来訪者
一行は樹上から現在地を確認した後、遺跡へと向かった。
キャンプは既に撤収しているだろうが、道なき森を抜けて直接町へと向かうより、遺跡を経由して町へ向かった方が結局は近道だ。
怪我人達は切り出した木の枝と予備の衣服で作成した簡易担架で運んでいる。シャイードの角と爪は、アイシャの傍で眠っている間に元の長さに戻っていた。
故に兵士たちは彼の異貌を目にしていない。
アイシャは落ちていたクロスボウ、それにターバンと魔導書を回収し、後者2つは彼と自分にそれぞれ元通り巻き付けておいた。
何があったのかを知りたがった兵士たちに対し、メリザンヌは「魔物に襲われたが撃退した」とだけ語った。
真実ではないが、嘘とも言い切れない。
――魔物。
その言葉は、運ばれるシャイードの傍らについて歩く少女に重くのしかかった。
一行が奇妙な羽音を聞いたのは、もうすぐ遺跡の入口へたどり着こうかという頃だ。
頭上には木々が生い茂っていたため、見える空はごく一部分だけ。だがその空を、大きな鳥のような影が横切った。
逆光のため、その正体までは分からない。
影は二度ほど上空を横切った後、見えなくなった。
アイシャは不安そうな表情でその後も幾度か見上げたが、周りの兵士たちはそれほど気にした風でもない。
彼らには影の正体を、既に知っているようだった。
そしてそれは、程なく判明することとなる。
やがて一行は、遺跡へと到着した。
遺跡からはテントが一掃されており、その代わり、引き上げ屋とおぼしき者たちの姿がちらほらと見える。
ポータルストーンに寄りかかっている者もいる様子から、それがもう発動状態にないのは明らかだった。
だが何よりも目立つのは、遺跡の一角を陣取る赤色をした生き物だ。
「えっ!? ドラゴン?」
アイシャが思わず言葉にすると、周りの兵士たちが笑う。
「お嬢ちゃん。ドラゴンはもういないよ」
「あれも竜の一種ではあるけれど、ワイバーンだ。ドラゴンよりずっと小さいだろ」
この辺りには生息しないその幻獣は珍しく、当然、引き上げ屋達もワイバーンの周りに集まっている。
遠目ではあるが、確かに、話に聞くドラゴンよりもずっと小さい。
馬よりは大きく、小型の馬車くらいはある。翼を広げたらもっと大きいだろう。
けれど、小山のようなと表現されるドラゴンとの違いは、一目瞭然だ。
それに何より、ドラゴンにはあるはずの前脚がない。
「飛空騎士だよ。帝都からの伝令かな?」
「いや、違うぞ。あの赤いワイバーンは――」
一行は順次、傾斜の緩い場所から窪地の中に降りていく。
遠目に様子をうかがってくる引き上げ屋達の輪から、ひときわ目立つ偉丈夫が、一行に気づいて踏み出した。
黒い大きな飾り角のついた兜の下から流れ落ちるのは、燃えるような赤い長髪だ。
黒地に赤で炎を意匠された鎧をまとい、マントの色は深紅。その姿に気づいたメリザンヌは、慌てて走り出ていく。
「イヴァリス将軍! ――困りますわ、そのような格好で……」
後半は間近に近づいて、軽く膝を折ってからの小声だ。
「幻惑の魔女メリザンヌ。今回の探索の責任者は貴殿だったか。事故があったと聞いたが、無事で何よりだ」
将軍と呼ばれた男は、面頬の奥からくぐもった声で答える。今、兜の奥に見えるのは、彼の赤い瞳だけだ。
「はい……。ですが、あの……?」
「首尾について詳しく聞きたい。どこか落ち着いて話せるところはあるか?」
わざわざその為に、将軍自らが? とメリザンヌは不思議に思ったが、片眉を上げるだけにとどめた。
「それなのですが、部下が怪我をしております。一旦、町へ向かうつもりでおりました」
「よい。では町のいずれかの宿で落ち合おう」
「では、『酔いどれユニコーン亭』という店へ。届けものがありますの」
「承知」
言うとイヴァリスは身を翻した。マントが風をはらんではためく。
「スヴァローグ!」
将軍が声を上げると、ワイバーンが彼へと歩み寄っていき、頭を垂れた。
引き上げ屋達がどよめきと共に、進路を邪魔せぬように輪を外側へ広げる。
そのワイバーンの手綱を取り、イヴァリスはたやすく背にまたがった。鎧を身につけているとは思えない俊敏さだ。
彼が手綱を引くと、ワイバーンは頭を上げ、その場で翼をはためかせる。
風が巻き起こり、引き上げ屋達がおのおのの顔をかばう。ワイバーンはさらに羽ばたき、空に浮かぶとみるみる高度を上げ、町の方角へと飛び去っていった。
アイシャは離れた場所から、その一部始終を見ていた。
会話の聞こえる距離ではなかったが、メリザンヌよりも身分が上らしい男が、ワイバーンに乗って町の方角へ消えていくのをぽかんと見送っている。
と、突然、横から足をつかまれた。
小さな悲鳴をあげて視線を巡らせると、地面に下ろされた担架の上で、シャイードが目を覚ましていた。
眉根を寄せ、苦しげな表情だ。何とか起き上がろうと、肩肘をついて力を入れている。
「おい! 今のは……?」
「シャイード!! 目が覚めたんだね。大丈夫!?」
アイシャは傍らに跪き、彼の肩に手を添え、その様子を観察する。シャイードは彼女の手を、煩わしそうに振り払った。
「平気、だ。それより……」
「よかったぁ……!!」
アイシャは振り払われたことも気にせず、上体を起こしたシャイードに抱きついた。
「……おい、やめろ……、……っ」
「ご、ごめん」
耳元の息づかいに苦しげな気配を感じ取り、アイシャは慌てて身を引いた。
シャイードは深く息を吐き出す。動作はまだ緩慢だ。
度重なる銃撃のダメージが残っているのだ。
片掌を上に向け、握ったり開いたりしながら、ワイバーンの飛び去った空を見上げる。
「さっき……」
「あ! そうなの! ワイバーンがね、私、初めて見た! こーんな、翼が大きくて! 赤で!! 飛んでいったんだよ!」
アイシャは両腕を大きく広げた。興奮しているようで、話が要領を得ない。
「ワイバーン……?」
「そう! ドラゴンじゃないんだから!」
アイシャは胸を張る。彼女の口からこぼれた”ドラゴン”という単語にシャイードはびくりとするが、アイシャは気づかなかった。
ワイバーン……? とシャイードは両目を細めて再び呟いた。
それから初めて、シャイードは自分の今いる場所に気づく。両手で自らの胸や腹に手を当てた後、焦ってアイシャを見上げる。
「おい。お前、本を知らないか?」
「ほん? ……ああ」
アイシャは頷くと、口元に手を当てて小声になる。ケープのあわせをそっと広げ、彼に腰に結んだ魔導書を見せた。
「ちゃんと私が持ってる。これ、シャイードの、大事な物なんでしょ?」
「そうか……」
シャイードは安堵し、詰めていた息を吐き出した。
「助かる」
「だーかーらー。ありがとう、でしょ?」
「………」
シャイードは頬を膨らませるアイシャには答えず、青い顔で目を閉じ、再び横たわった。




