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【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第二部 妖精裁判
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海乙女の真珠亭

 位置と外観だけ確認して通り過ぎた『海乙女の真珠亭』に戻ってきたときには、既に陽は海の向こうに完全に没していた。


「全く。お前がいつまでもぐずぐずしてるからだぞ」

「我はぐずぐずなどしていない。海の色の移り変わりを観測していただけだ」

「それをぐずぐずって言うんだ!」


 腹いせに、つい勢いよく扉を開く。

 しまったと思ったが、内部の喧噪はそれ以上で、誰もシャイードのことを気に掛けはしない。

 いや、一人だけ。


「お二人ですかー? 今ちょっと、席がいっぱいで」


 両手にトレイを掲げた若い給仕だ。

 シャイードは「あ、いや。俺たちは宿泊客だ」と告げる。酒場の中を見回すが、メリザンヌの姿はない。

 給仕は「ああ」と頷き、奥のカウンターを顎でしゃくる。


「お泊まりはあちらで、宿帳に記入してください。それから二階へ」


 近くから呼びつけられ、はいはーい、と返事して給仕はきびすを返していく。


「仕方ない。夕飯はもう少し後にしよう」


 シャイードはアルマを見上げ、肩をすくめた。ついでに彼の三角帽子の鍔を深く下ろしておく。


「……前が見えぬ」

「俺の靴の踵でも見てろ」



 指定された部屋は、二人部屋だった。ベッドが二台置かれている。窓際の書き物机の上に置かれたランプが、室内をほのかに照らしていた。

 机下にはシャイードの荷物が一式、置かれている。着替えなどが入った旅用のバックパックとクロスボウだ。


「あ、そうか。一人部屋でいいとメリザンヌに伝えておけば良かったな」


 シャイードはマントの留め金を外し、椅子に向けて脱ぎ捨てた。中にいたフォスが、慌てて外に出てくる。

 光精霊はそのまま室内をふわふわ漂うが、黒い魔術師姿の傍へは決して寄ろうとしなかった。アルマが動くと、逃げるようにランプの隣に身を潜めてしまう。


「まあいいか。俺が払うんじゃないし。折角だから、二台をくっつけて広々眠るかな」


 アルマはシャイードが眠るとき、魔導書の姿に戻っている。

 馬車旅の間はそうもいかなかったが、個室であれば彼が本に戻っている方がお互い楽だ。

 シャイードが片方のベッドに手を掛けると、アルマは彼の背後に立った。


「一人部屋で良い理由を問われるのではないか」

「そりゃお前が……、ああ、そうか。言えないな。――よし、っと」


 メリザンヌにはまだ、アルマが魔導書であることを話していない。帝国兵をそう簡単に信用はできなかった。まして彼女とは知り合って日が浅い。

 シャイードはベッドをくっつけ、横からその真ん中にダイブした。


「ふはっ。広い! 王にでもなった気分だ!」


 笑いながら両手をいっぱいに広げ、清潔なシーツの香りを胸に吸い込む。ランクの高い宿のようだ。

 アルマはそのまま、ベッド脇に立っている。


「汝の王の定義は、広いベッドなのか」

「知らねーけど。こんくらいは広いベッドに寝てるだろ、きっと」


 シャイードはベッドの上で一回転し、仰向けになってから上体を起こした。ブーツを脱いでベッドに足を乗せる。

 アルマが急にうずくまった。


「……どうした!?」


 うずくまったまま動かない彼を見て、鋭い誰何と共にシャイードは胡座から片足を立てる。

 何か異変を察知したのか、急に魔力が尽きたのか、水に濡れてから風に当たったせいでどうかしたのかと、一瞬でいろいろ考えたのだが。

 アルマはシャイードのブーツを手に立ち上がった。帽子の鍔が下がったままで、その表情はうかがえない。


「汝の靴の踵を見てる」

「………」

「………」


 奇妙な沈黙が流れた。

 シャイードはベッドに立ち上がり、アルマの帽子の鍔を持ち上げる。

 深淵を秘めた視線は、その手の中の靴の踵に注がれたままだ。


「………。で? いつまで見てるつもりだ」

「我に聞くな。見てろと言ったのは汝だぞ?」


 シャイードは彼の手からブーツを取り上げると、無言で部屋の入口扉に向けて投げた。靴底が扉に辺り、重い音を響かせて床に落ちる。


「あ」

「やめーい」


 追いかけようとしたアルマの三つ編みをつかんで制止する。アルマは予想外のところから掛かった力でバランスを崩し、背中からベッドに倒れ込んできた。


「うおっ!?」


 シャイードは巻き込まれ、彼の下敷きになってしまう。


「踵が」

「お前、わざとか!? 絶対わざとだろう。早く退け」

「そうしたいが、汝が我の髪を踏んでおる」

「私の可愛い子、もう戻って……、あら?」


 突然扉が開いて、メリザンヌが顔を覗かせる。つなげて広くしたベッドの上で、起き上がろうとするアルマと彼をどかそうともがくシャイードが絡み合っているのを目撃した。彼女のスミレ色の瞳が、ぱあっと輝いた――ようにシャイードには見えた。


「あらあらあら! まあ!」

「アルマ、お前、鍵!」

「汝が」

「ごめんなさい、お楽しみ中ね。また後に」

「ちょっと待ったーーーっ!!」


 ひらひらと手を振って立ち去ろうとする魔女を、悲鳴のような声でシャイードは引き留めた。


 ◇


「……ってわけで、別に、アンタが想像するようなことじゃないからな!」

「あら、そうなの? うふふ。それで? 私の想像するようなことって?」

「いや、その、……それは、」


 シャイードは真っ赤になって瞳を泳がせる。


「なあに? 具体的に言って貰わないと、私、わからないわぁ……? 具・体・的・に!」


 魔女は胸を抱えるように腕を組んだまま、上半身をよじらせた。


「くっ……!」



 シャイードは、立ち去ろうとした魔女を呼び止めて、マントをどかした椅子に座らせていた。自分はベッドに座ったままだが、アルマは傍に立たせている。

 先ほどの光景はちょっとした事故の結果であって、何かを意味するものではない、と説明をしたのだが、魔女は唇からにやにや笑いを消さないのだ。

 分かっている、とでも言うようにしたり顔で時折頷くのだが、シャイードが思うに絶対に誤解している。


「だって、……ねぇ?」


 メリザンヌはくっつけられたベッドに意味ありげな視線を落とす。


「それは……、ぐっ……」


 この理由を説明しようとすると、アルマがベッドを使用しない理由を説明しないわけにはいかない。


「大丈夫よ、こう見えて私、そういうこと(・・・・・・)には寛容なの。隠すようなことでもないわ? むしろ尊いことよ。ねぇ、アルマ?」

「うむ?」


 アルマは意味も分からぬままに、名を呼ばれて応える。


「で? どっちが下なの?」

「下、とは」

「やあねぇ、すっとぼけちゃってぇ!」


 彼女は笑いながら、胸の前で手をぱたぱたさせた。


「眠るときのことに決まってるでしょ。ベッドの上で、どっちが下に寝てるの?」

「……ああ。それなら我が下だな」

「まあっ、そうなの!?」


 メリザンヌの意外そうな声に、アルマの「枕の」という続く言葉は重なってかき消されてしまった。


「あらあら、そうだったのねぇ? ふぅん? この子の方がねぇ……?」


 メリザンヌは口元に手を当てて、シャイードを振り返るとじろじろと見つめた。意味深な視線だ。

 シャイードははあ、と大きなため息をつく。


「もうどうでも良くなってきた。好きに受け止めてくれ……。ただしそれは、全部アンタの妄想でしかないがな」


 がっくりとうなだれて片手を振り、匙を投げる。

 魔女の脳内で何が展開されているのかシャイードには知る由もなく、知りたくもなかったが、考えてみれば彼女が何を誤解していようとさしたる問題はない。

 それよりも、下手に説明を試みて、アルマが魔導書であるとばれる方が問題に思えた。

 もしかしたら魔女は、最初からそれが狙いで誤解を装っている可能性すらある。



 そんなシャイードの思考を読んだように、魔女は手を下ろした。


「あーらら。失敗しちゃったかしら? あん、あの美形さんの秘密を、上手く聞き出せるかと思ったのにぃ」


 メリザンヌはアルマからシャイードに視線を移し、唇をとがらせて肩をすくめた。シャイードは鼻を鳴らす。


「その割に、随分楽しそうだったがな」

「折角ですもの。会話は楽まなくっちゃ! そうでしょ?」

「俺は疲れただけだ」

「うふふ、それは私の力不足ね。ごめんなさいだわ。ああ、そうそ!」


 彼女は豊かな胸の前で両手を打ち合わせる。


「出発のことを話しに来たのよ。船は明日の夜に出航する予定になったわ。『サンターク号』。港の場所は分かる?」

「明日の夜か。それまで自由だな。なら先に一度、港の方にも足を向けてみようと思うが」

「それが良いわね。折角面白い町に来ているのだもの」


 話は終わりらしく、魔女は立ち上がった。扉に向かい、そこに落ちているブーツを拾い上げて首を傾げる。


「貴方たちも楽しんでちょうだい。……でもアノ声は、控えめにね!」


 全部聞こえちゃうわよ、と唇に指を立てて言い、彼女はブーツをシャイードに向けて投げた。扉が閉まる。

 シャイードはブーツを受け取った後、とどめを刺されたようにゆっくりとシーツに突っ伏した。

 嵐が去り、静寂の戻った室内で、アルマが主の後頭部を見下ろして口を開く。


「泣くな、シャイード」

「……泣いてねぇわ!」

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