悪い妖精の役
ロロディは温かいポットからカップに紅茶を注ぎ、蜂蜜を垂らした。
シャイードにも蜂蜜を勧めるが、彼が首を振ったので小瓶の蓋を閉じて棚にしまう。
シャイードはコケモモのジャムが挟まれたスコーンをかじっていた。菓子が甘いので、紅茶まで甘くする必要は無いと思ったのだが、ロロディの紅茶から香る蜂蜜の匂いは魅惑的で、彼は先ほどの選択を早くも後悔し始めていた。
「つまり、この部屋も王宮の一室なのか」
「うんそう。お客さん用の部屋だよ。オイラ、準備が出来るまでキミのお世話を命じられたんだ」
ロロディは椅子に座り、脚をぶらぶらさせながら梨を囓っていた。
「準備って……なんのだ?」
「もちろんアレのだよ。アレの準備! ね、キミってドラゴンなんでしょ!? オイラ、ドラゴンとお話しするのなんて初めてだよ! 空は飛べるの? 火は……、もちろん吐けるよね。角に触っても良い?」
「駄目」
フォーンの少年がテーブル越しに伸ばして来た手を、シャイードは上体を反らして躱した。
ロロディの話はすぐに脱線してしまう。質問をしていたのはシャイードのはずなのに、いつの間にか質問を受ける羽目になっていて、シャイードは面食らった。
シャイードはスコーンの欠片を口に押し込み、今度はキッシュに手を伸ばす。一番尖ったところを囓ってみると刻んだ野菜がたっぷり入っていた。
「アレじゃわかんねーよ。アレってなんだよ」
「あ、そっか! アレはアレ。えっと……、なんだっけ。さ、さ……、さば……」
「サバ?」
「なんかこう、あのね! 悪い妖精が本当にちゃんと悪いかどうか、みんなで考えるんだ。王様が王笏で机をコンコーンって叩いて! そんで、下にいる妖精たちは、彼にはジューブンなドンキがあります! とか。……ドーキだったかな? あと、イギアリ、今の発言はムジュンしてます、とか、沢山話し合うんだよ」
身振り手振りを交え、ロロディは一生懸命説明を試みる。セリフの部分は、意味も分からず繰り返しているだけのようだ。
シャイードはテーブルに片肘を立てて頬をつき、眉根を寄せる。
「それってなんか、本で読んだ大昔の裁判みたいだな」
「そう! それ! さりばん!!」
「裁判、な」
シャイードはキッシュをさらに口に入れて、紅茶を傾けた。
その時、突然理解する。紅茶が変なところに入っていき、カップを持ったまま咽せた。
「わっ! シャイード、平気? これ!」
ロロディはバスケットから布巾を取り出して彼へと差し出した。シャイードは身を折ってそれを受け取り、こみ上げる咳を堪えて口元を拭く。涙目で顔を上げ、
「も、……もしかして、その裁判の被告人って、俺か!?」
「違うよ!」
ロロディは慌てて首と手を振る。だがシャイードがほっとしたのもつかの間。
「シャイードは、悪い妖精の役だよ」
「ぶっ! げふ、ごほっ! やっぱ、……被告人、じゃねーか!」
布巾に向かって再び咽せながら、途切れ途切れに突っ込む。
「そうなの? なんで?」
「俺が訊きてーわ! ……あ、いや……、心当たりは、ある、かも……」
湖で水棲馬と争っていたからだろうか、と考える。
「でもそれは誤解だ! 先に襲いかかってきたのはあいつらの方だぞ。俺は身を守っただけだ」
「そっか! じゃあ、シャイードは悪くないね。さりばんで、それを言えば良いと思うよ」
「裁判な?」
「そう、それ」
ロロディは満足げに頷いた。本当に分かっているのか、とシャイードは眉根を寄せて訝しむ。
ロロディは梨を全て食べてしまうと、掌についた果汁を舐め始めた。
(こいつと話していると、なんか……、調子狂うな)
のんびりしている場合ではないのだが、どうも気が緩んでしまう。見つめる視線に気づき、ロロディが顔を上げた。目が合うと、無邪気な微笑みを返してくる。
シャイードはわざとしかめ面で視線を逸らし、頬から外した片手をひらりと振った。
「ハッ! つきあってらんねーや。腹がいっぱいになったら、俺はここを出て行くから」
「えっ!? だっ、駄目だよ! シャイードはちゃんと、悪い妖精の役をやらなくちゃ! みんな、楽しみにしてるんだよ!」
ロロディは目を丸くして、テーブルに身を乗り出した。シャイードは鼻を鳴らす。
「知るか。俺はアルマ……、本を探してここに来ただけだ。無いなら早く他の場所を探さないと」
「本?」
「ああ。ロロ、お前何か知らないか? これくらいの、黒い表紙で銀の装飾がある……」
シャイードは胸の前の中空に、魔導書の大きさの長方形を描いた。
「或いはニンゲンの男に見えるかも知れない。その場合は長身で、黒ローブを着て、象牙色の長い髪を背中で三つ編みにしてる」
ロロディはじっと見つめ、耳を傾けたあとで首を振る。
期待していなかったとは言え、シャイードは少し肩を落とした。
「そうか。ここには来てないのか」
一縷の望みを掛けていたが、光の膜を通って妖精郷に来ていないとなると、最悪の事態を想定しなくてはいけないかも知れない。
海の底まで落ちてしまっている場合だ。
シャイードは額に手の甲を当てて、深刻な表情をした。
(どうする? 予定通りドラゴンの姿に戻って、……フォスの光を頼りに探すしかないか? それならなおさら、早くここを出て、フォスの光が弱まらないうちに……)
「シャイード、その本がないと困る?」
「え?」
突然尋ねられ、物思いから引き戻される。ロロディが椅子の上に立ち、テーブルに両手をついて心配そうに見つめていた。
「ま、まあ……な」
「その本、あったら嬉しい?」
「……っ」
嬉しいかと聞かれると微妙だ。素直に嬉しいとも言えない、ような。
シャイードが視線を泳がせて返答に窮していると、ロロディが再び席に着いた。
「あのね。その本、ショーコヒンだったら、みんなに言って探して貰えるよ! さりばん、ショーコヒン、とても大事なんだ」
「マジか?」
「うん!」
シャイードが話に乗ってきてくれたのが嬉しいのか、ロロディは元気に返事をした。
それを見て、シャイードは顎に指を添えた。口元に悪い笑みが広がる。
(そいつは良い考えだ。何の裁判かは分からんが、妖精たちをだましてアルマを探させよう。アルマさえ手元に戻れば、あとは知ったことじゃねぇ)
「よし! ロロ。俺にとってその本はとても大事な証拠品だ。それがないと、俺は裁判に出られない」
「そっか! 分かった!」
ロロディは元気よく言って、椅子から飛び降りる。
「オイラ、シャイードの本、探して貰えるように頼んでくる! 大事なショーコヒン! 黒くて、これくらいの」
ロロディは胸の前に両手の人差し指で四角を描いて確認をすると、ドアに向かって駆けだした。
シャイードは中腰になり、慌てて少年の背中に手を伸ばす。
「あっ! 待て、ロロ。人の姿かも知れない可能性も……! そうしたらそいつは証人だ!」
「ショーコヒンか、ショウニンだね! どっちも大事!」
「現世界の海の底に落ちているかも知れねぇ。フォスって名前の光精霊が一緒のはずだ」
「きっと見つけるよ。だからシャイード、どこかに行っちゃわないでね? 待っててね!」
ドアを開閉しながら振り返ったロロディに、シャイードは早口で情報を伝えた。
口約束と共に扉が閉まると、室内は急に静かになる。
シャイードはふう、と一つ大きなため息をついた。
「なんつーか……、つむじ風みたいな奴だな」
髪をかき上げようと片手を持ち上げる。その時、手首にはめられた手枷の存在を思い出した。
「……こいつの外し方も、訊いときゃ良かった」




