表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
67/350

静止する海

 手はすぐに引かれた。

 アルマは掌を見つめ、それから主を振り返る。


「シャイード。これは停滞ステイシスフィールドだ」

「捨て石? なんだ!?」

停滞ステイシスフィールド。時間が停止した膜だ。このビヨンドには現状、どんな方法であれ、一切傷をつけることは出来ない」

「なんだと!? お前、時間を止める魔法は難しいって言ってなかったか!?」

「ビヨンドにこの世界の法則を当て嵌めても無意味だ」

「それじゃ、一体どうやって倒すんだよ!?」

「落ち着け。ただし、綻びを除いて、だ。竜の業火を試してみろ」


 シャイードは目を剝き、背後を振り返った。恐慌状態から復帰した船員の数人と、メリザンヌが率いてきた兵士たちが、鏡面体のバケモノを固唾をのんで見守っている。

 残りの船員は落ちた仲間の救助や、船底の被害確認に向かっていた。

 今更ながら、別の船舶へ信号を返している者もいる。

 ビヨンドの綻びが竜の業火であろうと、それしか倒す方法がないのだとしても、こんなところで変身を解くわけにはいかない。人間がいる。

 既に正体を知られているメリザンヌだけならともかく、これだけの人間に知られたら、その口をふさぐことは不可能だ。殺しでもしない限り。


「だめだ!」


 シャイードはアルマだけに聞こえる小声で鋭く言い、首を振った。


「それは……、出来ない。今は無理だ、ここでは無理だ」

「そうか。ならば我が試す」


 アルマは意外にもあっさりと受け止め、唐突に詠唱を始めた。

 メリザンヌが怪訝な表情をする。


「何、この詠唱……。聞いたこともない文法だわ」


 魔女は直後に口に手を当て、気分が悪そうに眉根を寄せた。

 シャイードは、脳髄を揺らされる奇妙な違和感を覚える。続いて再び空間の歪みを知覚した。先ほどとはまた別の感覚だ。

 重力があやふやになって、一瞬、自我と世界の境界が曖昧になる。

 この一連の感覚には憶えがあった。


『……ハセキュール、デァ、しゃいーど!』

「!?」


 シャイードは不意に名前を呼ばれ、身を固くした。空間が固定され、意識がはっきりする。

 途端、天に向かって突き出されたアルマの掌から、金の瞳をした巨大なブラックドラゴンが飛び立った。

 あっけにとられた衆目の中、ドラゴンは天に向かって飛び、中空でその身を反転させる。そしてまっすぐに船に向かって降下しながら、大きく口を開いた。


「お、俺!?」


 船にいる全員、シャイードとアルマを除く全員が、恐慌状態に陥る。

 メリザンヌさえ、その場でしゃがみ込み、頭をかばって悲鳴を上げた。それぞれが悲鳴を上げてちりぢりに逃げ惑ったため、シャイードの素っ頓狂な驚愕はかき消される。

 シャイードは狼狽しつつ、距離を詰めるドラゴンから目が離せない。


(俺はここにいるのに、……アイツは俺だ)


 ドラゴンはマストの上部で翼の角度を変え、身体を捻る。上から見れば歪んだ長円形をしたビヨンドの、中央から後ろ半分に向かって炎を吐きかけた。

 赤黒い炎は、直撃した場所から放射状に広がっていく。

 炎から放射される熱は本物の熱さだ。距離があるのに、すぐ傍の炎のように熱い。

 ビヨンドは石をも飴細工さながらに溶かす高温に、数秒間さらされた。

 ドラゴンは舞い降りる勢いをそのままに鏡面体に飛び込み、煙のように消えた。


「やった……、のか……?」

「いいや」


 アルマがすぐに答えた。


「全く効いておらぬ」

「なっ……、竜の業火が綻びじゃなかったのかよ!」

「我は試してみろと言っただけだ。結果、それは綻びではないことが分かった」


 シャイードは剣をもつ手を震わせた。


「ちょっとぉ……! びっくりするじゃないの! あれはどういうこと!?」


 立ち上がったメリザンヌが、涙目に抗議してくる。

 他の者たちは、未だに状況が理解できずに各々がへたり込んでいた。きょろきょろして、今自分が目にしたあるはずのないものを探そうとしている。


「案ずるな。ただの召喚魔法……みたいなものだ」


 平然としてメリザンヌに答える魔導書に対し、シャイードはさらに何かを言おうとして口を開いた。が、不意に身を固くして横に飛ぶ。

 直後、シャイードとアルマの立っていた場所の中間に、天から銀の槍が降った。振り仰げば槍の根元は弧を描いて、ビヨンドの上部に繋がっている。

 本体から生えた柔軟性のある触手の先端が、銀色に輝く円錐となった形だ。

 メリザンヌの悲鳴が聞こえ、見れば一歩下がった彼女の足元にも同じものが突き刺さっていた。


「攻撃してきた!?」

「ふむ。敵と認定されたか」


 ビヨンドの表面に同心円の波紋が現れ、中心から新たな銀槍が飛び出してアルマに襲いかかる。

 アルマはかろうじて避けたが、ローブの裾を切り裂かれた。


「アルマ!」

「シャイード。時間を稼いでくれ」


 言うなりアルマは、再び詠唱に入る。詠唱の間は完全に無防備だ。


「んなこと言われたって……!」


 攻撃が効かない相手にどうするんだ、と思いつつ、シャイードは銀槍の射線に割り込む。

 今しもアルマを突き刺そうとして落ちてきたそれを、駆けつけざまに小剣で打ち払った。

 槍は軌道を変え、アルマの右後方の甲板に突き刺さり、引っ込んでいく。


(斬り飛ばすのは無理だが……、力は案外たいしたことない)


 シャイードは左手で、腰から短刀カルドも引き抜き二刀流に構えた。

 銀槍はまずアルマを排除すべく狙いを定めたようだ。そうと分かれば、守るのは逆に容易い。

 ビヨンドの表面が次々と同心円の波紋を描き、銀槍が現れる。それらが弧を描き、上下左右から一斉にアルマに向かって襲いかかってきた。

 シャイードは銀槍の軌道を見極め、瞬時に優先順位を判断して次々に打ち払っていく。

 ただし、人のいる方は駄目だ。


(一、二、三、……四、五っ、六……!)


 兵士が二人、手伝おうと剣を抜いた。だが彼らが傍にいると、シャイードは却って気が散ってしまう。

 打ち払おうとした銀槍の反射先に兵士が来て、シャイードは舌打ちしながら無理な体勢で攻撃を払った。攻撃は兵士の脇をかすめ、甲板に刺さる。


「離れていなさい!」


 メリザンヌが気づき、銀槍の攻撃が緩んだ隙に、船員と兵士を遠ざけた。少しはやりやすくなる。

 一度に出現する銀槍の本数が増え、攻撃速度が上がった。シャイードは次々に襲い来る銀槍を着実に払うが、この調子で本数を増やされるといつかは間に合わなくなる。


 焦りを感じたその時、不意に世界の形がぐにゃりと崩れ、シャイードは刹那、見当識を喪失した。


「……っ!?」


 感覚はすぐに戻ったが、銀槍を弾くタイミングが僅かにずれる。軌道を逸らされた銀槍は、マストに当たって帆柱を半分えぐった。不吉な軋みが上がり、帆が大きく羽ばたきながら倒れていく。動きはやけにゆっくりに見えた。

 船縁に帆が当たり、反動で船が大きく傾いだ。


「しまった」


 バランスを崩した隙に、一本の銀槍がシャイードの脇をすり抜けてしまう。

 遅れて剣を銀槍の柄に当て、僅かに軌道を変えたが、先端はアルマの右肩を串刺しに引っかけて海へと弾き飛ばした。


「アルマッ!!」


 とっさに甲板を蹴り、船外へと延びた銀槍を追って走る。手を伸ばすが既に遠すぎた。

 空に吹き飛ばされてなお、アルマは詠唱に集中している。


「……ハセキュール、デァ、」


 詠唱は派手に上がる落水音にかき消されてしまった。


「アルマ!」


 シャイードは船縁にとりついて、海面を見下ろす。


「フォス! アルマを追ってくれ!」


 とっさに思いつき、光精霊を呼ぶ。フォスは僅かな間だけためらう様子を見せたが、シャイードが「頼む!」と言葉を重ねると、結局は水面に飛び込んだ。

 その直後。


 海面が爆発し、猛烈な勢いで凍り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ