理由
シャイードは考えながらマントの下で、布越しのペンダントに触れた。
「師匠の」
彼は口を開く。
「……、師匠の遺志を継いで。とある問題を解決しに」
「問題?」
メリザンヌが片眉を上げた。
シャイードは頷く。が、それ以上を口にすることはない。
「君たちは帝国に向かっているのだろう? 問題は帝国にあるのかい?」
「分からない」
「では解決の糸口が、帝国に?」
「それも分からない」
質問していたセティアスは瞬く。彼はシャイードが答えるのを観察していたが、相手が嘘を言っているとも思えず、小さく肩をすくめた。
隣にいたメリザンヌと視線を交わす。
メリザンヌは少し考え、「それは、貴方自身の問題とも関わってくるのかしら?」と尋ねた。
シャイードは首を振りかけて、止める。
「どうかな。元をたどれば同じ原因かも知れない」
ビヨンドを異世界から呼び寄せたのも人間、ドラゴンを滅びの瀬戸際に追いやったのも人間だ。
けれどどちらか片方を解決しても、もう片方が解決しそうにないことから、”関わっている”とは言えない気もする。なので、シャイードは分からない、と付け加えた。
分からないことだらけで、これ以上、質問を投げても無駄だと感じ取ったのだろう。メリザンヌもセティアスも、さらなる質問を口にすることはなかった。
シャイードは沈黙を頃合いと見計らい、「冷えてきた。もう船室に戻る」と言って歩き出す。
アルマがその後を追った。
◇
船室は狭い。ベッドは一台しかなく、窓もない。
壁のスロットに固定されたランプがあったが、シャイードはマントの内側からフォスを呼びだして明かりとした。
サンターク号は交易船で、横に大きく膨らんだ船体の下部は積み荷で占められていた。積み荷は当然塩と、塩漬け食品が多い。
甲板に近い上部の区画が乗客の船室に割り当てられていたが、数は多くない。
メリザンヌが部隊を分けたのにはそういった事情もありそうだ。
「なんっか、……腑に落ちないが」
アルマはシャイードが眠るときには本に戻るため、ベッドは一つで何も問題ない。
だがメリザンヌが誤解をした結果、こうなったかと思うと落ち着かなかった。
「シャイード。こんな物があった」
アルマがベッドの下からロープの束を持ち上げる。
いや、よく見るとそれはただのロープではなく、ハンモックだ。
そう知ってから壁を観察すると、頑丈そうな引っかけ金具が取り付けられていた。アルマは早速、ハンモックを吊し始める。
「いやお前、何やってんの?」
「我はこれに寝る」
「は!? 本には?」
「シャイード。我はハンモックに寝たことがないのだぞ」
話は終わったとばかりにアルマは作業を続けた。シャイードは無言で首を振る。実害はないので、好きにさせることにした。
ハンモックはベッドの真上に設置する形になっている。船室自体が狭いのでこれは仕方がない。簡易的な二段ベッドのようなものだろう。
アルマはそのままベッドに上ろうとして、シャイードに靴を脱げと叱られる。裸足になって改めてベッドに上り、続いてハンモックに乗ろうとした。だが、網が揺れるので上手く行かない。
何度目かのチャレンジを見送った後、シャイードはハンモックが動かないように無言で押さえてやった。
「ほう……」
寝転がることに成功したアルマは、間近の天井を見つめたまま一言呟いた。
「おい。髪の毛が垂れて来てる」
シャイードが楽な格好でベッドに寝転がると、網の間からアルマの長い三つ編みがぶら下がっていた。猫に似た仕草で、房を片手で何度か弾く。
アルマは寝転んだまま、髪を引っ張り上げて自分の腹の上に置いた。
「……楽しいか?」
「うむ。新しい感覚だ」
「ふぅん?」
微動だにしない魔導書の背中を見上げながら、シャイードは頭の下に両手を置いた。
船が揺れると、ハンモックも揺れる。
その揺れは、床に固定されているベッドとは同期しない揺れだ。幸い、今夜の海は静かだったが、波が高くなれば酷いことになるだろうと予想がついた。
(いや……、むしろ俺のベッドの方が酷いことになるかも)
シャイードは真上に横たわる黒いシルエットを見つめ、これは現実だろうかと訝しんでいた。
今、自分が旅をしているのも、その旅が崩壊する世界を救うためだというのも、どうにも実感がわかない。
何のための旅かと問われて、素直に答えられない理由の一つはそれだろう。
世界が滅ぶ兆候を、シャイードはまだ何一つ見ていない。
アルマから聞いただけなのだ。アルマが嘘を言っている可能性もあるし、そうでなくても、何か盛大な勘違いをしているかもしれない。
吟遊詩人からも奇妙な噂を聞きはしたが、噂はしょせん噂だ。酔っ払いの見間違いかも知れないし、ほら吹きの与太話かも知れない。
「一つ聞きたい」
アルマが不意に口を開き、シャイードは物思いから引き戻された。
「なんだ?」
「旅の理由は、これからも秘密か?」
そのことか、とシャイードは呟く。どうやら同じことを考えていたらしい。
「………。俺自身、確信が持てないうちはな」
「世界の崩壊をか?」
シャイードは無言で頷いてから、これではアルマに伝わらないと気づく。遅れて「ああ」と口にした。
「いま言ったところで誰にも信じて貰えないさ。なにせ俺だって信じられん。せめて何らかの証拠をつかまないと」
「証拠か。目の前に兆しが見えたとして……、果たして汝は兆しと読み取ることが出来るか否か」
シャイードは魔導書の言葉に少しむっとする。
「分かり易く海が裂けたり、大地から炎が噴き出してからでは遅いであろうに」
「……そうやって崩壊するのか?」
「ある場所ではそうかも知れぬ。だが別の場所では、違うかも知れぬ」
「違う?」
「ある日突然、ただ消え去るだけやもな」
「………」
ただ消え去る。
それは派手な崩壊よりもなお不気味だ。シャイードは室内の気温が下がったように感じ、足下から毛布をかき寄せる。
しばらく、沈黙が流れた。
消え失せるとはどういうことだろう。一般的に死者は冥府へ行くと考えられているが、アルマの説明に倣えばその冥府すらも世界膜の一つでしかなく、ビヨンドによって消し去られる対象だ。
消滅させられる前に、ビヨンドの方を消滅させる方法は、ないのだろうか。
シャイードは考えに沈んでいたが、そのうちにある考えに思い至って鋭く息をのんだ。
「『厄災』は『目覚める』のだと、お前は言ったな、アルマ」
「うむ」
「つまり、今は『眠っている』状態なんだろ?」
「まだ目覚めていなければな」
「なら、かつて誰かが眠らせたわけだ」
「1000年前の英雄達が」
「それだ!」
シャイードは指を鳴らした。アルマが首をねじって振り返る。
「起きそうになる度に、何度でも眠らせれば良いじゃないか!」
「どのように?」
「お前、知らないのか? どうやって眠りにつかせたか」
「もちろん知っておる。正確には眠らせたのではなく、厄災の『時を止めた』のだ。多大な犠牲を払って」
「多大な犠牲……。いや、それでも、世界が崩壊するよりは」
「もはやこの世界の誰も、あれほど大きな魔法を扱えぬ」
「そうは言い切れないだろ。世の中にはすごい、」
「いや言い切れるのだ、シャイード。世界に満ちる魔力の濃度は、かつてとは比べものにならぬほど希薄になっているからだ」
「……えっ」
「汝は何故、ドラゴンが滅びに瀕していると思っておるのだ」




