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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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噂話

 シャイードはやはり黙っていたが、興味を惹かれた視線は、吟遊詩人を捉えていた。

 セティアスはその視線を知ってか知らずか、浴室の高い位置を見上げている。

 壁のスリットから覗くのは、少しずつ白んできた空だけだ。

 吟遊詩人は記憶を呼び覚まそうとしているようにも見えるし、自分の言葉の効果をさらに高めるために、勿体ぶっているようにも見えた。

 シャイードがじりじりして湯船の端をつかんだとき、彼はようやく口を開く。


「一夜にして全住民が消えた村。人が鉱物に変わる奇妙な疫病。地面に突然、大きな穴が空いて炎が噴き出した土地。おとなしいはずの幻獣が凶暴化した森。砂漠に花畑が出現したが、調査に入った人間が誰も戻らない。などなど」


 セティアスは指を折り数えて述べた後、すべての指を開いて掌をひらひらさせた。


「他にもあったかな。まあ単なる噂かも知れないし、そうでないかも知れない。――でもね、」


 彼はそう言って、シャイードの方へ身を乗り出した。秘密を打ち明けるかのように、小声になる。


「最近僕は、何かを肌で感じるんだよ。何かが始まろうとしている気配を。君も感じないかい? それは、知らず知らずのうちに日常を浸食してくる。最初はほんの少しの違和感だけれど、多くの人が気づいたときにはもう、既に手遅れになっているたぐいの……」


 後半に行くにつれさらに声音を落とし、最後は押し黙った。何かに耳を澄ませているように、視線だけを横に向けている。


「それは……。まさかアンタ、知って……?」


 シャイードも、釣り込まれて小声になる。人間の中にも、ビヨンドの気配を感じることが出来る者がいるのだろうか、と内心驚いていた。

 と、突然、吟遊詩人が口角を持ち上げた。


「なーんてね! どうだい、怖かったかい?」

「……え」

「怖い話。謎めいた現象を挙げて不安をあおり、それがあたかも、聴衆の傍にも迫ってきているように締めくくるんだ。人はなんだか分からないものが近づいてくるのを一番怖がるからね」

「………」


 シャイードは言葉を失う。それから、はあ、と盛大なため息をついた。


「ただの話なら話と言ってくれ、紛らわしい」

「あらら、残念。お気に召さなかったかい? ドラゴンが出てくる話の方が良かったかな」

「俺が聞きたいのは、おとぎ話じゃない。信憑性のある情報だ」

「ふぅん? でもね、君。おとぎ話を馬鹿にしたものではないよ。その中には重大な真実が隠されている場合も、往々にしてあるからね」


 吟遊詩人は湯の中で、リュートを構える仕草をした。


「ああ、ここに相棒がいればなぁ。君に真実探しを楽しんで貰えたのに。ここは声が良く響くから、さぞかし気持ちよく歌えるだろうにね」

「機会があったらな」


 言ってシャイードは立ち上がる。

 それをセティアスは不思議そうに見上げた後、謎の笑みを浮かべた。


「機会はあるよ、きっと(・・・)ね。ところで君は名前を教えてくれないのかい? 名前、それはたまさかに出会ったもの達が、最初に贈り合うギフトだよ」

「アンタだって、どうせ偽名だろうが」

「芸名と言ってくれないか。やれ仕方ないね、そういうことなら、君のことを仮にドラゴンくんとでも呼ぶことに……」

「シャイードだ! 勝手に変なあだ名をつけるな」


 慌てて答えながらも、シャイードの心臓は飛び跳ねていた。一瞬、正体がばれたか、或いはメリザンヌが話してしまったのかと思ったのだ。

 しかし相手の表情を見て、単にこの会話の流れから即興でつけたものだと思い直す。

 それでも居心地が悪く、逃げるように湯船から上がった。

 脱衣所に向かおうとすると、気配を読んだ奴隷の子どもがかけ湯を手桶に組んで差し出してきた。やはり目は合わせない。


「……そうだ。塩水だったな」


 真水で流しておかないと、あとでべたべたしそうだ。シャイードはかけ湯で一通り全身を洗い流す。

 続いてタオルを受け取り、それで身体を拭いながら扉を潜った。


 脱衣所は心配したような大騒ぎになっていることもなく、シャイードはほっと肩を落とす。

 アルマは部屋の隅に立ち、新しく入ってきた入浴客をじろじろと観察していた。

 客達は怪しげな黒ローブ姿から発せられるぶしつけな視線に戸惑い、慌てて服を脱いでシャイードの脇を抜け、浴室へと早足で入っていく。


「………。一応、言いつけをきちんと守ったようだな」

「うむ。とても退屈な仕事ではあったが」


 シャイードは衣服を脱いだ場所へ行き、手早く身支度を調えた。アルマからバッグを受け取り、ペンダントだけは再び衣服の下に隠す。最後にマントを身につけると、フォスがまたちらりとだけ顔を覗かせ、すぐに引っ込んだ。

 アルマと連れだって脱衣所を出る。


 入口付近では何人かの男達が談笑していた。メリザンヌの姿は見当たらない。まだ湯に浸かっているのかも知れない。


「まあ、アイツが先に出たって伝えてくれるだろ。行こうぜ」


 待つのも面倒だったので、シャイードはアルマを従えてそのまま建物の外へ出た。

 そろそろ夜明けだ。

 東の空はすっかり明るくなっている。

 さっぱりしたせいか、海の香りが満ちる空気は先ほどより美味しく感じた。シャイードは両手を挙げて思い切り伸びをする。


「ふわ……。いい気晴らしになった」

「気持ちよかったか」

「まあな。お前、水が苦手だなんて難儀な奴だな」

「シャイード。汝は我が本であることを忘れておらぬか? 濡れるのが好きな本があると思うのか」

「知らね。無いとも言えないだろ。風呂に入らないで汚れないのか?」

「問題ない。例え汚れたとしても、一度本に戻ってしまえば元通りだ」

「はっ。便利なこって。でもあの気持ちよさを味わえないのは残念だったな」


 シャイードは頭の後ろに腕を組んで歩き始める。


「どこへ行く。宿はそちらではないぞ」

「散歩。宿に戻ったって、やることないだろ」



 海岸と塩田の方には昨日行ったので、予定通り、港の方へ歩いてみることにした。

 アルマも異論は無いようで、すぐ後ろを付いてくる。


 港町の朝は早く、既に街路や広場は活気があった。

 途中の広場に、市が立っている。所狭しと並んだ簡素なテントの下で、新鮮な魚や魚介類の加工品のみならず、近隣から運んできた野菜や果物、肉類に生活用品なども売られていた。

 残念ながら、シャイードは現在、少額の貨幣を持ち合わせていない。旅に出る際に、かさばるのを嫌って貯蓄のほとんどを宝石に交換し、残りも金貨にしてしまったのだ。

 屋台で買い物をするには先にどこかで、金貨をもっと細かい貨幣に交換してこなくてはならない。

 メリザンヌに貰った帝国大型銀貨(シルク)が一枚、あるにはあったが、それとても屋台で使うには大きすぎる。それになんとなく、あの帝国貨は取っておきたい気持ちもあった。

 以上を説明してもなお、アルマがいちいち客寄せの声に引っかかるため、シャイードは何度も道を引き返す羽目になった。

 最終的に、一旦広場を離れ、港の方角とは別の細い路地に入る。

 シャイードは無言になった。



「おい、気づいているか」


 路地を歩き始めてややあって、シャイードは隣に小声で問いかける。


「うむ」


 アルマは頷いた。その視線はまっすぐに前方を向いたままだ。


「どれくらいいる?」

「………。ご……、」

「五人か?」

「50、くらいであろうか」

「はあっ!? そんなにいるか阿呆!」

「なら汝には何羽に見えるのだ?」

「見え……、え? 羽?」


 アルマの示す先を見る。いや、見上げる。

 渡り鳥がの群れが、Vの字に隊列を組んで飛んでいた。


「………」

「………」

「まあ、確かに……。50羽、くらい、か?」

「であろう」

「いや、ちげーわ!! さっきからつけられてるだろうが!」


 つい大きな声を出してしまった。両手で口を押さえた直後、がっはっはという濁った笑い声が背後から聞こえた。

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