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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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春告鳥

 浴室内は薄暗かった。

 壁の高い位置に換気兼明かり取りのスリットが等間隔に並んでいるが、未だ曙光は差し込んでいない。

 石床の所々にランプが置かれている。

 右手の壁にはモザイクタイルで、入り江の風景が描かれていた。その下に温浴用の大きな樽が幾つか並び、それぞれに湯が満たされている。突き当たりの扉の向こうは蒸気風呂サウナだ。

 左側は手前がかけ湯を満たした石造りの水場と手桶。その奥のスペースは洗い場だ。

 脱衣所で別れたつもりだったアルマは、二人について浴室にも入ってきて、あれこれと観察した後に戻っていった。

 風呂の中には柄の悪そうな男達が何人かいたが、丁度シャイード達と入れ替わりに出て行った。またしても貸しきり状態になる。


 シャイードはアルマを残すことに若干の不安を感じぬでもなかったが、折角の入浴の機会を楽しむことにした。

 明日からは船旅だ。湯船に浸かる機会など、しばらくは望めないだろう。

 先に水場からくみ上げた湯で髪と身体を清め、頭にタオルを巻いた。その後、大樽で出来た一人用の小さな浴槽に浸かり、その心地よさに目を細める。隣の浴槽には、既に吟遊詩人が入っていた。

 浴槽の中には褐色の湯が満たされていたが、入ってみてその理由が分かった。中に、海藻が沢山入っていたのだ。壁に貼られた能書きによると、この海藻には保温効果と美肌効果があるのだとか。湯船の湯は海水を熱したもののようで、この町はどこまでいっても塩なのだなあとシャイードは妙な感慨を覚えた。


 首輪をした10歳ほどの子どもが、腰布だけを巻いた姿で掃除をしたり、時折湯温を確認しては熱い湯をつぎ足していく。

 熱めにしてくれ、と注文すると、子どもは頷いてさらにお湯を運んできた。


(奴隷……か?)


 シャイードは首輪を珍しそうに眺めるが、子どもは決して彼と目を合わせなかった。

 人間の社会には、奴隷と呼ばれる階級がいるという。奴隷は同じ人間として扱われず、家畜のように使役される存在だ。

 クルルカンでは見かけなかったが、この町には当たり前に存在するようだ。

 その証拠に、吟遊詩人も気にとめていない……、と思いきや、彼は働く子どもに優しく話しかけていた。

 子どもは却って戸惑っている様子だ。

 話しかける内容は他愛もないものだ。家族は、とか、ここに来て長いのか、とか、ちゃんと休みは貰っているか、とか。


 もう一人、子どもが浴室内に入ってくる。掃除係の子より二、三歳年上に見えるが、顔立ちが似ているところを見ると兄弟なのだろう。同様に腰布をまき、首輪をしている。

 困惑する弟をかばうように、吟遊詩人との間に入り、「髪を洗いましょうか? それとも背中を擦りますか?」とたどたどしい交易共通語で尋ねた。

 吟遊詩人は子どもの顔だちや手足を、じっくりと観察した後、先に髪を洗って欲しいとお願いして、作業の間に、弟にしたのと同じような質問を浴びせていた。

 シャイードは風呂桶の縁に腕を置き、彼が浴槽に浸かったまま仰向けで、髪を洗って貰っているのを眺める。



「おい。アンタ、そんなことを聞いてどうするんだ?」


 シャイードが話しかけると、吟遊詩人は仰向けの顔を少しだけそちらに傾けた。


「うん? ああ、僕は詮索好きなんだ。……君についても気になってるよ! ご両親は? どこから来たの? どこへ行くつもりだい? 何をしに?」

「急におしゃべりになったな。さっきまでは無口だったのに」

「ははっ。喋るのも仕事だからね。僕は吟遊詩人なんだ」

「知ってる」

「おお! 本当かい? どこかで会ったかな?」

「クルルカンの『酔いどれユニコーン亭』と、この町の酒場で。メリザンヌとは知り合いなのか?」

「彼女と? いや……、ああ、そうだね。今はもう、知り合いかな」


 髪をお湯で流しつつ櫛を掛けられ、気持ちよさそうに男は答えた。

 ということは、とシャイードは考える。知り合いではなかったのか、と。


「ふん。その割には、随分親密そうだったな」

「おやおや?」


 男は洗髪を終えて身を起こした。湯船の縁に腰を掛け、次は背中を流して貰っている。

 シャイードは男の肌に、多くの傷痕があることを見て取った。衣服を着ているときにはほっそりとして頼りなく見えた身体も、裸になってみればしっかりと鍛えられていることが分かる。

 シャイードは意外そうに瞬いたが、考えてみれば吟遊詩人は旅に生きる者。修羅場の一つや二つ、潜っていないはずがない。

 その首筋に二カ所、赤い跡があることに気づいた。


「それ、虫にでも刺されたのか?」

「うん?」


 シャイードの指摘に、男は首筋に触れる。


「キスマークでもついてるかい?」

「きすまーく?」


 なんだそれ、とシャイードは不思議そうな顔をした。吟遊詩人は軽やかに笑う。


「君、案外すれてないんだね」

「どういう意味だよ。バカにしてんのか」


 シャイードは不機嫌そうに眉根を寄せた。とんでもない、と男は両手を持ち上げて首を振る。


「ピュアな子は大好きさ。教え甲斐があるからね。なんなら君にも教えてあげようか? キスマークの作り方」


 にやりと笑う口元にからかわれていると感じて、シャイードは首を振る。しかし、正体不明の赤みについては気になって、じっと見つめたままだ。皮膚が傷ついているわけではなく、本人の反応からして痛みもかゆみもないようだ。


「気になるのかい? 僕と彼女が、同じ部屋で何をしていたか」


 吟遊詩人は濡れ髪を頬に張り付かせながら、唇の前で人差し指を立てた。謎めいた笑みを浮かべている。

 シャイードはぶしつけな視線を送っていたことに気づき、ふいと逸らした。


「全然気になってねーよ」

「ははっ。心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと話し相手になってくれって頼まれただけなんだ」

「聞いてねぇし」


 一通りのサービスを終えると、奴隷の兄はシャイードの方にも問いたげな視線を送った。兄の方は目を合わせてくれるようだ。シャイードは子どもが口を開く前に、片手を振ってサービスは不要であることを伝えた。

 その時、別の客たちが浴室内に入ってくる。貸し切りの時間は終了だ。

 新たに入ってきた男達は、シャイード達をちら見した後に、蒸気風呂へと向かっていった。


 吟遊詩人は再び、湯に身体を沈めて気持ちよさそうに目を細める。


「僕の仕事にはねぇ、寂しい人の布団を一緒に温めることも含まれているんだ。彼女にも、そういうサービスが必要かと尋ねたけれど、彼女は笑って首を振ったよ。ただ、話が聞きたいだけだと。だから僕は、そうした。……まあ、いつの間にか眠ってしまっていたみたいなんだけど」


 吟遊詩人は眉尻を下げたまま笑う。


「聞いてねぇって言ってるのに。……そうだ。アンタ、吟遊詩人なら、あちこち旅をしてるだろ」

「うん、まぁね」


 男は片手を大きく持ち上げた。


「大きな町から、小さな村へ。世界の『今』をお届けするは、このわたくし、春告鳥セティアスのお役目にてございます」


 その手を胸へ。芝居がかった仕草で頭を下げる。

 シャイードは頬杖つきながら珍しそうに眺めた。


「口上ってやつか。ちょっと聞くが、アンタ、どこかでドラゴンを見たって話は聞かないか?」

「ドラゴンを? それは、クルターニュ山のドラゴン以降って意味でいいのかな?」


 セティアスは胸に手を当てたまま顔を上げる。片眉が怪訝そうに上がっていた。


「ああ」

「ドラゴン……、そう、ドラゴンねぇ……」

「どうなんだ?」


 何かを思い出そうとするかのように首を傾げるセティアスに向け、シャイードは身を乗り出して先を促す。


「噂だけなら幾つかね。けれど悲しいかな、行ってみればそれは、正体見たりなんとやら。湖に浮かぶ流木だったり、風穴が立てる風の音だったり、ワイバーンを見間違えたのだったり」


 セティアスは肩をすくめた。シャイードは残念そうに、乗りだしていた身を引く。湯に鼻の下まで沈み込むと、大きなため息があぶくとなって水面を騒がせた。


「おやおや。随分残念そうだねぇ、君。どうしてドラゴンを探しているんだい?」

「別に。ただ聞いてみただけだ」

「そうかなぁ? ただ聞いてみただけって風には見えないけれど」

「………」


 シャイードがあくまで何も答えないでいると、セティアスは視線を正面に戻して、小さく吐息した。


「ちょっと謎めいているね、君は。溶けた黄金色の瞳も、この辺りでは珍しい。のっぽの友人も面白いし?」

「……ぐっ」


 シャイードは口惜しげに瞼を閉じる。アレ(・・)と同類にまとめられるのは、忸怩たるものがあった。反射的に友人ではないと否定しそうになったが、では何かと問われたらさらに返答に困るので黙っておく。

 賢者に曰く、沈黙は最良の返答、だ。


「ああ、謎めくと言えばね」


 セティアスは不意に話題を変える。


「ドラゴンとは関係ないんだけど、近年、各地で謎めいた事件が起きているんだよね」

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