戦利品
羊皮紙片には町の名であるザルツルードという表記の他、数字や法律的な文言が記載されており、複雑な意匠の朱色の印が押されていた。
文言の内容は、この紙片を勝手に複製した者は死罪に処す、という警告文だ。印影は塩商人ギルドの名称を意匠化したものらしい。
「1ザリ?」
別の文によると、1ザリは塩商人ギルドにて、100gの塩と交換が出来る券、ということのようだ。同様のもので5ザリや、10ザリと書かれた紙片もある。
「塩の引換券、なのか?」
復活したアルマが隣へとやってきて、片膝をつくシャイードの手元を覗き込んだ。彼の手にある、同じ模様の描かれた幾枚もの紙片から、一枚を取り上げる。
「これは紙幣であろうな」
「しへい……、ああ! 紙幣か。知ってる。魔法王国時代に流通していた、紙で出来た金だろ」
これが、とシャイードは珍しそうにそれを見つめた。流石にこの新しさで魔法王国の物のはずはないから、その模倣と言うことになろう。
「いや、でもこれは、塩と交換できると書いてあるだけだぞ」
「ふむ。つまり塩兌換紙幣、ということになろうか」
「だかん? なんだそれは」
初めて聞く言葉だ。要するに、とアルマは1ザリ紙片を揺らす。
「塩商人ギルドが、この紙片の価値を100gの塩と同等だと保証しているのだ。この紙片を持ってきた者は、いつでも塩100gと交換が出来る。そう保証することによって、この紙片がただの紙ではなく、紙幣として流通できるようになる」
「ええと、つまり? 銀貨や金貨にはそれ自体に価値があるが、紙には硬貨のようなの価値がないから? 価値を別のもの、この場合は塩で保証した、と?」
「うむ」
「それによって紙が硬貨のような力を得て、……他のものとでも交換できるのか!」
「その通り。以前も思ったが、汝は意外にも、理解力はあるのだな」
「意外にもってのは余計だろ」
シャイードは口をとがらせ、鼻息を荒くした。手元に散らばった紙幣を、拾い集めてひとまとめにする。
「これだけあれば、さっきの市場でお前が食べたがったものをあれこれ買えそうだな」
「他にもないか? こやつらの持っている紙幣は、全部貰ってゆくぞ」
「お前、容赦ないな」
シャイードは喉奥で笑う。もちろん、彼もそのつもりだった。運動につきあってやった謝礼金として当然だ。
運動の後はご飯が美味しい。
広場に戻った後、シャイードは屋台で魚のフライサンドと、ザクロとブドウのミックスジュースを購入した。ベンチに腰掛け、早速齧り付く。
フライサンドは、揚げたてのさくさくした衣の中で、塩味の鯖がほっくりとゆげをたてており、無限に食べられそうな美味しさだ。ジュースはザクロの癖をブドウが和らげていて、フライで脂っこくなった口の中をさっぱりさせてくれた。
アルマはあちこちの屋台で、目についたものを片っ端から買って食べている。帽子を目深にという命令は守っているから、今のところ混乱は起きていない様子だ。
目につく範囲でしばらく自由にさせていたが、そのうち串焼きを手に戻ってきた。何かと尋ねると、ウナギだという。
アルマは食べるときにも無表情なので、美味しいのか美味しくないのか見た目からはさっぱり分からない。
「食った物が魔力になるのだったか?」
「正確には、その情報が、だな。食べるだけに限らぬぞ。この形態であれば、五感すべてで情報を得られる」
アルマは串焼きを食べ進めながら、広場を見回した。
「こういう場所は良い。情報が沢山ある」
「ふぅん?」
シャイードは食べ終わると、ベンチの背に寄りかかり、賑やかな広場をぼんやりと見つめた。
人が多すぎて、色彩がちかちかして逆に疲れてしまう。
「俺は独りの方が好きだけどな」
「汝らはそうだな。大抵、個で山奥に暮らしておるものだ。種の習性なのであろう。繁殖期だけは、つがいで過ごしておろうが」
「………。母は」
シャイードはぽつりと口を開く。ざわめきの中で、隣にだけ届く声音だ。
「母は独りだけで俺たちを産んだんだ。だから俺たち兄弟は、卵の中で全員が雄だった」
「なるほど」
シャイードは上体を前傾し、隣の表情を覗き込む。
アルマはいつも通りの無表情で、空になった串を指先でくるくると回していた。
「驚いていないな。知ってたのか?」
表情ではなくその言葉尻から、アルマにとって新しい情報ではなかったように感じ、シャイードは確認する。
アルマは串を見つめたまま頷いた。
「汝がそうとは知らなかったが、あり得る話だ。あの種族は基本的には有性生殖であるが、個体数が少なく、また、離れて暮らす習性から、いざという時には雌が単独で卵を産むことも出来る。その場合、生まれてくる個体はすべて雄になるという」
「何でも知ってるんだな」
「本に書いてあることは大抵な」
「………。じゃあ、これは知ってるか。俺たちは卵の時、お互いにゆるく精神が繋がってるんだ」
「ほう。そうなのか」
これは新しい情報だったらしい。魔導書は主の方を振り返った。
深淵のような瞳が、三角帽子の下から覗いてくる。何もかもを吸い込んで喰らい、無に帰してしまいそうな恐ろしい瞳が。
シャイードは無意識に、手元の空のカップに視線を逃がした。
「すぐ近くにあるときだけだがな。俺は一番最初に生まれた卵で、弟たちはみんな俺を慕ってくれてた。だが事件が起きた時、俺は、」
話し始めてからはっと気づく。夢から覚めたように辺りを見回した。朝の活気の中、誰もベンチに並んで座る二人組のことなど気にも止めていない。
シャイードは片顔に手を添えてうつむいた。
「どうしたのだ?」
「いや、俺。何でこんな場所でこんなことを話してるんだ? お前なんかに」
「我はもっと聞きたい」
「だめだ。食い終わったなら行くぞ」
「ううむ。中途半端な情報は、消化不良になるのだが」
魔導書の苦情は無視して、シャイードは立ち上がった。空のカップを店に戻し、雑踏を抜けていく。
アルマは一拍遅れて腰を上げた。その場で串をバリバリと囓って腹に収めてしまい、主の後を追う。
早足で追いついた。
「シャイードよ。いつか話せ。話すことで見えてくるものもあるであろう」
アルマの言葉に、シャイードはちらりと隣を見上げた。すぐに視線を前に戻し、小さくため息をつく。
「気が向いたらな」




