帰還
一行が町への帰還を果たしたとき、陽は西に傾いていた。
怪我人達はまっすぐに施療院へと運ばれていく。シャイードも当然運ばれていくところだったのだが、彼は申し出を断って担架から降りた。
かなり痛そうにではあったが、自らの足で歩く。アイシャが彼の傍らに付き添うが、肩を貸そうとすると不要だと意地を張られた。
元気な兵士たちは町で一番大きな宿へと行き、アイシャとシャイード、それにメリザンヌの三人だけが「酔いどれユニコーン亭」へ向かう。
宿の前には人だかりが出来ていた。
またしても、ワイバーンのせいだ。
「ちょっと……、すみません。通してください。あ、お義父さん! お義父さーん!!」
シャイードから離れ、アイシャは先に人の壁をかき分けていく。
頭を抱える義理の父と、先ほどの全身鎧の人物が店の前に立っていた。
赤髪の将軍の背後に控えるワイバーンは、誰かが鱗に触ろうと近づく度、尻尾を振り回して牽制している。
そのたびに群衆からどよめきと歓声が上がっていた。
何度かアイシャが呼びかけるうち、うつむいていた店主が顔を上げた。
あっけにとられたような、ぼーっとしたような、怪訝そうな表情で辺りを見回し、最後に群衆の中からまろび出てくるアイシャを見つけて目を丸くする。
「アイシャ!! お前……、お前……!!」
「わぁああん!! ごめんなさい、お義父さぁん……!!」
ここに来て初めて、アイシャは緊張の糸が切れたのだろう。
涙ぐみ、店主の太腕に向けて飛び込んでいく。店主はまだ信じられない面持ちで屈み、腕の中に収まるか弱い少女を抱き留めた。
「どこ行ってやがった、この大馬鹿娘!! 心配させやがって!」
「ああぁあ、……ぅわああぁああん! ごめ、…なさ……、ああああん」
「ああくそ、本当にお前って奴は、もう……。怪我はねぇか?」
「ぅぐっ……ひっぐ、……っ」
頷きながら泣きじゃくる彼女を前にして、持ち上がっていた店主の眉尻は次第に下がっていく。自らの首の後ろに太い片手を当て、あらぬ方を困ったように見て口を開く。
「あー、なんだ。その、なあ。……冒険、楽しめたのか?」
アイシャは問われてすぐには言葉が出てこず、何度も頷く。その度に、後頭部でポニーテールが大きく跳ねた。
「でも、……こ、怖かったよ。も、帰れないかと、おもて……っ。シャイード、助けてくれた」
「ばっかやろうが……」
店主は無骨な掌で彼女の頭を撫で、怪我がないか確認するために自らの頭を左右に傾けた。
目立った怪我がないことを確認し、心底安堵した表情で肩の力を抜く。
遅れて、シャイードとメリザンヌが人の群れを抜けてきた。
二人とも、父子の対面を少し離れた位置から見守る。
メリザンヌはそっと隣の様子をうかがった。シャイードの口元には、ほんのりと、かすかな笑みが浮かんでいる。
見たことのない彼の表情に、あら、と、魔女は意外そうに片眉を上げた。
「貴殿の言っていた届け物とは、あの少女のことか」
直後、近づいてきた将軍に声を掛けられ、メリザンヌは向き直る。シャイードは瞳だけを動かして新たな人物を見た。
面頬の奥の赤い瞳と目が合う。
「ええ。後で詳しくお話ししますが、彼女もまた”事故”の一部ですわ」
「……この少年は……?」
メリザンヌが先の問いかけに答える間も、将軍の兜はシャイードの方向を向いていた。
「……、彼は、私の部下が雇った”引き上げ屋”です」
「………。そうか」
メリザンヌが一瞬答えに詰まったことに気づいたか否か、将軍は射貫くような瞳でシャイードを見つめた末に頷いた。
「それよりも、貴殿が指定したこの店だが……、店主によれば休業中とのことだ」
「いや、今から開店だ!」
答えたのはいつの間にか傍までやってきていたかの店主本人だ。その表情には、抑えようとしても抑えきれない笑みが広がっている。
アイシャはようやく落ち着いたのか、父親から離れてぐしゃぐしゃになった顔をハンカチでぬぐっていた。
シャイードの前へやってくると、店主は、「おお、シャイードよ……!!」と感極まった口調で言ったあと、太い両腕で彼を抱きしめる。
「ぐぇ……」
予想外のハグに、シャイードはなすすべもなく捕まった。
「ありがと、ありがとうな! シャイード。アイシャを無事に連れ戻してくれて。俺ァ……、俺ァ、なんて礼を言ったら良いか!」
「……っ、るし……」
「あらあら、店主さん。その子、口から中身が飛び出てしまいそうですわよ」
太腕に思い切り締め上げられて、息も出来なかったシャイードを、メリザンヌがころころと笑いながら救った。
「お? おぅ。そうか」
腕の力が緩んで、シャイードは解放された。満身創痍の身体に新たなダメージを重ねてよろよろとする。
「わ、わりぃ……」
「礼に……、殺されるんじゃ……、割に、合わね……」
口元を右手の甲でぬぐい、荒い息と共に抗議した。店主はそれを聞いてがははと大声で笑う。上機嫌だ。
その勢いでシャイードの背中を強く叩こうとして、寸前で思い直し、ぽんと軽く叩いた。
「とにかく今日はゆっくり休め、シャイード。もちろん、宿代はいらねぇ。飯も酒も全部タダだ」
「あぁ」
シャイードはもちろん申し出をありがたく受ける。とにかく疲れていて、体中は痛くてだるく、腹が極限まで減っていたのだ。
「では店主殿。我らにも一部屋、お借し願いたい。内密の話があるので、出来ればなるべく奥の部屋を」
「おお、空いてるぜ。飯も酒もすぐ用意する。……っと、その前に、あの大きな乗りモンを裏に回してくれねぇか? 厩にぎりぎり入るだろ」
店主が片手の指でワイバーンを指し示す。
「承知した」
将軍は頷き、ワイバーンの元へと戻り手綱を握った。
「さ、私たちは先にお部屋へ行きましょうか?」
「いや、俺は……。もう頼まれた仕事も終わった。アンタたちとは関係ない」
メリザンヌが絡めようとしてくる腕をかわしながら、シャイードは首を振る。
「あら? つれないわね?」
残念そうに言ってから魔女は、シャイードの耳元に赤い唇を近づけた。
「貴方が傍にいてくれないと、私、うっかり”何か”口を滑らせてしまうかも知れないわよ」
「……!」
シャイードは勢いよく身を引いて無意識に耳をかばい、魔女をにらみつける。
魔女は艶然と微笑んでいた。
「鬼か」
正直、シャイードは立っているだけでも辛い。帝国軍同士の話なんてどうでも良い。
一刻も早く回復して、この町を出て行くのが今のシャイードの望みだ。
「まぁ、この美女を捕まえて、失礼」
メリザンヌは両腕を胸の下で組み合わせ、ローブの内に秘めた豊満なボディラインを強調する。
シャイードは舌打ちして興味なさそうに目を反らすが、少しわざとらしすぎた。
その彼の顎に手を添え、魔女は自分の方に向き直らせる。そして驚いて見開く彼の瞳を正面から覗き込んで微笑んだ。
「でも、いいわ。今はゆっくり、傷を癒やすと良いでしょう」
「ふん。アンタに言われずとも」
シャイードはふてくされた口調で答える。魔女の瞳が、すっと細まった。
「貴方はどの道、従うしかないわ。――そうでしょ? 私のドラゴンちゃん」
最後の言葉は、シャイードの耳に顔を近づけてささやく。
シャイードの金の瞳が光を失う。馨しい芳香が鼻孔に押し入り、シャイードの思考をも蕩かせた。
「……ぅう……」
(彼女は仲間……。彼女は俺に、危害を加えない……。彼女は俺を一番幸せにしてくれる……)
(違う! 俺に、仲間は、いない――!)
(そう、彼女は違う。彼女だけは特別。彼女の言葉は絶対……)
彼女を賛美する思考が次々に沸き上がってくる。抗おうとする思考は、みるみるうちに抑え込まれてしまう。
(これは……、魔法、か……? ……おかしい……、人間が、呪文も唱えずに……?)
最後の抵抗の意思がかき消されていく。疑問は消滅した。
シャイードのうつろな視界の中、魔女の舌が赤い唇の上を蛇のように這った。




