お前さん独りで引き受けなくちゃならんのじゃぞ」
髭の妖精の声音は、ロロディを案ずるものだった。
「オイラ、負けると思ってない!」
ロロディの顔はまだ青ざめていたが、彼はきっぱりと答えてカタツムリの上に身を起こした。両腕を振ってバランスを取りながら立ち上がり、取り囲む妖精たちを見下ろす。
「オイラ、シャイードのお世話係なんだ。だから、話した。それで、ムザイだと思ったからこっちに貼った。それだけだ。あとのことなんか知らない!」
(ロロ……)
ロロディの凛とした言葉は、シャイードの心に深く刺さった。ほんの少し話しただけの自分を、どうしてここまで信頼してくれたのかは分からない。けれどもその信頼が、とても温かかった。
敵だらけの中で自分の意見を曲げずに述べられる、彼の意外な強さに驚きもした。
シャイードはまたしても、胸が酷く痛むのを感じた。文字通り、心臓に剣でも打ち込まれたように感じるのだ。
シャイードはうつむき、心臓を押さえた。
「バカだなぁ! みんなが有罪に貼ってるんだから、お前も有罪に貼っておけば良いのに。だって、有罪かどうかを決めるのも、俺たちみんななんだぜ? なぁ?」
妖精たちはそうだそうだ、と同意する。
「これだけの差がついたら、もう有罪に決まったものよねぇ!」
「んだんだ」
「ミんなぁ! チャんと有罪にシちゃうヨネ?」
「当たり~前だよ~。お願い~、叶えたいも~ん」
「……さりばんって、そういうものなのかな?」
ロロディの投げかけた疑問は静かだったけれど、良く通った。耳にした妖精たちは、水面に波紋が広がるように静かになる。
「最初からユーザイって決まっていたら、さりばん、する意味あるのかな?」
「私たちが楽しむために、王が開催してくれるんだよ」
「そうだよね?」
「どうだったかな……?」
妖精たちがざわめき出した。以前の裁判から随分間が空いて、ほとんどの妖精は裁判の有り様を忘れている。
ただ、いつもと違うことが始まるぞ、というお祭り気分に流されているだけだ。
「坊主」と、髭の妖精が杖に両手をもたれさせて語りかける。
「わしはちょいと、お前さんの言い分が気になってきたぞい。裁判の意義か、ふむ。興味深い。大体わしは、最初から結果が決まっておるものなんて、ちいとも面白いと思わんからの」
それを聞いた妖精たちから「確かになぁ」という同意がちらほらと上がり始めた。
「結果の決まってる『バララッカ』の試合なんて、誰が見たがるんだ?」
続けて誰かが呟いたこの言葉は、多くの妖精たちに響いたらしい。
バララッカは妖精たちのお気に入りのスポーツで、2つのチームに分かれ、トロンプロンという丸い玉を奪い合う。最終的にトロンプロンを、自軍のメヘゴニーネ(ゴール)に持ち帰った方がそのセットの勝者となり、トロンプロンをスタート地点に戻して新たなセットが開始される。
乱闘あり魔法あり飛行ありの、かなり自由なゲームだ。時間制限も人数制限も特になく、続けて何セットも行われる。どこで終わりになるかは、その時に参加している妖精たちの気分次第だ。
勝敗すらアバウトで、なんと言ってもメヘゴニーネに戻されたトロンプロンの回数がよく(悪意はなく)数え間違えられる。それもまた、ゲームを面白くする要素として、ルールで許容されているのだ。つまり、勝者は決まるまで、誰にも予想できない。
スタート地点とそれぞれのメヘゴニーネの場所さえ定められれば、どのようなフィールドでも行うことが出来、小さなフィールドから大きなフィールドまで、平地や森から、洞窟や水中まで、どんな場所でも試合が出来た。
故に、さまざまな妖精たちが楽しむことが出来るのだ。
「おい、みんな! 忘れるなよ。裁かれるのは、”妖精殺し”の罪なんだぞ!」
しらけた雰囲気が漂い始めた場を温めようと、赤帽の小鬼がカタツムリの上で飛び跳ねた。
彼も有罪に賭けているのかも知れない。
その言葉に、そうだ、そうだった、と我に返った妖精は多かった。悩むことはない、これは有罪で確定の案件だと思い出したのだろう。
「数えたところ、有罪に貼られた願いの花びらはざっと100、無罪はこの坊ちゃんの1枚だけだ。1対100! 果たして結果はどうなるのか! 明日の裁判が楽しみだねぇ!」
その呼びかけにぱらぱらと拍手が鳴って、妖精たちの輪は端からほぐれるように解散する。
ロロディがカタツムリからおっかなびっくり降りる様子に背を向けて、シャイードは走り出した。
(くそっ、くそっ……! なんなんだよ。痛ぇ)
胸に刺さった痛みがあまりにも酷く、涙が出そうになる。シャイードは震える唇をぐっと噛みしめて堪えた。
いろいろな感情がシャイードの中で渦巻いて、何を感じているのか分からない。ただただ、痛みだけが鮮明だ。
暴れ出したい気分だ。何もかも、めちゃくちゃに壊してしまえば、この痛みも治まるのではないか。すっきりするのではないか、という気がする。
妖精のいないところ、独りになれるところを探して、彼は前屈みのまま走った。
森にたどり着くと、シャイードはつんのめって転んだ。両腕が、持ち上げられないほどに重い。起き上がって先に進もうとするほどに、さらに重さを増すように思われた。
(元の姿に戻れば、これくらい)
目を閉じて意識を集中し、自分の身体が裏返るのをイメージする。
(………?)
出来ない。
身体がこの形にしっかりと固定されて、裏返せない。シャイードは地面についた手を見下ろした。両手にある手枷を。
(こいつが邪魔をしている。こいつが有る限り、俺は、……ドラゴンに、戻れない)
「うおぉおおぉーーーーーっ!!!」
逃げるどころか森すら抜けらぬと知り、シャイードは吠えた。驚いた光精霊が葉陰に隠れ、彼を一時的に宵闇が包み込んだ。




