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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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追憶 1

 サヤックはシャイードの初めての友人だ。

 上半身は人間、下半身は山羊で、頭には鹿に似た耳と小さな三日月型の角が生えている。髪の毛は下半身と同じ焦げ茶色の癖毛、瞳は浅瀬の海の色(アクアマリン)で、いつも好奇心に輝いていた。

 その頃、シャイードはようやく人の姿へと変身できるようになったばかりで、本来の身体との違いに戸惑い、上手く使いこなすことが出来ずにいた。

 そこで、運動の練習相手として師匠から紹介されたのがサヤックだ。


 森の木々を易々と抜けて走り去る背中を追いながら、シャイードは何度も転んだ。ふてくされて倒木の影に丸まっていると、サヤックは必ず戻ってきてくれた。


「もう終わりなの、シャイード? キミが追いかけてくれないと、ボク、つまらないよ」

「だって、尻尾がないと上手く走れないんだ。この脚だって、ひょろ長くてすぐに絡まる!」


 悔しさで眦に水分を浮かせながら、シャイードは自らの腿を叩いた。


「なんでニンゲンの姿になんてならなくちゃいけないんだ? 俺はドラゴンなのに!」


 そう言うと、サヤックはいつも困った顔をして笑う。

 半人半獣の妖精(フォーン)は、彼の隣に来て座った。


「キミは凄く貴重な存在なんだよ、シャイード。だからさ」

「みんなそう言うけど、そんなの少しも嬉しくない。俺はみんなと同じがいい」

「みんなと同じさ! みんなそれぞれ、とても貴重な存在だよ」

「? それなら、どうして俺だけニンゲンの姿になる必要があるんだ?」

「あっ、そうだよね。これはまったく説明になってなかった! あっはっは!」


 サヤックは楽しそうに笑った。

 サヤックの話はいつもこうだ。会話の間にどんどん論点がずれていき、何の話だったか分からなくなってしまう。

 シャイードは面食らうのだが、サヤックのそんな言葉を聞いていると、何もかもが些細なことのような気がして、幾分気が晴れた。


「はい、タッチ」

「うん?」

「俺が捕まえたから、今度はサヤックが鬼な」

「ええー? それはずるくない? 今はタイムだったろ!?」

「そんなこと、俺は一言も言ってないけど?」


 シャイードは立ち上がって、走り始める。サヤックはその場でゆっくりと10を数えてから彼を追った。


 サヤックの自由奔放さには救われることもあったが、振り回されることも多々あった。

 ある時、シャイードは師匠の言いつけで、魔法の儀式に使う清水を汲むために森の泉に向かっていた。

 途中でサヤックが現れ、「シャイード、追いかけっこしようよ!」と誘ってきたのだが、シャイードは木桶を見せてお使いの途中であることを説明し、断った。

 ところが。

 シャイードはいつの間にか、サヤックと追いかけっこをして遊んでいたのである。

 いつもの通り、へとへとになるまで遊んで塔へ戻ると、師匠が腕組みをして口を引き結んでいた。

 シャイードには、師匠が怒っている理由がさっぱり分からず、困惑する。

 その様子を見た師匠は、怒りを解いた。

 そして翌日、サヤックが木から逆さまに吊されているのを見たのだ。


 経緯についてシャイードは、後から師匠とサヤックに聞いて知った。

 サヤックはシャイードと遊びたいがために、忘却の魔法を使ったのだという。

 シャイードは師匠に使いを頼まれたことも、サヤックに魔法を掛けられたことも、木桶をどこに置いたのかも、全て忘れてしまっていた。後から言われても思い出せないくらいに完璧にだ。

 師匠によれば、妖精というのは基本的にしたいときにしたいことをするものらしい。

 その性質は、教育でどうこうなるものではないとのこと。


「それなら、木から下ろしてやってもいいのでは?」


 シャイードが助け船を出すと師匠は首を振って、「これは教育ではなく、ただの報復なんだよ」と言って、人の悪い笑みを浮かべた。

 サヤックは、「もう一生、シャイードには忘却魔法を掛けないから!」と泣いて懇願して、木から下ろして貰っていた。

 妖精との約束がどこまで信頼出来るものかは分からなかったが、それからはこのような奇妙な事件は起きなかった。


 さらに時は流れ。

 シャイードはあるとき、師匠から人と竜の憎しみの歴史について学んだ。

 新しい生き物と古い生き物、集住する習性と孤立する習性、自然を切り開いて生きるか自然と共に生きるか、身体の大きさの違い、寿命の違い、文化の違い、エトセトラエトセトラ。

 驚くほどの違いと長きにわたる小規模な報復合戦が、お互いの存在を許容できぬほどの憎しみとなって爆発した時代があった。人竜戦争だ。

 その戦争を境に、元々数で劣るドラゴンはその個体数を激減させた。僅かに生き残り、山奥へと逃げこんだドラゴン達も、その身体の薬効や、武具の素材としての金銭的価値に目のくらんだ人間たちによって一頭一頭狩られていき、滅びの瀬戸際まで追い詰められた。



「どうしたの、シャイード。ボク、ずっとキミが来るのを待ってたのに」


 夜の始め。独りで崖の上に座り、海を見ていたシャイードの背後に、蹄の音が近づいてきた。

 シャイードは片膝を立て、そこに手と顎を乗せたままサヤックを見た。

 そしてまたすぐに視線を海へ向ける。

 サヤックはいつものように、シャイードの隣に座った。

 一緒に海を見つめる。

 月の綺麗な晩だった。海の表面には、昇ってきたばかりの月に向かう輝く直線通路が出来ている。波は凪いでとても静かだ。


「あの道を歩いたら、月に行かれないかな?」

「月に行きたいの、シャイード?」

「どうかな……」


 シャイードの声は沈んでいた。サヤックは口をへの字にしたあと、どこからともなく笛を取り出す。

 彼は明るく、楽しい曲を奏でた。

 しばらく眉根を寄せながら聞いていたシャイードは、耐えきれずに「止めろよ!」と怒鳴る。

 笛の音がやんだ。

 ゆっくりと笛を下ろしながら、サヤックはシャイードを見つめる。


「嫌なことあった?」

「………」


 シャイードは答えなかったが、サヤックは肩をすくめる。


「嫌なことなんて、忘れちゃいな? ずっと見つめていると、嫌なことはどんどん大きく膨らむよ。嫌なことに飲み込まれちゃうよ」


 それでもシャイードは、眉根を寄せてじっと海を睨んでいるばかりだ。

 あーあ、とサヤックは海に向かってため息をついた。


「キミが落ち込んでいると、ボクの心まで暗い海の底へと沈んでしまいそうだよ。サレムとつまらない約束なんてしなけりゃ良かった。それだったら、キミの”嫌なこと”をすぐにでも消してあげられたのに」

「……俺は」

「ん?」


 ぽそりと呟いた声を、耳の良いサヤックは聞き逃さない。彼の方に首を傾げて、辛抱強く話の続きを待った。

 続きの言葉を忘れてしまったのだろうか、と懸念するほどの時間が流れた後、シャイードは再び口を開いた。


「俺は、ニンゲンになんてなりたくない」

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