賭け
部屋の扉には施錠がされていない。ロロディが鍵をかけ忘れたのかと思いきや、鍵自体がついていなかった。
初め、シャイードはロロディが戻るまでベッドで待つつもりだった。しかし、それ以前にたっぷり眠ってしまっていたためか、全く眠くならない。
何度も寝返りを打ったあげく、シャイードは眠りを放棄した。
そうしている間にするすると陽が落ちて、今、外は夜になっている。
ともあれ夜――のはずなのだが、まだぼんやりと明るい。
部屋の中では、木の洞に置かれた瓶の中で、虫たちがほのかに発光を始めた。
(蛍のランプか)
シャイードはそれを取り上げて物珍しげに見つめる。
瓶の中は、自然の風景を切り取ったようなテラリウムになっていた。底には綺麗な水が溜まっており、木や草に蛍が数匹いて発光していた。
元の場所に戻し、今度は壁を成している樹木の開口部(窓?)から外を見た。
窓の外には豊かな森が広がっていたのだが、その生い茂った木々の合間に、今は沢山の光が踊っている。
光精霊だ。風に乗って、どこからか楽しげな音楽も聞こえてくる。
「フォス……、はいないんだろうな」
そうは言いつつも、部屋に籠もっていることに飽き飽きしていたシャイードは、外に出てみることにした。
扉を抜けた途端、両腕がズンと重くなるのを感じる。
「?」
腕を持ち上げてみたが、手枷に見た目の変化はなかった。だが、確かに重くなっている。
行動を阻害されるほどではないが、身につけていることを自覚させられる重さだ。
「……そういうことかよ」
つまりこの手枷こそが檻なのだろう。
これを装着させた者の意に反する場所に移動しようとすると、重くなる仕組みになっているのだ。
(部屋の外に出るくらいは、許容範囲、といったところか)
却って好奇心を刺激される。
どこまでなら行かれるのか。
どのくらいまで重くなるのだろう。
シャイードは木の洞のような廊下を、適当な方角へ向かって歩き始めた。
建物と建物の間に、丈夫な草の蔓を編み合わせて作った橋が架かっている。
一歩を踏み出すと、橋は大きく揺れた。
足下の板は間が広く空いていて、簡単に足を踏み外せそうだ。
そしてその下に、妖精たちが行き交う通りがあった。わいわいと賑やかで、概ね楽しそうな雰囲気だ。
香ばしい、美味しそうな煙が立ち上って来ている。
シャイードは橋の中程まで歩き、蔓の手すりに軽く片手を置いて下を覗いた。
(まるで祭りだな)
まさしく、それは祭りの雰囲気だ。屋台で売られている様々な食べ物や、娯楽の数々。軒につられた沢山のランタン。
その間を縫うように練り歩くものたち――小さな人型のものや動物めいたもの、岩のようなもの、子どもみたいなもの、老人みたいなもの、美しいもの、醜いもの、不思議なもの、羽のあるもの、翼のあるもの、足が沢山あるもの。
妖精は多様性に富んでいる。
(島にもいろんな奴がいたっけな)
その性質も様々だ。陽気で自由なものが多数派だったが、他にも頑固なものや、偏屈なもの、恥ずかしがり屋や陰気なものなど、いろんな性格の妖精がいた。
妖精たちはサレムに一目を置いており、弟子であるシャイードにも概ね友好的に接してくれた。
むしろシャイードの方が、最初の頃は妖精たちを避けていたくらいだ。
サヤックの明るい笑顔がふわりと脳裏に浮かんで消える。でもそれは、サヤックだったろうか。ロロディの姿と混じってしまっていないか。
他の妖精たちの姿は、もう、あまり思い出せなくなっている。
シャイードにはそれが、裏切りに思えた。良くしてくれた妖精たちを守ることも出来ず、早くも記憶から消そうとしている自分。
独りだけ逃げ延び、生き残ってしまっている自分。
その罪悪感から逃れるため、彼は人間を憎んだ。帝国の人間を、わけても殺戮を命じたであろう皇帝その人を。
「どしたの? お腹、痛いの?」
間近で声がして、シャイードは我に返る。
鼻先に、羽妖精が飛んでいた。大きな榛色の瞳にシャイードの苦悩を移し、口元に手を当てて首を傾げている。
「何でもねえ」
シャイードは羽虫を払う手つきで、ピクシーを追いやった。羽妖精は巻き起こった風に飛ばされ、悲鳴を上げて空中をくるくると舞う。
バランスを取り戻すと、ぷんすかとして飛び去っていった。
その時、わっという歓声が聞こえてきた。橋の下の道を通っていた妖精たちも、つられてそちらを見、あるものは既に声に向けて走り始めている。
(……? なんだ?)
声は橋が連結しているもう一つの建物を回り込んだ方角から聞こえてくる。
吊り橋の上からは様子が見えない。
シャイードは考える間もなく、橋から通路へ飛び降りた。
「ぬおあ……っ!?」
降りた途端、手枷がまた急に重くなって地面に手をついてしまう。今度は筋トレが出来そうなほどの重さになっていた。
背後に気配を感じて振り返ると、目の前に突然落下してきた姿に驚いて、鹿の角を持つ大柄な妖精が固まっている。その視線が手枷へと動いたので、シャイードは腕を組んで前屈みの姿勢で立ち上がった。
早足で声の方へと向かう。
生きた樹木で出来た建物を回り込んでみると、人だかり、いや妖精だかりが見えた。
中心に立つのは黒い殻をもつ巨大なカタツムリだ。
木の切り株の上に乗っかり、さらに身体の前半分を大きく直立させていた。
「さあ! いよいよ明日、その妖精裁判が始まるよ! 今度の大罪人は果たして有罪か、無罪か!?」
カタツムリが喋っているのかと思いきや、声はその頭の天辺に座っている小鬼からだった。
赤いとんがり帽子を被り、大きな鞄を身につけていて、耳の先が尖っている。牙の生えた口の大きさは顔の半分を占めそうだ。
周りを取り囲む妖精たちは、興奮してわあわあと騒ぎ立てている。腕を突き上げているものもいた。
(大罪人て……。まだ罪は確定していないのに)
大いにバイアスの掛かった口上に、シャイードは目眩がしてくる。なにしろここで大罪人とされているのは、シャイード自身らしいのだ。
「有罪と思うものは黒に、無罪と思うものは白に。手元の花びらを貼ってくれ!」
口上に合わせ、カタツムリがのそのそと方向転換する。すると、殻の右半分は白かった。
「今晩が最初で最後のチャンスだ! さあ、張った&貼った!」
妖精たちはカタツムリに殺到し、殻の左側にピンクの花びらを貼り付けていく。
右側に貼るものは誰もいない。
「妖精殺しだなんて、とんでもないわ!」
「有罪だ、有罪に決まっちょる!」
「むしろぉ、俺たちみんなでぇ、そいつを有罪にしてやろうぜぇ~」
「そうしよ♪ そうしよ♪」
「目ん玉くりぬいて、熱い油をぶっかけて、逆さづりにしちゃえ!」
憤る口調とは裏腹に、みな楽しそうだ。彼らにとっては面白い見世物、楽しい祭りでしかないのだろう。無邪気な残酷さもまた、彼ららしい。
「おいおいおーい? 無罪に賭けるやつは誰もいないのか? 困ったな、賭けが成立しないぞ」
カタツムリの上の小鬼は立ち上がり、両手で頬を押さえて右往左往している。
その様子をも、妖精たちは楽しみ、
「だったらお前が入れろよ、赤帽野郎!」
「そうだそうだ。くふふっ。それで、みんなにこき使われちゃえ。くふふっ」
とからかった。
(裁判なんて言うけれど、こんなことでまともな判定がされるのか?)
周りを見回す。楽しそうな音楽や笑顔にあふれているこの場所が、残酷な死刑台への階段にしか見えなくなってきた。
シャイードは小さく首を振る。
(……とても期待は出来ない。やはり、何とかして脱出するしかない。アルマとフォスを回収したら、湖まで出る。もう一度あの膜を潜りさえすれば……!)




