棘
呆然としているシャイードをよそに、水棲馬はさらに二、三、言葉を交わした。最終的に代表らしい一頭がシャイードに向き直り、耳を後ろにして頭を突き出した。
「オマエ、ドラゴントイッタ。ホントウカ」
「え? あ、ああ。本当だ」
水棲馬たちがざわめく。そしてじりじりと輪を縮めてきた。
シャイードは彼らから、不穏な気配を感じる。空気が変わった。
「急になんだ? 信じないのか? 俺が本気になれば、お前らなど簡単に焼き殺せるぞ」
無駄な争いを避けるべく、シャイードは再び彼らを脅した。
だが今度は、あまり効き目がない。
「オマエ、ナマエナントイウ?」
「え?」
「ナマエ、ナノレ」
シャイードはむっとした。格下と思っている相手に、命令されたと感じたのだ。
「何でお前らに名乗る必要がある。ここに探す者たちが来ていないなら、俺はもう帰らせて貰う」
「ソウハイカナイ」
「オマエハカエサナイ」
「ナマエヲイエ」
馬たちが一斉に話し始めた。皆、気が立っているようで、前脚で水面を神経質に掻いたり、後ろ脚で大きく立ち上がったりしている。
シャイードはすっと目を細めた。自らに向け、親指を立てる。
「しつけぇな! そんなに言うなら教えてやる。俺の名はシャイード。今はこんなナリだが、正真正銘のドラゴンだ」
水棲馬たちは急に静かになった。シャイードはふん、と鼻をならした。
「わかったならそこをどけ」
「……ヤハリ、ソウカ」
水棲馬はシャイードの言葉を無視した。そして首を伸ばし、いななく。
「タイザイニンヲトラエヨ!」
輪になった水棲馬たちが呼応し、一斉に襲いかかってきた。
(なっ、どういうことだ!?)
水棲馬が水面で前脚を鳴らすと、水が意志を持ったかのように渦巻いて立ち上がり、シャイードを殴りつけてきた。
「がはっ!」
躱しようもなく、シャイードは水の中に沈められる。
肺腑から空気がたたき出され、大量の泡になって上へと逃げた。
(アイツはなんと言った。タイザイニン――大罪人!?)
どういうことかと考える間もなく、水の中に落ちたシャイードを馬の蹄が次々と蹴りつけていく。強烈な打撃に、シャイードは何度も身体を折り曲げた。
(くっ……、空気、を)
水面に顔を出そうとする度、足を引かれて水中に引き戻され、水流や蹄で殴りつけられる。反撃の機会を与える気のない猛攻だ。
(くる……し、)
肺が狂おしく空気を求め、シャイードはもがく。だが今、吸い込めば、入ってくるのは水だ。
手にしていたターバンを離し、小剣と短剣を手にする。朦朧となる思考の中、向かってきた水棲馬に向けて切りつけた。
白馬の脚が浅く切り裂かれる。悲鳴が上がり、視界に血の筋が流れた。
「……っ!!」
直後、背後から肩に食いつかれる。地上の馬とは違う、草食動物らしからぬ凶暴な咬合力で肩の肉を持って行かれた。
今度はこちらが血を噴き出す番だ。顔をしかめ、短刀を握ったまま肩をかばう。シャイードの血が作り出す帯に鼻先が触れた水棲馬は、ひるんで突進を止める。
(血も、こう拡散してしまってはな)
だが隙は出来た。息苦しさも限界だ。水の膜へ逃げこもうにも、そちらにも水棲馬が待ち構えている。泳ぎでは、彼らに敵うべくもない。
(元の姿に戻るしか……!)
シャイードは両腕を胸の前に引き寄せて目を閉じ、力を解放した。
乱戦に波立っていた湖が、爆発した。
高く空に舞い上がった水滴は、滝となって再び湖に降り注ぐ。
その中を、スピンしながら上空に飛び出した一頭の黒竜は、上空で大きく翼を広げた。
水のしぶきが、身体の周りに虹の花を咲かせる。濡れた鱗は黒曜石めいて、万色を含んでなお何ものにも染まらぬ色に煌めいた。
開放感に、気分が高揚する。シャイードは大きく息を吸った。空気と共に、濃密な魔力が肺腑を満たしていく。
(力が、みなぎってくる)
肩に負った傷はたちどころに再生し、シャイードは金の瞳を眼下に向けた。
元々もやに覆われていた湖だが、今は降り注ぐ雨粒でさらに煙っている。
だがシャイードの瞳には、一つ、また一つと水中から顔を出す水棲馬たちの姿がよく見えた。
シャイードは凄惨な様子で口元を歪める。むき出しの牙の奥から、愉悦に鳴る喉音が漏れ出た。
(馬鹿馬ども。跡形もなく焼き尽くしてやる)
力と共に、ドラゴンの本性である残忍さにも身体を満たされ、意気揚々と滑空した。
水棲馬たちは迫り来る黒い恐怖を目の当たりにして恐慌に陥り、算を乱して逃げ出す。その様子に心が躍った。
俺は強い。
俺は誰よりも強い。
全ての生き物は、俺の前に跪け。
そして、死ね!
シャイードは大きく口を開いた。
紅蓮の炎が喉奥を駆け上がってきて、
――吐き出される直前、シャイードは口を閉じて身を反転させた。
木々をへし折り、花を散らしつつ、湖岸に降り立つ。
「…………」
目を閉じ、荒い息をつく。牙の隙間から、かみ殺した黒炎がちろちろと漏れ出た。熱気が陽炎となって空気を歪ませる。
どす黒い感情に支配されそうになった最後の瞬間、心の中に小さな光を見た。
頼りない、今にも消えそうな光だったが、何故かそれを無視できなかった。
心に刺さった小さな棘。
痛い。いらつく。不愉快だ。
だが、……どこか心地よい。
「グォゥアァアアァアーーー!!!」
シャイードはもどかしさに吠えた。両腕を振り回し、腰ほどまでの高さしかない木々をいくつも引きちぎって湖に降らせた。
水棲馬たちが悲鳴を上げて逃げ惑う。
その様子に笑い、幾分溜飲を下げた。
「そこまでだ、妖精殺しの黒竜シャイード!」
「!」
頭上から降った凛とした声に、シャイードは湖からそちらへと顔を向けた。
三羽の大鴉が天空を悠々と舞っている。
何者かと見定めようとした瞳に、キラキラと光る砂粒が降りかかった。
(なんだ……、これ、……は)
前脚で砂を払うが、直後、急激な睡魔に襲われて立っていられなくなる。
(ねむ……い……)
シャイードは頭をぐらつかせたあと、木々をへし折り横様に倒れた。




