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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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早朝の娯楽

 少し遅めの夕食を摂った後、その夜は広々として清潔なベッドに大の字に転がり、シャイードはぐっすりと眠った。

 そのせいか、いつもよりも早く目が覚めてしまう。

 窓の外はうっすらと明るくなっているが、まだ夜明け前だ。

 枕の下に手を入れると、アルマは魔導書の姿でそこにあった。安堵の息をつく。


 その時、隣室のドアが開く音が微かに聞こえた。メリザンヌの部屋だ。


(こんな朝早くに、どこかへ行くのか?)


 シャイードは忍び足で扉へと近づき、ほんの少しだけ開いて廊下を見た。

 密やかな話し声が聞こえる。何を言っているかはまでは分からない。

 その後、シャイード達の部屋の前を通り過ぎて階段へと向かっていく。


(メリザンヌと……、誰だ。男……?)


 廊下は薄暗いが、見えないほどではない。

 ふと、魔女が振り返る。


(やばい、目が合った、……か?)


 そっと扉を閉じ、背を当てて息を潜める。

 案の定、少し遅れて控えめなノックの音が背中に響いた。


「起きているの? 可愛い子」


 シャイードは沈黙を貫く。


「これから良いところに行くけれど、一緒に行くかしら?」

(良いところ……?)


 シャイードは眉根を寄せた。応えるか否か逡巡した後に、好奇心に負けてほんの少しだけ扉を開く。

 ターバンを巻いておらず、上半身裸のままだったので、瞳だけが見える程度の隙間だ。


「……良いところって何だよ」

「ふふ、おはよ。良いところは良いところよ。気持ちイイことして、スッキリするの」

「……行かない」


 なんだか分からないが、魔女の口調からいかがわしい雰囲気を感じ取り、シャイードは首を振った。

 夕べ、散々からかわれたばかりだ。シャイードは視線を、彼女の背後に移す。

 そこにいたのは、昨日彼女が話しかけていた吟遊詩人だ。

 寝起きなのか、なにやらぼんやりとしている。


「行く」


 突然、頭上から声がしてシャイードの心臓は飛び跳ねた。

 アルマだ。いつの間にか、人の姿になっている。


「俺は行かないぞ!」

「そうか。なら我だけで行ってくる」


 扉を開いて外の二人に合流しようとしたアルマの手を、シャイードはがしっとつかんだ。

 声を潜める。


「そういうわけにはいかないだろうが!」

「何故」

「それは……!」


 すぐ外にメリザンヌがいる。もちろん余計なことは言えないし、これ以上会話を続けてアルマが余計なことを言い出すのもまずい。


「あら、アルマは来るのね。いらっしゃいな。シャイードは本当に行かなくて良いの?」

「くっ……、行く。ちょっと待ってろ。すぐ支度する!」



 最低限の身支度をし、貴重品の入ったボディバッグを身につけてシャイードは宿を出る。

 メリザンヌと男の後ろについて少し歩くと、前方に大きな石造りの建物が見えてきた。

 掲げられた看板には、樽のようなものから顔を出す人間の姿がある。そのすぐ上に雲が浮いていた。


「見慣れない看板だが……」


 建物の手前で足を止め、シャイードはいぶかしげに見上げる。


「あら? 知らない?」


 メリザンヌが振り返った。シャイードが肩をすくめると、悪戯っぽく笑う。彼女は建物を紹介するかのように片手を大きく広げた。


「ここは公衆浴場よ」

「公衆浴場……!」


 どういうものかは知っているが、見るのは初めてだ。

 クルルカンでも、近々作ろうという話が持ち上がっていたが、まだ出来てはいなかった。

 心配したようないかがわしい店ではなかったことに安堵しつつも、シャイードには新たな戸惑いが生まれている。

 店の正体が分かってもなお、足が止まったままの彼を見て、メリザンヌは首を傾げた。


「入らないの? 折角ここまで来て」

「いや……、その」


 シャイードはメリザンヌの連れをちらりと見てうつむき、マントの下でもぞもぞとした。

 魔女は二つほど瞬いた後、シャイードの困惑を察したようだ。


「ああ。なるほどね」


 彼女はシャイードの頭に小さな黒い角があることを知っている。ツンツンとした黒髪に埋もれているため、触れてみなければ分からないが、常にターバンで隠しているのは、シャイードにとって不安要素だからだ。

 身体の変身が完璧でないことを彼女は知らなかったが、たった今の、彼の態度で推測した。

 メリザンヌは数歩引き返し、シャイードの前に立つと、小さく呪文を唱えて彼に触れた。

 シャイードは何かの魔力が、膜のように自分を包み込むのを感じたが、身体を見下ろしても変化は分からない。


「何をやった?」

「……これで一時間くらいは大丈夫だと思うわ。心配しないで。行きましょ!」


 メリザンヌは当惑するシャイードの背中を押して、建物へと入っていく。



 入口は一つだったが、脱衣所からは男女に分かれていた。

 一般的な公衆浴場は混浴が多いと聞いていたから、ここは例外なのだろう。

「また後でね」と笑顔で手を振る魔女と別れ、無口な吟遊詩人とアルマと共に男性用の脱衣所へ向かった。

 幸運にも、脱衣所は無人だ。


(朝早いからか? いや、……それとも遅めなのか)


 漁師達はもっと早い時間に出かけてしまっているはずだ。一般市民や旅行者はもう少し遅い時間に来るのかも知れない。

 シャイードは幾分安堵して衣服を脱いだ。マントを外すと、フォスがちらりと顔を覗かせたが、すぐにまたマントの中に引っ込んでしまった。

 脚衣を脱いだ際、アイシャに貰ったサシェがポケットから落ちる。それを、隣にいた吟遊詩人が拾い上げた。

 男はサシェをじっと見つめた後に、香りを嗅ぐ。


「……これ、落としたよ、君」


 不意に話しかけられ、シャイードは驚いて振り返った。差し出された掌には、見覚えのある布袋が載っている。


「あ、俺の」


 シャイードはサシェを受け取り、男を見た。彼は柔和な笑みを唇に浮かべている。目が覚めてきたのだろう、瞳がはっきりしていた。


「良い匂いだね。大事なもの?」

「まあ」


 なんと答えていいか分からず、曖昧に言ってシャイードは返却されたサシェを大事なペンダントと一緒にバッグの中に突っ込んだ。

 吟遊詩人は大きな伸びとあくびをする。


「ふぅ……。なんだかやっと目が覚めてきたよ。おや、貸し切りなのかい」


 今更脱衣所を見回して、彼は「ついてるねぇ」と呟いた。


「君は脱がないのかい?」


 吟遊詩人が話しかけるのを聞いて、シャイードはアルマを振り返った。アルマは脱衣所の籠を両手に持ってしげしげと眺めていたが、話しかけられて顔を上げる。


「我はここから見ているだけでいい」

「あっは! なんだいそれは。君は変態さんかい?」

「アンタ、よくすぐに分かったな」

「え?」


 吟遊詩人は、まさか軽口に肯定が返るとは思っていなかったのだろう。瞬いた後、声を立てて笑った。


「アルマ、お前が来たいって言うから来てやったのに、なんなんだ」

「シャイード。我は”良いところ”とやらの正体を知りたかっただけだ。汝もそうであろう?」

「お、俺は別に。風呂には入りたかったから、結果として良かったが」


 馬車旅の間もチャンスがあれば身体を拭いてはいたが、たっぷりの湯を使いたい気持ちはあった。

 だが人前で裸になるのはリスクだとも考えていた。自分の身体を見下ろして瞬く。


「あ……」


 しかしそこには完璧な、人間の身体があった。変身で再現できていない、へそや乳首もちゃんとある。だが、触れてみると何もない。


(メリザンヌの幻覚魔法か? 便利だな)

「お前のことだから、風呂にも興味津々かと思ったがな」

「興味はあるぞ。だが、水に濡れるのは好ましくない。がふやける」

が? そんなことを気にしているのか」


 昼間も濡れたじゃねーか、とぶつぶつ言いながらも、別にアルマが来なくても構わないことに気づく。シャイードはバッグを持ち上げてアルマに押しつけた。


「風呂に入らないなら、お前、ここでこれを守ってろ。中身を喰うなよ?」

「わかった」


 アルマは素直に受け取る。

 裸になった男二人は、ドアで区切られた浴室へ向かう。シャイードは思い出したように振り返り、「バッグも喰うなよ?」と、アルマに釘を刺した。

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