終章 黒竜の宝物 2
クルルカン――
次にシャイードが訪れたのは、クルルカンの遺跡だ。
そこはすっかり様変わりしていた。浮島が窪みに填まった結果、魔法王国往時の姿を取り戻したのだ。
と言っても、地上部分は千年前の争いの際、ほとんどが破壊されてしまっている。
元々、地下へと広がった町のようで、新たに手つかずの探索地域が増え、引き上げ屋たちは興奮していた。
長い間謎だった遺跡の真の姿が明らかになるのも、そう遠い未来ではなかろう。
時の停滞が完全に解かれたため、地上部分で石像のように固まっていた当時の勇者たちも元に戻った。それぞれ酷い怪我を負っており、クルルカンの街で治療が施された。
ギルド所属の学者たちは、千年前の生き証人から詳しい話を聞くべく治療院に押し寄せたが、勇者らは目覚めたとき、名前以外の記憶も力も失っていたという。
突如、酒場に姿を現したシャイードを見て、アイシャはエールが満載されたトレーを落っことした。彼女にしては珍しい大失敗だ。賑わっていた店が、一瞬しんと静まりかえり、入口に視線が集まる。
「お、お化け……!!」
「言うに事欠いて、第一声がそれか! 生きてるよ!」
シャイードは大股でアイシャに近づき、その足元にしゃがんだ。転がったエールのジョッキを拾い、残っていた僅かな中身を呷る。他のジョッキも集めてトレーに載せ、立ち上がった。固まっているアイシャに差し出す。
「ほら」
「え、……ああ、うん。ありがとう。……。あなた、ホントにホントのシャイード?」
「いや、むしろなんで?」
お化け扱いを理解できずに疑問を投げかけようとしたとき、店主がモップを片手に奥から飛び出してきた。シャイードに向けて構える。
「俺の娘に何しやがる!」
「何もしてねえけど!?」
シャイードは顔に迫るモップを避け、両手を肩まで持ち上げて、一歩下がった。背中がアルマに当たって止まる。
店主は構えを解き、モップを立てた。
「ちっ。生きてたか、小僧! なかなかしぶてぇ奴だな」
憎まれ口を叩いたあと、店主はニカッと歯を見せて笑った。
「まあ、喰ってけ、喰ってけ。はい、ちょいとごめんよ。ここは今から予約席だ」
店主は、近くのテーブルで突っ伏していた酔っ払いの首根っこをひょいと掴んで退かし、無理矢理席を作る。アイシャがトレーを持って厨房とテーブルを往復して、食事の用意をした。
シャイードは久しぶりの店主の料理を、夢中になって食べた。
二年以上慣れ親しんだその味は、彼にとって我が家の味となっている。アイシャは手が空く度にシャイードのテーブルへやってきて、彼の食べっぷりを眺めたり、足りないものを補充した。
アルマも、シャイードの隣で物静かにナッツをつまんでいる。
「……。お前、なんでさっき、俺が死んだと思ってたんだよ」
腹が満たされると、言いかけていた疑問を改めて呈する。アイシャは「えっ」と言って、テーブルについていた両肘を外した。
「だってその、……私」
薄緑の瞳が泳いでいる。時折、ちらちらとシャイードを窺った。
「シャイードのこと、(ごにょごにょ……)と、思ってて」
「あ?」
シャイードは耳の後ろに片手を添え、身を乗り出す。
「な、なんでもない。ちょっと勘違いしてただけ……っ!」
アイシャは両手を肩の前で振った。
シャイードは鼻を鳴らして身をひく。
「相変わらず、わけのわかんねー奴」
「……」
アイシャは手を下ろすと、テーブルとシャイードの間に視線を往復させた。
「いつも髪を留めていたターバン。今日は珍しくしてないね」
「ああ。あれもう要らなくなった」
「そ、そうなんだ?」
アイシャは口元に指を添えて考え込む。しばらくそうしてから急に息を吸い込み、吐き出した。
今度は、ニコニコしながらシャイードを見つめる。
「……なに?」
シャイードは彼女の変わりように若干引き気味になりつつ、エールのジョッキを片手で掴んだ。
「ううん。考えてみたら、シャイードがなんだって関係ないなぁって。今、ここに元気でいてくれて嬉しいよ」
「お、おう」
シャイードは照れくさくなり、瞳を逸らした。耳の先端が赤くなる。
ごまかすようにジョッキを傾け、テーブルに置く。
「おかえり、シャイード」
「……。ただいま」
また出かけることになるにせよ、『酔いどれユニコーン亭』は確かにシャイードの第二の家だった。
◇
帝都――
シャイードが帝都に戻ったのは、結婚式の前日だ。
隕石の降った日からまだ二日しか経っておらず、町は浮き足立って感じられた。人々の顔には疲れが見えたが、暗くはない。最悪の事態は過ぎ去った。あとは良くなるだろうと、予感している表情だ。
隕石の欠片に壊された箇所を修復する者。祭りの屋台に並ぶ者。混雑の隙を突いて盗みを働こうとする者。それを取り締まろうと目を光らせる警備兵。
慌ただしく動く者が多い中、アルマと並んで角を曲がったシャイードはぎょっとして立ち止まった。
大通りの真ん中を、巨大な骨の怪物が闊歩していたからだ。
それも、苦労して倒したはずの――
「骨傀儡!? な、なんで……」
反射的に身構え、腰の魔法剣に手をやる。だがすぐに、姿勢を戻した。
骨傀儡は、丸太を四本の腕に幾つも抱えている。それを、人々が離れたところからぽかんとした顔で見上げていた。足元には路上の人馬の流れを制御する者や、荷車を押すドワーフの姿も見える。
シャイードは骨傀儡の背中を見上げたまま近づいていく。アルマはちらりと横を見たことで一歩遅れた。その直後、シャイードは後頭部に強い衝撃を受けた。
「痛ぇっ!?」
片手を当てて振り返ると、至近距離に怪しい黒ローブ姿が立っている。フードを深く下ろしているため、顔は全くわからないが、自分を殴った武器に見覚えがあった。
大鎌の形をした魔杖――
「なんでここにいる!?」「よくも吾輩の猫ちゃんを!」
シャイードとラザロは同時に言った。
そして揃って黙り込んだのち、再び共に口を開く。
「なんの話だよ!」「吾輩とて、いたくているわけではない!」
「一人ずつ喋ったらどうなのだ」
アルマが間に入り、二人の額を押した。
シャイードはいきなり頭を殴られたことで、非常に不機嫌な表情だ。ラザロの顔はフードに隠れているが、杖を握る指先に力が入っている。隙あらば、もう一発殴りたいと思っていそうだ。
二人とも黙り込んでしまった。アルマは一つ瞬く。
「ああ。この言い方では問題を解決できぬのか。……ではまず、ラザロから話せ」
言って魔導書は一歩下がった。二人分の視線がラザロに集まる。
しかし彼は首を振った。
「もうどうでもよい。猫ちゃんの敵は取った」
ラザロは踵を返そうとした。シャイードが素早く前に出て魔杖をつかむ。ラザロが強引に杖を引いてもシャイードは離さない。
「おい、俺はどうでもよくねえぞ! いきなり殴りやがって。ぬいぐるみならレムルスにちゃんと保管するよう伝えたぞ!?」
「吾輩がここにいるのは、その猫ちゃんが壊されたからだ、たわけ!」
この言葉に驚き、シャイードの手が緩んだ。その隙に、ラザロは魔杖を身体に引き寄せてしまう。
「いや、そんなはずは……。きちんと伝えたよな、アルマ」
「うむ。それを聞いたレムルスは、”安心してくれ。虫もつかないように、丁寧に扱う”と言っておった」
「……。ではなぜ壊れた?」
「俺が知るか。レムルスに聞けよ」
「会えるわけがなかろう……! こんな態だぞ!」
ラザロは声をひそめて言い、ほんの少しフードを持ち上げた。その奥の暗闇で、瞳が光を放っている。
シャイードは眉根を寄せたまま、小首を傾げた。
「だい……じょぶ、じゃね?」
「適当なことを言うな。退治されたらどうする!」
「それはないと思うぞ。一応アンタ、湿地帯の事件を解決した英雄だし」
「……。吾輩が……えいゆう……?」
呆然と言ってラザロはぶるっと身震いした。実際に寒さを覚えたかのように、彼は空いている手で逆の腕をさする。
「ヤダヤダヤダ。そういう光属性っぽい称号。禿げる。捥げる。悶える。もういい。皇帝陛下が猫ちゃんを壊したのなら、きっと深い考えがあったのだろう」
「俺にはねえってのかよ! つか、さっき勘違いで殴られた分、殴り返させろ!」
「ラザロさーん!!」
そのタイミングで、神官服の裾を揺らしながらディアヌが駆け寄ってきた。
「ちょっとなに油売ってんですか! ボンゴが止まっちゃいましたよ! 真面目にやってくだ……あっ、アルマさん!? シャイードさんも」
彼女は会話の途中で目を丸くし、勢いよく一礼した。
「お久しぶりです! 帝都にいらしたのですね」
「さっき来た。なにやってんだ、こんなとこで。湿地はどうした」
「だって! 隕石で城壁が壊れて皆さんが困っているんですよ! ボンゴなら楽々直せるじゃないですかぁ!」
「ボンゴ?」
「ボンクラゴーレムの略です」
「ボーンゴーレムだ! 貴様、絶対わざと間違えているだろう!?」
ラザロの地団駄をディアヌは冷ややかに見つめ、彼の首根っこを掴んだ。
「細けえことはいいんだよ! オラ、さっさと操りやがれ! みんな待ってるだろうが!」
「ぴぃ!」
「それでは、失礼しますね」
圧迫された喉から零れた空気だろうか。ラザロから奇妙に高い音が鳴った。ディアヌはあっけにとられるシャイードと無表情のアルマににこやかに片手を振り、ラザロを引きずっていった。




