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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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変化したもの

「なんで……って、そりゃニンゲンとの争いで」

「そこだ」


 悔しげに口にするシャイードに対し、魔導書は上から彼を指さした。


「本来のドラゴンが、ニンゲンに負けるはずがないのだ」

「!? どういう……」

「考えてもみよ。圧倒的な体格差。比類なき力と魔法すらもはじく鱗、すべてを焼き尽くす炎。天翔る翼。歳経るごとに狡猾さを増す知性――。短命にして力弱きニンゲンが刃向かったとして、どこに活路があるというのだ」

「それは……、そうだが、ドラゴンは数が少ない。ニンゲン達はいつも、数の力でドラゴンを凌駕するんだ」

「違うな」


 アルマは短く言って、再び首を振った。


「ドラゴンは、弱くなったのだ。いや、ドラゴンだけではない。原初より存在するありとあらゆる幻獣達がすべて、弱くなってしまった。ニンゲン達が招き寄せた厄災によって」


 シャイードは目を丸くした。


「厄災がどうして幻獣達だけを、……あ…、魔力か!」

「うむ。ビヨンドの存在は本来、この世界とは相容れぬ異質なものだ。太古の昔より世界に遍く循環していた魔力だが、ビヨンドの招来からこの方、膨大な魔力が消え失せた。湯桶の栓を抜いたかのように、徐々に、確実にな」

「そうか……。それによって、幻獣は生きづらくなってしまったのか」


 古い生き物である幻獣は、魔力と共にある。いわば、魔力は第二の酸素のようなもので、自然に身体を巡っているのだ。

 それが急激に減少したため、幻獣は弱り、数を減らした。

 魔力に依存しない生き物である人間が、相対的に強くなったのだ。


「時を止める魔法そのものが遺失したわけではない。高度な魔法ゆえ、使える者は非常に少ないだろうが効力を発揮はする。だが局所的に、数秒から数分の時を止めるのが精々になっている。魔法王国の時代とはわけが違うのだ」

「そんな……」

「魔法王国の時代でさえ、厄災を消滅させることは出来なかった。膨大な魔力を集めて魔法を極限まで拡大し、厄災の時を止め、時間を稼ぐことしか出来なかったのだ。それでもおそらく、当時の魔術師達が知恵を絞って協力していたなら、何らかの方法を生み出せていたかも知れない。厄災はもう、この世界の憂いではなかったかも知れない」

「……何故、ニンゲン達はそうしなかったんだ。まだ、その時になら今よりは魔力も沢山あったわけだし、強い魔術師も沢山いたのだろ? 何とか出来たかも知れないじゃないか!」


 アルマは寝返りを打った。ハンモックの上でうつぶせになると、シャイードと正面切って向き合う形になる。


「無論、彼らはそうしたのだ。ともあれ、最初の内はな? だがシャイードよ、汝も知るとおり、彼らの寿命は長くはない。当面は去った危機より、差し迫った危機に対処しなくてはならぬことも多かった。戦争や疫病、飢饉に反乱。幸いにも、時を止める魔法は1000年にわたって持ちこたえたのだ。ニンゲンのうち、誰が1000年後の世界を今の自分の一生より重要に考えるであろう?」

「それは……、そうかもしれないが、そもそもがニンゲン達の招いた事態だろう!? こんな、後にそのツケを先送りするようなこと……」

「ニンゲンだけを責めることは出来ぬぞ。汝ら種族とて彼らを邪魔したのだ」

「そんな馬鹿な! いや、……人竜戦争か」


 アルマは頷く。


「ドラゴンの炎が今、街に迫っている時に、誰が1000年後の心配をする?」


 シャイードはぐうの音も出なかった。


 人竜戦争は初期にはドラゴンが各地で圧倒的な勝利を飾った。厄災によって既に機能不全に陥っていた魔法王国は、まとまった抵抗も出来ずに完全に滅亡する。世界は再び混乱の渦にたたき落とされ、人間の文明レベルは大きく後退した。

 続く数百年、人々が生活を立て直し、密かにその爪を研いでいる間、ドラゴンは我が物顔で悠々と空を飛んだ。最後に手痛い反撃を喰らうこととなるとは夢にも思わず。


 人とドラゴンは協力できなかったのかと、今を生きる自分は簡単に考えるけれど、それは結果を見て振り返るからそう思えるのだ。

 互いに憎しみの渦中にいた彼らに、手を取るという選択肢はなかっただろう。いや公平に言うなら、中にはそう主張する賢者がどちらの側にもいたはずだ。けれど多数派ではありえず、その声は容易く押し流されてしまったに違いない。

 ともあれ歴史はそう教えている。

 過去を遡れば、いつだって物事はとても単純に見える。どうしてこの選択肢が取れなかったのか、と愚かさを笑うことも出来る。

 だが時代の渦中にいる者には見えぬもの・見ようとせぬものがあるものだし、染みこんだ偏見や、空気感という動かしがたい縛りがあるのだ。


(でもだからと言って、どうして俺がそのツケを払わなくちゃいけないんだ!)


 一度は飲み込んだ怒りが、理不尽さが、ふつふつとわき起こる。それは決して消えたわけではなく、言葉通り飲み込んだだけなのだ。


(元はといえば師匠だ。どうしてサレムは、自分一人で重荷を背負おうとした? それだけの力があったから? 何とか出来るという確信があったから?)


 シャイードの真上には、アルマの顔がある。


(師匠が喚び寄せたビヨンド、か)

「お前が鍵なんだ。……多分」


 アルマは無表情のまま、目を細めた。


 ◇


 翌日。

 追い風を受けて、船は良く進んだ。波は昨日よりは幾分高かったが、警戒するほどではない。

 内海を西に進むにつれ、左舷遠方に時折島影を見るようになる。

 以前は海賊が根城にしていた海域だと言うが、ザルツルードが帝国へ恭順の意を示して後、定期的に帝国海軍による討伐が行われるようになった。

 海賊達は捕らえられ、ある者は処刑され、ある者はそのまま海軍へ召し抱えられた。残った者たちはいずこかへ離散し、或いは現地で今も息を潜めている。


「まぁ今ンとこ、帝国に従ったのは悪い選択じゃァなかったと、俺ァ思うね」


 マストのロープを引きながら、潮焼けした片頬をゆがめて年配の船乗りは言う。これでも笑っているようだ。


「そうそ。俺らにとっちゃ、海の平穏が一番ありがてぇもんさ」


 隣にいた壮年の船乗りもそれ続き、違ェねぇ、と周りから同意の声が集まった。

 シャイードはアルマに促され、甲板に出ていた。海の色は深みを増している。

 併走する他の商船も、帆を膨らませて波の上を滑るように進んでいた。


(平和だな)


 海鳥が時折羽を休めに船の縁に止まる。

 羽繕いをするそれらをぼんやりと見つめながら、シャイードはアルマが船員達と話すのを聞くとはなしに聞いていた。


 その時、船長が船尾の船長室から現れた。

 船員達はおしゃべりを止め、わざとらしいほどに忙しそうに動き始める。

 船長は甲板を睥睨した後、ゆっくり歩いてきた。

 シャイードは船長が、僅かに片足を引きずっていることに気づく。

 海鳥が飛び立った。

 船長は片手に、深い緑色の酒瓶を持っている。

 シャイードとアルマには一瞥をくれたが、特に興味もなさそうに通り過ぎて船首へ向かった。そして犬歯でコルクを引き抜いて酒瓶から酒を海へ注いだ。

 赤い液体が、紺碧の海へと消えていく。

 その後船長は、しばらく船首で頭を垂れていたが、空の酒瓶を持ったまま引き返してきた。


「どうして酒を捨てたのだ?」


 船長が近くを通りがかったとき、アルマが突然尋ねた。

 船長はめんどくさそうにアルマを横目で見た後、肩をすくめる。


「今日は大潮なんでな。慣例に倣って海神ポントゥスに航海の平穏を願ったのさ」

「ほう。海神ポントゥスは酒が好きか?」

「海にはねぇもんだから、好きだろ。多分な」


 まだ何か聞きたそうな魔導書に向けて、船長はたくましい片手を振って一方的に会話を打ち切った。

 アルマは舷側に張り付くと、身を乗り出して海を覗き込む。


「落ちるなよ? 助けられねぇぞ」

「うむ」


 帽子を片手で押さえ、アルマは何かを探すように視線を巡らせた。おおかた、注がれた酒の色でも探しているのだろう、とシャイードは見当をつけ、何も問わない。


「何か、変な感じがする」


 しばらく海を観察した後、アルマが身を起こして言った。

 シャイードは聞きとがめ、彼の方を見て片眼を眇める。


「何だ? ビヨンドの気配か?」


 アルマは口元に手を添え、何かに耳を澄ませた。


「分からぬ。まだ遠いのやも」


 シャイードが寄りかかっていた舷側から背を離すと、アルマはまっすぐに主を見た。


「しばらくは警戒が必要だ」

「わかった」


 何事もなければ良いが、とシャイードは海を見たが、彼も何となく嫌な予感を覚えていた。

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