妖精郷
水の膜で覆われた透明なドームの下には、種々の花が咲き乱れ、たわわに実った果実が甘い香りを漂わせていた。
天井はとても高く、きらめく陽光が室内に降り注いでいる。真珠色に輝く広大な床を、水路が縦横に走って空間を潤し、所々には噴水や東屋もあった。その各所で、羽妖精たちが気ままに戯れている。
ドームの中央に、幾本もの樹木が寄り集まって出来た巨木が生えており、その根元に近い大きな虚の中に、やはり樹木の織りなす玉座があった。
妖精王の玉座だ。
大輪の花と小鳥の歌で飾られた玉座に座る妖精王その人は、王笏を右手に、物憂げに眉をひそめた。
小柄で、丸みを帯びた体躯。背中には虹色の蝶の羽を生やしている。
「それで、本当にその者が悪名高い妖精殺しの黒竜なのか」
「はい、陛下。大釜の湖で水棲馬たちを襲っておりましたところを、砂男の砂で眠らせて捕らえました」
三羽の鴉が王の正面に傅いている。
いやよく見れば、鴉頭、両腕が翼、背中は黒い羽根に覆われ、尻に尾羽を生やした女性だ。
人型の部分には黒の甲冑を身につけている。
一人が前、二人が後ろに控えた三角形の隊列で頭を垂れていた。三角形の中央には茨をモチーフにした瀟洒な鳥かごがあり、中にシャイードが捕らわれている。
人間の姿で眠っていた。
「人型にしやすい折り目がついておりましたゆえ、運搬の便宜上このように」
「ふむ……。あどけない少年にしか見えぬがのう」
「我らの目を欺くため、ニンゲンに化けていたのでしょう」
「生きていると知っていたなら、もっと早く捕らえておりました」
後ろに控えていた鴉たちも、口々に補足する。
「ふぅむ……」
妖精王は自慢の口ひげをつまんでは捻り、眠るシャイードを見つめた。
ターバンは湖で失われてしまい、露わになった頭髪からは伸びたままのねじれた黒い角が見えている。ドラゴンの姿に戻っている間は、空間の狭間に折りたたまれていた衣服や装備は、再び身につけていた。鳥かごの床に四肢を投げ出し、横臥の姿勢で熟睡している。眉間からは険が消え、安らかに寝息を立てる様子は外見年齢以上に幼く見えた。
「欺いていたのなら何故、ドラゴンの姿でノコノコとやってきたのであろう」
「それは……」
鴉達は言葉に詰まる。互いに顔を見合わせたあと、口を開いた。
「イ・ブラセルに悲劇をもたらしただけでは飽き足らず、ここマグ・メルにまで災禍を運ぶつもりでは」
「現に彼がいたのはあの大釜の湖なのです。最近、”歪み鏡”が良く目撃されている」
「”歪み鏡”には既に幾人もの仲間が犠牲になっております。正体も、何が目的なのかも分からず、神出鬼没。アレももしや、こやつが喚び寄せたものでは」
「王よ、大罪人に即、死を宣告下さいませ。さすれば我らモリグナが、速やかに彼の罪を精算いたします」
「王よ!」「ご裁可を!」
「待て待て、待つのだ。そう結論を急ぐでない。今のは全て推量ではないか」
王は玉座から降り、短い足をちょこまかと動かしてその前を行ったり来たりし始めた。彼が考えるときのクセだ。
「恐怖や不安は判断を曇らせるものだ。そういう時にこそ、立ち止まってよく考えねばならぬ。取り返しのつかぬ事態を引き寄せぬように」
言葉とは裏腹に、足を止めずに王は諭す。
モリグナは視線を低くしたまま、黙していた。だが明らかに、王とは別の考えを持っている。「立ち止まっている間に、さらに事態が悪化したらどうするのか」という反論を必死で飲み込んでいた。
王はやっと足を止め、ため息をつく。
「それに彼が真に妖精殺しの黒竜だとすれば、同時に我が盟友サレムの養い子でもあるのだぞ」
本来愛嬌のある丸顔が、沈痛な表情に曇る。王笏の天辺にはめ込まれた大きな石榴石に額を寄せた。
「ああ、今でも胸が痛む。世界は何故いつも、かの魔術師に辛く報いるのだろうな……」
玉座を飾る花はみるみるしおれ、絡み合う草も枯れ葉となって朽ちていく。小鳥たちは悲しい歌を歌った。モリグナは黙って、王の悲しみが過ぎ去るのを待つしかない。
王は自らの檻に籠もってしまったように見えたが、やがて顔を上げた。
王笏を床につき、ふくよかな腹を突き出して背を伸ばす。
「この者の罪は、裁判で明らかにすべきと、余は考える」
「そんな!」「同胞達と同等の権利を、ドラゴンなどに!?」
鴉たちの異を、王笏を持ち上げて床に打ち付けることで封じた。
「我らが求めておるのは血ではなく、断罪のはず。罪を正しく見極めるための裁判であるぞ。何の不満があろう?」
「……はっ!」
そう言われてしまえば、反論の余地はない。モリグナは深々と頭を下げた。
妖精王は先ほどまでとはうって変わって、晴れ晴れとしていた。
「そうと決まれば、久しぶりの妖精裁判だ。各自、滞りなく準備をせよ。証人を召喚し、被告のために弁護人を立てよ。黒竜も丁重に扱ってやるのだぞ? 罪が確定するまで、彼は罪人ではないのだから」
モリグナは無言で頭を下げた。
彼女らが立ち去った後、一人残された王は玉座に深く沈み込む。頭に乗せていた王冠を外し、腿の上に置いて憂えた。
「やれやれ。いつまでこの重みを背負わねばならぬのか。叶うなら元の気楽な一妖精に戻りたいものだ……」
◇
眠りから目覚めたシャイードは、まだぼうっとする頭を持ち上げて辺りを見回した。
最初、自分がいるのは森の中だと思った。明るい木漏れ日の射す、心地よい森の空き地。
しかしよく見ればそれは室内なのだ。
生きた樹木で出来た壁には、自然に出来た虚があり、虫の入った瓶が置かれている。
天井は生い茂る葉そのままに、草が編んであった。
横たわっていたのは、陽だまりの香りがするベッドで、シーツをめくると木箱の中に乾燥させた草を重ねて作られている。心地よい弾力があり、温かい。
上掛けは見たことがないくらい大きな一枚の葉っぱ。これのせいで自分が小人になった気がした。
「どこだここは……?」
ベッドから降りようとして、両手首に見慣れない枷がはまっていることに気づいた。
「なんだ、これ」
鈍色の無骨な金属製で、見た目に反してとても軽い。と言うより、空気で出来ているかのように重さがなかった。
それでも枷は枷であり、シャイードは眉をひそめる。外せないものかと観察をしたのだが、金具同士ががっちりとかみ合っていて力でどうこうなりそうにもなかった。
かといって、道具を使ってばらせるようなネジや穴もない。
ベッドの上で手枷と格闘していると、不意にドアが開いた。肩を跳ねさせて身構える。
入ってきたのは左腕に籠を下げた半人半獣の、
「サヤック!」
シャイードは驚愕に目を見開き、ふかふかの苔のカーペットに裸足で飛び降りた。
満面に笑みを浮かべ、入口で立ちすくんでいる少年に駆け寄る。
「お前、無事だったんだな! 良かった……、俺はてっきり、あのときお前も」
「オイラ、サヤックじゃないよ。ロロディってんだ」
フォーンの少年は慌てて言う。クセのある髪の中から突き出した耳が、ぴくぴく震えていた。
言われてみれば、瞳の色がサヤックよりも濃い森の緑だし、髪の色はもっとオレンジがかっている。しかし頬には、同じようにそばかすが散っていた。
シャイードの表情は戸惑いに取って代わる。
「ロロディ……?」
「うん、そう」
少年は名前を呼ばれ、くすぐったそうにはにかんだ。呆然としているシャイードを見て、何を勘違いしたか両手を振る。
「あっ、長かったらロロって呼んでくれ! みんなそうしてる。よろしくね。キミのことは何て呼べば良いの?」
「俺は……、シャイードだ」
一瞬ためらったものの、シャイードは素直に名乗った。
ロロディは目を糸のように細めて笑う。
「へへ! シャイードか。珍しい名前だね! あのね、オイラ……」
「ロロ、教えてくれ。ここはどこなんだ?」
シャイードは不安げな一瞥を周囲に向け、自らの額に手の甲を当ててロロディの喋りを中断させた。次第に頭がはっきりしてきていたが、湖で眠らされたあとの記憶はどうしても見つけられない。
ロロディは口の前に掌を立てた。
「あっ、そうだよね! まずそれを説明しなくちゃだった! ねえ、シャイード。お腹減ってない? ご飯食べながらでも、お話しできるよね」
フォーンの少年は、部屋の中程に進んで肘に掛けていた籠をテーブルに置く。蓋を開くと、中には新鮮な果物や焼き菓子が山と入っていた。
甘い香りが鼻腔をくすぐり、シャイードは空腹を自覚する。どれくらい眠っていたのだろう。窓の外は相変わらず明るく、時間の経過がよく分からない。
腹をさするシャイードを振り返り、ロロディはニッと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さあ、座って! 温かいお茶も淹れるからね」




