光る海
夜。
硬いパンと豆スープのささやかな夕食を食べ終え、自室に戻ってきた。
ベッドに腰掛け、シャイードは腹をさする。
「仕方ないこととは言え、物足りねぇなぁ。肉が食べたい」
「うむ。味が単調であまり情報が多くなかった」
「だよな。肉が食べたい」
二度言った。塩漬け肉は昼のスープにいくらか入っていたが、そうではなく、分厚いステーキが食べたいと思うのだ。
航海二日目にして、早くも心が折れそうになっている。
昼間の一件があるため、今宵は衣服を身につけたままベッドに横になった。二振りの剣と剣帯も枕元に置いてある。
くつろいで少し経った頃、アルマが突然、ハンモックの上で身を起こした。
しばらくじっとしていたが、やがて下にいるシャイードを見下ろす。
「シャイード。やはり違和感がある。世界膜が、」
その時、甲板へ向かう階段を、何人もの足音がどかどかと上っていく音が聞こえた。何かを大声で言い合っている。アルマの言葉は途中でかき消されてしまった。
シャイードも緊張して身を起こす。船の揺れは、特別大きくなったようにも思えない。
「行ってみるぞ」
シャイードは急いでブーツを履いた。傍にあったショートソードとカルドも腰に佩く。その間にアルマもハンモックから降りて靴を履き終えた。
マントは壁際に掛けたままだったが、中からフォスが出てきてシャイードの肩に乗る。
連れだって甲板に上がり、まず感じたことはやけに明るいということだ。見上げれば満月が、白い光を投げかけている。
だがそれだけではない。
船員達が船縁に張り付いてしきりに海を指していた。指示を受けて網を運んでくる者たちもいる。
シャイードとアルマも駆け寄って、海面を覗き込んだ。
驚愕に目を見開く。
「海が……、光ってる!」
船の周りを取り囲むように、海面がぼうっと黄緑色や赤色に発光していた。
この怪現象に対し、船員達は興奮して夢中で網を投げている。シャイードは手近の船員を捕まえた。
「おい、あの光はなんだ」
「極光エビの群れだ! こんな大群、見たことねぇ!!」
「おい見ろよ! 入れ食いだぜ!!」
網を引き上げると、確かに、赤や緑の蛍光色に光る大ぶりのエビが大量に掛かっていた。船員達はみな笑顔で、夢中になってエビを網から外していく。
「すげえ! 全部売ったら一体幾らになるんだ!?」
「野郎ども、もっと捕れ! 捕れるだけ捕るんだ」
船長自らも手を動かしながら、部下へと檄を飛ばした。遅れて、メリザンヌとセティアスが甲板に上がってくる。
「何があったの? ……あら」
メリザンヌはシャイードの方へ向かう途中、足下で尾をばたつかせている光るエビに気づいた。
「まあ、極光エビじゃない?」
「何の騒ぎかと思ったら、これだったんだね」
隣で吟遊詩人も立ち止まり、腰を折ってエビを覗き込んだ。それから舷側へやってくる。
「おお! なんという景色」
セティアスは抱えていたリュートで和音を鳴らし、興奮を表現してた。
「銀の円盤、照らす海。流れる極光、……ふぅむ」
「……奇妙だ」
喧噪の中、アルマだけが、浮かれた様子の一つもなく呟いた。彼はここに来てからずっと、海を覗き込んでいる。普段ならば珍しいエビを真っ先に観察しそうなものなのだが。
シャイードも彼を倣って再び海を覗き込んだ。
波をばしゃばしゃと泡立たせながら、光るエビの群れは流れていく。みな同じ方角へ向かっているようで、海には光の帯が出来ていた。
「こいつら、こんなに慌ててどこへ向かってるんだ」
「産卵かしらね? 海の生き物はよく、満月の晩に決まった場所で産卵するというから」
「そうなのか」
隣に来た魔女が推測を口にした。シャイードが隣を見ると、魔女は嬉しそうに口角を持ち上げている。
「それにしても! こんなところで極光エビとはね。この新鮮な内に、ぷりっといただきたいわ!」
シャイードは視線を上げて少し離れたところを併走する帆船を見た。
そちらでも極光エビに気づいたようで、乗組員達が網を必死で投げている。
それ以外は海は相変わらず静かだ。昼間より風は弱くなっていて、南風に変わっていたが、帆の角度を変えて順調に進んでる。
光る群れが通り過ぎていく頃には、甲板に大量のエビが跳ねていた。船長も船員達も、みんな大喜びで両手にエビを持ち、はしゃいでいる。
入るだけの極光エビが網籠に入れて再び海に沈められた。生きたまま曳航し、近隣の港のどこかで売りさばくらしい。そして残りの大部分は塩漬けに。
それ以外は早速、調理して振る舞われることになった。思わぬ夜食である。
シャイードは肩の力を抜いた。
海を覗き込むアルマの背中を叩く。
「今回はハズレみたいだな。いこうぜ、俺たちも極光エビをご馳走になろう」
食事は食堂で、船員達と一緒に食べた。
新鮮な極光エビは、刺身にオリーブオイルとレモン汁を掛けた一品、ボイルした身に内臓から作ったソースを掛けた一品、それに殻でだしを取ったスープが出された。
料理人も新鮮な高級素材にやる気を出したらしく、船員達が大喜びしている。特別に酒樽も開けられた。
「これが極光エビか……」
調理されてしまうと、それ自体が光を放っているわけでもなく、普通のエビに見える。
だが身は肥えてぷりぷりとしており、見ているだけで口内に唾液があふれてきた。
まずは刺身から手をつけてみる。
「………!」
さっぱりとしたレモンの果汁が絡んだ身を噛みしめた途端、口に甘みが広がった。
ねっとりと舌に絡みつくような食感と衝撃的なその甘さに、シャイードは絶句する。その表情を、メリザンヌは向かいから満足そうに眺めた。
「ね? 美味しいでしょ? 美味しいでしょ?」
テーブルに両肘を突き、髪を指でくるくるとしながら、彼女は得意げだ。その隣ではセティアスが、ぶつぶつと独り言を言いながら料理を口に運んでいる。感想を詩にしているのかも知れない。
シャイードは無言で頷き、次々と刺身を口の中に頬張った。隣を見ると、アルマも黙ってスープの椀を傾けている。
(今日はやけにおとなしいな)
シャイードも、アルマの言う違和感とやらが気にならないわけではない。こうしている今も警戒を怠っていないし、何かあればすぐに飛び出すつもりだ。
その証拠に、シャイードは酒を断っていた。
(でも出来ればここでは止めて欲しいもんだ)
近くにいる(かも知れない)ビヨンドがどんな奴で、どんな現れ方をするのかは分からないが、船の上では戦いにくい。
しかも一歩間違えば、海に真っ逆さまだ。船を壊されるのもまずいし、自分が壊してしまうのもまずい。衆目がある以上、当然ドラゴンの力は使えない。
(……マジで止めて欲しい理由しかない)
シャイードは空になった皿を見下ろす。
極光エビは、想像を超えて美味しかった。ボイルしたものも、身はもちろんのことながらソースが絶品だ。夕食の豆のスープは何だったのだと思う。料理人は腕が悪いわけではないらしい。
(素材でこうも違うものなのか)
スープはおかわりすることも出来たので、シャイード達はたらふく食べて満足して食堂を後にした。
◇
再び寝室に戻ってからも、しばらくの間はベッドの上で起きていた。
だが温かく満たされた腹は眠気を誘うものだ。もう少しだけ起きていよう、と思いながらも、シャイードはいつの間にか眠りの淵に沈んでいた。
次に意識を取り戻したのは、まぶしさからだった。
「……う…、もう朝か……?」
そう呟いて細めた瞼の上に片手をかざした後、ここは船の上で、寝室には窓などなかったことを思い出す。
光源はフォスだ。渾身の力で光って、顔の上をぶんぶんと飛び回っている。
必死に何かを伝えようとしているようだ。
「まぶし……、何なんだ、フォス?」
シャイードは目をこすりながら身を起こした。
頭に疲労が蓄積している。つまり眠りについてからまだそれほど時間は経っていないということだ。
瞬いた瞳に飛び込んできた光景に、冷や水を浴びせられた。一瞬で覚醒する。
ハンモックは空だった。




