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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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立ち上がる海

 シャイードはフォスを従えて階段を駆け上がり、甲板へ出た。

 風が止んでいる。帆は力を失い、帆柱に垂れ下がっていた。

 船員達は交代で休んでいるが、見張り台の見張りや操舵手を始め、幾人かが退屈そうな様子で甲板にいる。

 風がなければ帆船はどうしようもない。次の風を待つのみだ。

 天空には、先ほどよりも高く昇った満月と星々が輝いている。

 黒い姿を探して歩き回ると、程なく、船尾楼甲板で海を見ているアルマを発見した。

 シャイードは安堵し、船尾楼甲板への階段を上る。


「こんなところにいたのか」


 アルマはちらりとシャイードを見たが、すぐにまた海へと視線を戻してしまった。

 シャイードは少しむっとして、隣に並ぶ。


「お前なぁ、一言くらい断ってから出かけろよ」

「よく眠っておるようだったのでな」


 シャイードはその言葉に瞬く。


「え? まさか気を遣った……? お前が?」


 信じられないものを見たかのように、まじまじと魔導書を眺めた。

 アルマは肯定も否定もせず、海を眺めている。と、そのうち、舷側から身を乗り出して海面を指さした。


「見てみろ」

「何だよ。……ん?」


 アルマが指さす方、海中がぼんやりと光っている。海面が揺れると光は見えなくなるのだが、また海面が凪ぐと下の方がうっすらと明るく見えた。


「また極光エビ……? いや、あんな色の光ではなかったな」

「世界膜が乱れている。海の中に、もう一つ海面がある」

「なんだと? それってどういう……」


 アルマは身を戻し、答えようと口を開き掛けた直後に、素早く船首を振り返った。


「やつが来てしまった。構えよ」



 途端、船が大きく傾いだ。

 海が突然、引っ張り上げられたかのように盛り上がったのだ。

 シャイードはとっさに舷側につかまったが、無防備に立っていた船員二人が、突然の大揺れに対応できずに船縁を超えた。

 叫び声を上げながら、海へと落ちていく。

 唐突に、シャイードは船が揺れた理由以上の吐き気を感じる。世界がたわみ、自らに押し寄せてくるような錯覚。空間が歪んで折りたたまれてくる。


「く……っ、この感覚は……」


 視線を転じれば、甲板の中央寄りにいた別の船員は転倒していた。船が反対側に揺れ戻した際に、近くのマストにしがみつこうとしている。


「あれを!」


 船首に近い方にいた船員が、船縁に齧り付きながら前を指した。

 間近に船が迫っている。

 数瞬前までは影も形もなかった船が。

 船員達がそろって息を飲む音が聞こえた。


「面舵、いっぱい!」


 同じく船首付近にいた者が、後方に向けて声を張った。

 舵にしがみついて揺れをやり過ごしていた操舵手は、立ち上がって必死に命令を遂行しようとする。


「駄目だ、風がない!!」


 船はびくとも動かない。


 衝撃が襲った。木材の割れる大きな音が響く。

 先ほどの比ではない揺れに、シャイードですらバランスを崩した。


「アルマ!」


 今度こそ海へ落下しそうになったアルマの腕を、かろうじて捉える。目眩と戦いながら何とか引っ張り上げた。


「シャイード。船首に移動しよう」

「無茶言うな、こんな揺れの中……!」


「人が落ちたぞ! ロープ!! 早く!!」

「船首大破! 浸水の恐れあり!! 確認急げ!!」」

「どこの船だ!? 海賊か!!」

「おい、どうなってる! 見張りは何してた!!」


 混乱する怒声があちこちから響く。

 シャイードが見張り台を見上げると、そこにいた見張りはマストに必死でしがみつきながら前方を見ている。

 シャイードの位置からその表情はうかがえないが、壊れたように左右に首を振っていた。

 ぶつかってきた帆船は、酷く歪んだ形をしていた。それなのに、船の色や装備が、細部までこちらとそっくりに見える。

 船上では同じように、人々が慌てふためいているようだが、声は聞こえない。


(何かがおかしい)


 シャイードは違和感に眉根を寄せた。そして気づく。


(風もないのに、帆船がどうしてぶつかる?)


 しかも今も、船首を破壊し続けている。操舵手は面舵を切っているが、無駄な努力だ。

 突然、悲鳴が響いた。


 悲鳴の主は船首、ぶつかった場所から最も近い位置にいた船員だ。

 彼は甲板に尻餅をつき、相手の船を指さして震えている。


「あ、あぁ、……兄貴! ゆ、幽霊……!!」


 近くに浮いていたフォスが、急に船首に向けて勢いよく飛んだ。


「あ、おい! フォス!」


 何をするつもりかと視線で追うと、不思議なことにぶつかった相手の船の上でも、光精霊が船首に向けて飛んでいる。

 フォスとぶつかるコースだ。


「ぶつか……っ! いや、違う」


 シャイードは揺れが弱まった隙に、船尾楼甲板の階段を急いで下った。アルマも背後に続く。

 混乱する船員達の間を風のように走り抜け、船首近くへやってきて立ち止まった。


 光精霊が二つ、対称的な動きをして浮いている。シャイードに何かを伝えようとしているのだ。

 おかしいのはそれだけではない。

 割れた船首同士を接して向かい合う船員は、全く同じ服装をしていた。向こうの方が奇妙に太っているが、顔立ちはよく似ている。

 お互いが、お互いを見つめて驚愕の表情を浮かべていた。

 そのポーズまでも、まるで歪んだ鏡で映したかのように、


「鏡!?」

「あやつはビヨンドだ」


 遅れてやってきたアルマが宣言した。


 海面上に姿を現したのは、巨大な不定形の物体だ。その表面は鏡面になっていて、ぶつかった同型船に見えたものは鏡面に映ったこの船そのものだ。

 見た目は水銀に似ているが、船を壊すほどに硬い。


「なんだこれは!?」


 見たことも聞いたこともない奇妙な存在に、船員達は完全に恐慌状態に陥っている。

 少し離れた場所で共に停滞していた別の船舶がちかちかと明かりを明滅させている。何事かと信号を送っているのだ。だが答える余裕のあるものはいない。


 鏡面体のビヨンドは今も船舶を少しずつ押している。船はゆっくりと回転しはじめたが、メリメリと不吉な音は断続的に続いていた。


(何を考えている……?)


 そもそも考えなどがあるのだろうか。この一見無機質な物体からは、生物から感じ取れるような意志というものが感じられない。

 遺跡で出会った白蛆よりも尚、不気味だった。

 今にして思えば、極光エビはこの正体不明のビヨンドから逃げていたのかも知れない。

 その時、不意にシャイードの脳裏に、ザルツルードの海岸で見かけた溺れた男の言葉が蘇った。

『船が、……船が急に、目の前に』『波が襲ってくる』


(こいつのことだったのか!)


「ともかく! ビヨンドならば、倒すだけだ」


 シャイードは一つ首を振って目眩を振り払い、小剣ショートソードを構えた。意識を鏡面体に集中し、歪む空間を認識の外に置く。

 甲板を蹴り、電光石火の斬撃を加える。鏡の向こうから、逆の手に小剣を構えた太めのシャイードが同じタイミングで攻撃を仕掛けてきた。

 ギィン! という高い音を立て、振り下ろした剣は弾かれてしまう。


「!?」


 驚くほどの硬質な手応えに、一旦背後に飛び退く。次には切っ先を前に向け、突いてみた。

 しかし結果は同じだ。

 鏡面には傷一つつかない。


「くそっ。こいつもかよ」


 遺跡で出会った白蛆を思い出す。あの時も、通常武器による攻撃は一切効かなかった。


「アルマ! こいつの綻びは何だ!?」


 シャイードは肩越しに、背後に突っ立っているアルマに尋ねる。


「知らぬ」

「は!?」

「時間を掛けて探るか、喰ってみねば分からぬ」

「喰うって……」

「何があったの!?」


 遠くからメリザンヌの声がした。衝撃を感じてから、慌てて甲板に上がってきたのだろう。

 詩人の姿は見えない。が、兵士たちを引き連れていた。


「丁度良いところに! メリザンヌ、こっちに来て手伝え」

「なっ……、事故? 何これっ!?」


 近づくにつれ、メリザンヌにも船に見えたものが歪んだ鏡像だと分かった。向かい合わせに剣を構えるシャイード、その後ろに立つアルマまでも見えるのだから。


「あいつになんか強い攻撃魔法を撃ってくれ!」

「嘘でしょ? なんなのよ、もう」


 状況を理解しきれぬままに、メリザンヌは詠唱を始めた。ビヨンドは動かない。


爆炎エクスプロージョン!」


 ビヨンドの上部で、炎がはじけた。振動で船が揺れる。


「やったか?」

「いや……」


 アルマが首を振る。


「無傷だ」

「嘘でしょ!?」


 メリザンヌは言葉を繰り返した。口元に手を当てている。


「アルマ、お前も何とかしろよ!」

「わかった」


 アルマは命じられて頷いた。無防備にビヨンドに近づいていく。

 そして左手を突き出し――触れた。

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