表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】竜と魔導書  作者: わーむうっど
第五部 竜たちの碧空
345/350

新たな契約

「まったく、なぁ? レムルスもどうかしてるよな」


 帝都から南へと延びる街道を歩きながら、シャイードは隣に話を振った。晴れた空には積雲が浮いている。遠く、東の地平では雲の巨人が大地を見下ろしていた。

 真夏の日射しは、早朝から石畳を焼いていた。今は午後で陽もだいぶ傾いていたが、光線はまだ強い。焼けた石畳から上る輻射熱のせいで、今日はとても暑かった。もっとも、シャイードには心地が良いくらいだったが。

 雲が風に流され、遠方から草原を濃色に染めてゆく。やがて影は彼の元に到達し、明と暗が入れ替わった。

 傍らには、光精霊が飛んでいる。ドラゴンの姿ではなく、元通りのふわふわした球体だ。

 シャイードははっとした。話しかけたつもりの相手は、そこにいない。


 ◇


 浮島を持ち上げることに全力を注いでいたシャイードは、墜落の最後の瞬間、引き上げ屋たちが窪地の縁に避難しているのを見届けた。


(良かった)


 そう感じたことは覚えているが、その後、彼の意識は途切れる。無理をしすぎた。身体中の全魔力を使い切ってしまったのだ。



 シャイードは、また夢を見ていた。

 霧の掛かった森の中を一人で行く夢だ。同じような場所を以前も歩いた気がしたが、今は思い出せない。

 けれども予感していた。この先には、冷たい水を湛えた澄んだ湖がある。

 案の定、道は水深の浅い湖に続いており、島があり、黒い直方体の建造物があった。

 シャイードはその建造物が扉だということも知っている。

 一つだけ違うのは、扉が開いていたことだ。


 シャイードは水の中に入り、島に向かう。バシャバシャと水を跳ねさせ、走っていた。

 遠目にも、扉の向こうから光が溢れているのがわかる。

 扉の前には、逆光でシルエットになった背の高い姿があった。


「………!」


 シャイードは誰かの名を口にした。だが口にした途端、何と言ったのかわからなくなる。

 それ(・・)は振り返った。

 シャイードは島の手前で立ち止まる。

 逆光によるシルエットではなかった。

 それ(・・)はヒトの形をしていない。

 何かもやもやと形のない、黒いものだった。扉の向こうから射すまばゆい光を浴びても、それ(・・)の姿は全くわからない。全ての光を飲み込み、返すことがない。

 振り返ったというのも、そう直感したというだけだ。どちらが前か後ろかもわからない。


 それ(・・)は扉を離れて島の端の方へ、シャイードの方へと向かってきた。

 直感は当たっていたらしい。シャイードの身体は震えた。本能は逃げろと警鐘を鳴らすが、理性は大丈夫だと知っていた。

 シャイードは近づいてくるそれ(・・)の足元で、何かが光ったことに気づいた。光るものはそれ(・・)の周囲に散らばっている。

 良く見ると鎖だ。千切れた鎖。


「ああ」とシャイードは言った。「お前(・・)はもう、自由なんだな」


 それ(・・)は身じろぎした。頷いたのだとシャイードは受け止めた。


「帰るんだろ?」


 シャイードは扉を見上げた。それ(・・)はまた身じろぎした。イエスなのかノーなのか、わからない。

 それ(・・)がさらに近づいて来た。水の中に入ってくる。

 シャイードは動かなかった。なじんだ高さを見上げている。


『我は迷っているのだ』


 影は言った。


『帰りたくもあり、帰りたくもない』


 影は続けた。

 シャイードは黙って暗闇を見つめる。どこまでも深い、闇。目の焦点が合わない。

 原初の闇。始原の闇だ。全てを包括するゼロ

 その場に立っていながら、シャイードは見つめていると闇の中にどこまでも落ち込んでいくような気持ちを味わっていた。


『汝はどう思う?』


 影は聞いた。

 シャイードは我に返り、瞳を右へと逸らす。


「どうにも。それはお前のすべき選択だろ?」

『……。確かにそうだ』


 影は同意した。

 影は両手を前に出した。いや、それは手の形をしていなかったけれど、ともあれシャイードにはそう見えた。

 両手の間に、七色の光をもつ半弧が現れる。虹だ。


『我にはこれが希望には見えない。まだ』


 シャイードはつい鼻で笑った。


「お前……、そんなどうでも良いことをずっと考えていたわけ?」

『どうでも良くはない。我は知りたい』

「ふぅん?」


 シャイードは相づちを打った。片脚に体重を掛け、自らの顎に手を添える。

 訳知り顔で、口端を持ち上げた。


「それってさ、もうお前の中で結論が出てるってことじゃねーの?」

『……』


 影は黙り込む。

 シャイードは口を閉じ、待った。相棒の選択を。

 重要な選択だ。幾らでも時間を掛けて良い。ここにはたっぷりと、時間がある。

 おそらく、無限の時間が。

 一瞬の中に、無限はある。



『汝はこれから、どうするのだ?』


 影は疑問を口にした。シャイードは鼻を鳴らす。


「決まってるだろ。俺の目的は、最初からずっと仲間を探すことだ。ドラゴンを」


 言って、シャイードの胸の奥に苦い感情が灯る。目蓋が半ばまで落ちた。


「……今も生きているドラゴンを」


 彼は付け加えた。


『では』と、影はもう一歩、近づく。『我も一緒に行く。良いであろう?』


 シャイードは肩をすくめた。


「まあ、お前がどうしてもっていうのなら、連れていってやらんこともない。本当は独りの方が気楽なんだが、お前は本だし……、特別にノーカンにしてやる。ありがたく思え」

『偉そうだ』

「それが俺だ」

『では契約を』

「……またか?」


 シャイードはうんざりした表情を作った。影は身じろぐ。


『サレムの課した契約は成就され、今の我は制約を持たない。故に我は人の姿を失い、汝の世界に干渉するすべを失っておる』

「本のままでいいんじゃね?」

『それでは世界に干渉できぬ。我はあの世界を見たい。聞きたい。嗅ぎたい。触れたい。味わい尽くしたい。――知りたい』

「わかった、わかった」


 シャイードは両手をひらひらしてなだめた。影は随分と前のめりだ。シャイードは一歩下がる。影は前に出た。


『契約を』

「じゃあまあ、俺が別のドラゴンを見つけるまで? 人の姿を得て良い代わりに、俺の言うことを聞け?」


 影は身じろいだ。


『それでは明日見つかったら、明日帰らねばならぬ』

「いいじゃねえか、それで」

『嫌だ。汝が雌ドラゴンを見つけ、どうやって子をなし、それらとどう接していくのかも知りたい』


 シャイードは途端に耳まで赤くなった。


「よ、余計なお世話だろ! ずっと貼りついて見ている気かよ!!」

『うむ』

「この……っ、ド変態!」

『うむ。ドラゴンの繁殖については、どの本も明言を避けておったのだ。記述は互いに矛盾しておるし、ワイバーンの繁殖について述べた後、ドラゴンもおそらく同じだろうと適当なことを書いてあったりな。是非、最初から最後までじっくりと観察したいぞ」

「繁殖言うな、失礼な!」

『だがその前に、汝が雄ドラゴンにしか出会えぬ可能性もあるし、雌ドラゴンに出会ったとしても振られる可能性もあるのが困ったことだ』

「この俺が、振られるわけねえだろうが! ……たぶん」


 胸に手を当てて勢いよく反論したあと、シャイードは最後にぼそりと付け加えた。

 影が揺れる。先ほどまでとは動きが違う。笑ったのかも知れない。


『さっきまでの自信はどうした』

「先のことはわかんねーよ。わかんねーけど……、まあじゃあ、俺が死ぬまでは、現世界あっちにいれば?」

『先日のような仮死ではなく、汝の完全なる死と消滅まで、であるな』


 シャイードは頷く。


「言っとくが、ドラゴンは凄く長生きだぞ。お前、途中で飽きるんじゃね?」

『そうかも知れぬし、そうでないかも知れぬ。汝はこの数ヶ月で、何度死にかけた?』

「う……っ」


 言葉に詰まったシャイードを見てなのか、影の輪郭が震えた。


『せいぜい長生きするが良い。我が飽きるほどに』

「……やれやれ。退屈しなそーだわ」


 シャイードは盛大に息を吐き出す。闇は揺れた。うきうきしているように見えるのがおかしい。恐ろしい相手なのに。


『では新たな主従の契約を』

「……。相棒だろ」

『訂正しよう。相棒としての契約を』


 シャイードは異形の闇に向けて握り拳を突き出し、口端を持ち上げた。

 闇はそれに応えた――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ